今回は「悪い情報の伝え方」について、アレコレ考えてみる。
なぜ、「悪い情報」かって? う~~ん、まぁ、めちゃくちゃ考えさせられる出来事があった、わけです。
悪い情報を伝えなければならないことは日常の中でもあるし、とりわけ仕事でそういった事態に直面することは多い。
例えば、上司であれば、左遷・降格、リストラ、賃金削減などの告知……。部下に伝えなくてはならないのに、どう伝えるべきか悩む。
相手を傷つけたくない、自分も嫌われたくない、とオブラートに包んだがために正確に伝わらなかったり。躊躇っているうちにタイミングを逃したり。
「悪い情報ほど早く伝えるべき」と頭ではわかっていても、感情が割れてしまうのだ。
その葛藤になんらかのヒントを与えてくれる出来事があったので、今回はそこから話をスタートします。
「もう治すのは無理です」
先日、現在がんで闘病中の友人と食事をした。そのとき、彼女から唖然とする話を聞かされたのだ。
「もう治すのは無理です。延命を考えていきましょう」
がん再発の診断を受けたその場で、担当医にいきなりこう言われたというのである。
しかも医師は、
「この病院では緩和ケアや、終末期医療は行っていないけれども、紹介はできます」
と、終末期医療という耳を塞ぎたくなるような情報を付け加えたというのである。
彼女は15年ほど前に乳がんの宣告を受け、見つかったときのステージは3だった。当時の技術ではかなり厳しい状況だったが、幸いにも抗がん剤で腫瘍を小さくして手術を挑んだところ摘出に成功。その後の定期検査でも転移は認められないまま、月日が過ぎた。
「宣告受けたときに、5年生存率は50%以下って聞いたけど、良かった。もう大丈夫なんだね」
がん宣告から10年が経ち、彼女も、彼女の家族も、そして、私もこう安堵した。
ところが、である。がん細胞は静かに彼女の体内に生息し続けていたのである。がんの記憶が薄れかけていた13年目の夏。骨への遠隔転移が発覚してしまったのだ。
「それでも事実は事実です」
そのショッキングな診断の場で、初対面で、信頼関係もない状況で、「もう治すのは無理」と、医師は伝えた。信じられないというか、ひどすぎるというか、乱暴というか、あまりに無神経な告知としかいいようがない(申し訳ないけど、私はこう感じました)。
友人は「その時自分がどうしたのか、はっきり思い出せない」ほどショックを受け、その数分後、いや、数時間後、いやいや、数日後(これも記憶にないそうだ)、涙が溢れ出た。来る日も来る日も泣きはらした。「もうこれ以上、涙が出ない」というくらい泣きまくった。
その後も、医師からは「悪い情報」を治療の度に聞かされ、家族全員ひたすら、泣き続けた。感情と呼べるものが無くなり、心にポッカリと穴が空いたような日々が過ぎていったそうだ。
蛇足ではあるが大ベストセラーになったエリザベス・キュブラー・ロスの『死の瞬間』(末期患者約200人との面談を通じて死に直面した人間の心理分析を試みた)の中に書かれている死にゆくプロセスは、彼女には全くあてはまらないと語っていた。私の父にも当てはまっていませんでしたけど…。
いずれにせよ、散々泣きはらした彼女は身辺整理を断行。「自分が死んだあとに残したくないから」と作品をオークションにかけ(彼女は芸術家です)、売り上げは、延命の治療費に回そうと決意した。
「医師に言われたときは、明日はないかもって、毎日思ってた。でも、もう再発から3年が過ぎた。体重は7キロも減ってしまったけど、仕事も少しだけしてるよ。抗がん剤やった後は調子が出ないからスローペースだけどね。乳がんは治療しながら10年以上生きる人も、結構多いんだって。このままずっと長生きしちゃうかも。脳に転移しないことを祈るばかりだ~」
心の中では不安と恐怖が常にあるだろうに、彼女は明るく、笑顔でこう話していたのである。
……で、その数日後。ある一通のメールが届く。送り主は一般の読者の方だ。
「私は余命宣告を受けたすい臓がん患者です。河合さんの『すい臓がんを巡る報道への私的な見解ーマスコミのみなさん「がんの王様」と言わないで』を読みました。
私としては、がんに関するメディアの報道や情報は、イヤなことではありません。私に気を使って、私が抱えている病気の恐ろしさは、医師も身内も、そうそう口にはしません。なので患者本人も軽く捉えてしまう場合もあるでしょう。
実際、私も最初の頃はそうでした。告知されたのに、それがウソだったように思えてしまったり、自分だけは完治するのではないかと楽観的になってしまうことがありました。
