「残業上限100時間」
「(残業の上限を決める制度は)企業への影響を考えれば容認できない」(by 榊原経団連会長)。
……なんとも。今政府が進めようとしている「働き方」の内容とまったく同じ。
つまり、先の卑劣な“事件”をおこしたトップが必ずしも“特別に卑劣なトップ”とは言い切れない現実が、日本社会のど真ん中に蔓延っているのである。
なんてことを書くと
「いつも経営者ばかり非難する!」
と口を尖らせるトップが必ずいるけど、なんのためのトップなのか?
経営者とは何なのか?
むしろその答えを教えて欲しい。
だって日本で過労死や過労自殺が繰り返される理由が、そこにあるわけで。
お国が変わればこういう経営者が殺人罪で罰せられるのは、極めて当たり前のことだったりもする。
たとえば、あのカルロス・ゴーン氏も、“殺人罪”に問われそうになったことをご存知だろうか?
2007年に自動車メーカー「ルノー」で、4カ月間に3人が自殺。
自殺者が残したメモには「会社が求める仕事のペースに耐えられない」と書かれ、遺族の証言から「毎晩、書類を自宅に持ち帰り、夜中も仕事をしていた」と、サービス残業が常態化してことも判明。
「日本の『過労自殺』という経営手法までフランスに持ち帰ったのか」と問題視され、ゴーン氏は早急に手を打ち、労働時間や職場環境を改善したのである。
超時間労働もパワハラも「トップの責任」という意識を
「労働者である以前に人間である」ーーー。
この“当たり前”が徹底されている欧州では、長時間労働だけではなく、パワハラ(モラハラ)などすべての「労働者の人権を侵害する」企業側の行為が雇用者の責任になる。
トップは罪を問われ、罰金の支払いを命じられることが通例なのだ。
つまり、日本ではやっと「長時間労働」の責任が、“法人の顔”である経営者に問われるスタート地点に立ったが、「パワハラ」も同じように問題にする必要がある。
過労死はいわゆる突然死で、カラダを酷使され限界を超えた末の死であるのに対し、過労自殺は長時間労働の影響以上に、パワハラなど職場でのストレス要因が強く関連する。
たとえ過労死ラインに達していなくとも、効率だけを重視する企業経営は、過度なプレッシャーを従業員に与え、それに堪えられなくなったとき、人は「死」という悲しい選択をする。それが「過労自殺」だ。
長時間労働もトップの責任なら、パワハラもトップの責任。
「法人」という人格は、その顔であるトップに宿ることをもっともっと謙虚に捉え、アナタの一存で救える命があることを胆に銘じて欲しい。
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