でも、現実は違います。メディアが伝えるとおり、すい臓がんは恐ろしいがんです。報道されていることは、確かに耳を塞ぎたくなるようなキツい情報です。それでも事実は事実です。私はその事実を知った上で、がんばっています。メディアが伝える情報や、ネットにあふれている情報から、何が正しくて何がいかがわしいのかを知ろうと努力しています。人それぞれだと思いますが、そういう患者もいるのです。
がんを生きる事って、患者本人の病への向き合い方や患者を支える周りの人の、がんに対する捉え方で大きくモチベーションが変わると思っています。
でも、不安で不安でどうしょうもなくなるのです。どうやって向き合っていけばいいのか、わからなくなります。心が揺れて、折れそうになってしまうのです。
それでも、下を向かず、明日も前を向いて生きていきます。私は余命1年の宣告を受けてから、3年が経ちました。最後まで読んでくれて、ありがとうございました」
真のポジティブな感情は、究極の悲観論の下で熟成される
彼女が私にメールをくださるきっかけになったコラムは、九重親方が亡くなったときに書いたもので、著名人が「がん」で亡くなる度に、ワイドショーがこぞって「がん」に対する特集を組むことへの苦言だった。
病気に関する情報を流すこと自体は、がんに対する理解を広めるうえで大切なことなので文句を言うつもりはない。
だが、「生存率○%」だの、すい臓がんは「がんの王様」だの、見つかったときは転移してるだの……と、めったやたらに「死」を意識させ、がんの恐怖を煽るような報道をすることが、いかにがんと戦っている家族にとってキツいか、を書いた。
私自身がそうだったから。そんなに「死」「死」「死」という文字を出さないでよ、と。そういった報道を見る度に、すい臓がんと必死に戦っている父が見てないことをひたすら願った。
医師から宣告された余命を、「超えて生きよう」としている人たちがいて。ちょっとでも元気に、笑える日が続くように、とがんばっているがん患者が、その報道を見た時にちょっとだけ元気になれるような。がんの恐さを報じるより、超えて生きようとしている人を、そっと応援するような社会への願いを込めて、私は書いたのである。
そのコラムに対する先のメールだったわけだが、彼女のメールを読み、友人の担当医の「無理」発言について、改めて考えさせられてしまったというわけ。
厳しすぎる現実を、医師にストレートに突きつけられ続けた友人と、恐ろしさを口にしない医師に戸惑う女性。彼女たちはがんの種類は違うが、どちらも人生最大の恐怖に直面していた。
自分の意思では止めることも、避けることもできない絶望の淵に立たされながらも、彼女たちは自分の病気に正面から向き合っていた。自己を放棄することなく目の前の苦悩と戦っていた。
決して楽観視することなく、「悪い情報」に冷静に向き合い、虚脱と絶望に襲われながらも、嘆き続けることをやめ、顔を上げ、前を向いて歩いていた。
真のポジティブな感情は、究極の悲観論の下で熟成される。彼女たちにの内部には、究極のネガティブな感情を引き戻すだけのポジティブな感情が、熟成されていたのである。
いかなる危機や困難に遭遇しても、そう、そんなときでも、笑顔を取り戻す強さを、前向きに生きるたくましさを、科学的な余命を超えて生きる力が、人間に秘められていることを、今、必死に前を向いて、がんという病を越えて生きようと戦っている彼女たちが、教えてくれたのだ。
ダメージを最も受けたのは、楽観主義者だった
ユダヤ人であるためにナチスに逮捕され、自らの体験をベースに強制収容所内における人間の心理状況を『夜と霧』に克明に記した精神医学者V・E・フランクルは、未来に楽観的になることの危うさを説いた。
もっぱら軍事情勢が最大の関心事である収容所では、悪い情報といい情報が入り乱れ、それらは常に矛盾していて、情報に翻弄する囚人達をいらつかせた。そのダメージを最も受けたのは、オプティミスト、即ち楽観主義者だった、と。
「1944年のクリスマスと1945年の新年の間に、われわれの収容所では未だかつてなかった程の大量の死亡者が出た。その死は、過酷な労働、悪化した栄養状態、伝染病によって説明されるものではなく、むしろこの大量死の原因は単に囚人の多数が、『クリスマスには家に帰れるだろう』という、根拠なき希望に身を委ねた事実の中に求められた」(『夜と霧』より)。
フランクルはこの記述の中で、目の前の困難を受け入れ、その状況下でいかに生きるかを模索し自分の存在を放棄しない勇気と、自身の未来を信じる希望の両方を持つことの重要性を訴えた。件の彼女たちのように、だ。
日々の生活を充実して生きながら、未来を信じることで、人の内部に宿る強さ、すなわち「生きる力」は引き出されるのである。
その一方で、考えさせられたのが、彼女たちを絶望させる「悪い情報」の伝え方、だ。
なぜ、再発した友人の医師は「治すのは無理。延命だけ。終末医療も紹介する」と、死への道のりを淡々と告げたのか?
なぜ、メールくれた女性の医師は「余命」を告げながらも、すい臓がんという病気に関する悪い情報を伝えようとしないのか?
医師たちが、彼女たちに伝えたかった“メッセージ”は何なのだろう?
後者の医師は、大方推察がつく。おそらく「悪い情報は伝えないほうが、患者(女性)が希望を持てる」と考えた。
だが、前者の医師はなぜ、ストレートに真っ正面から、最悪の情報を伝えたのか?
最悪の情報を直ちに知らせるほうが、がんと前向きに戦えると信じたのだろうか?
それとも、インフォームド・コンセントという、自分の義務を果たしただけ、なのだろうか?
機械的に「伝えればいい」というものではないが…
がんの告知はインフォームド・コンセントと切り離すことはできないわけだが、1990年に日本で初めてインフォームド・コンセントについて議論した日本医師会生命倫理懇談会の報告書には、「がんの告知」は次の場合には行うべきと記されている。
●告知の目的がはっきりしていること
●患者・家族に受容能力のあること
●医師及びその他の医療従事者と患者・家族の関係がよいこと
●告知後の患者の精神的ケア、支援ができること
また、1995年に行われた「インフォームド・コンセントの在り方に関する検討会」では、「元気の出るインフォームド・コンセント」の定着を目指すとし、「日本にふさわしいインフォームド・コンセント」の目的と理念が記されている。
「インフォームド・コンセントとは、医療に制約を加えようとするものではなく、 医療従事者の知識と技能を最大限に発揮するための環境づくりであり、医療行為 の基本的な要素であり、態度であると言える」と。
これらをシンプルに解釈すれば、「悪い情報は必ずしも、伝えなくてもいい」と読み取ることもできる。
今回は「がん告知」問題が主題ではないので、これ以上アレコレ述べるのはやめておくが、偶然にも2人のがん患者に出会ってわかったのは、状況が深刻であればあるほど人はより多くの情報を求め、情報がないことは不安を掻き立てるってこと。
人は遭遇している困難が正確に把握できない限りなすべきことが選択できず、ストレスがいっそう強まる。「悪い情報」の主語は、あくまでも当事者本人なのだ。
そして、「患者本人も軽く捉えてしまう場合もある」とメールで綴られていたように、希望だけを持たせるだけでは人は楽観視し、フランクルが指摘したようになるリスクも持ち合わせている。
もちろん医療現場の出来事と、会社で遭遇する「悪い情報」を同義に扱うべきではないのかもしれない。でも、私はむしろ逆だと考えている。病という極めて「悪い情報」だからこそ、彼女たちの「心の動き」に伝え方のヒントがあり、学ぶべきことがあるのではないか。
最後に、面識もないのに丁寧で誠実なメールをくださり、このコラムで引用することに「お役に立つならうれしい」と快く承諾してくださった、“彼女”に心から感謝します。そして、彼女のブログに綴られていた一節を、「悪い情報」に遭遇し凹んでいる方のために紹介します。
自分を褒めて、愛して、助けてあげて欲しい。
たまに自分を叱り、尻を叩き、頑張れ自分!っと応援してあげて欲しい。
そんな踏ん張っているアナタを、周りの人もまた助けてくれるし、愛してくれると 私は思うよ。
この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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