2007年8月、居酒屋チェーン(従業員3000人超、東証一部上場企業)に入社した男性(24歳)が急性心不全で過労死し、両親が損害賠償の支払いを求めて会社と代表取締役ら役員4人を提訴。

 地裁、高裁とも遺族の訴えを認め、会社と役員に約7860万円の支払いが命じられ、役員の個人責任が認められたのだ。

 裁判で、この会社のトップは
「外食産業界においては(略)1カ月100時間とすることは、むしろ一般的」
 と反論。

 同社は、「1年のうち6か月は月100時間を可能」とする労使協定を結んでいて、会社側が自ら提出した勤務時間の資料から、ほぼ全員が「月300時間働く状況」だったことが判明しているのに、

 「(過労死した男性が勤めていた)店舗は、他と比べて特に忙しいわけではない。平均的な忙しさの店舗で、社員の負担も平均的な店舗だった」(by 社長)
 「これは普通のこと」(by 社長)と言い張ったのである。

企業経営者らの無責任な発言

 それだけではない。

 「労働時間の設定が過労死基準に縛られることは、取締役にとっては経営判断の放棄であり、むしろ会社に対する善管注意義務の懈怠とさえなりうる。[経営]判断の合理性と裁量の範囲は、その会社が属する業界の経営において通常求められる内容と程度が基準となるべき」

 と、自らを正当とする論を展開した。
 さらに、亡くなった男性のご遺族によれば、お通夜に届いた社長の電報には、

 「天命とは申せ、これからの人生が始まろうとしているのに、今日はお別れをしなくてはならい宿命に、涙尽きるまで流れる涙を止めることができません。辛いお別れですが、どうか早く生まれ変わりになられ、この世にかえられることをお祈り申しあげ、謹んで西の空を仰ぎ、合掌し、お見送りをいたします」

 と書いてあり、長時間労働をさせていた責任の「せ」の字もなかったのである。

 「1年のうち6カ月は月100時間の残業を可能」とする労使協定。
 「労働時間の設定が過労死基準に縛られること」への反論。

 ふむ。実に勝手で、無責任極まりない言い草なのだが、これってどこかで見た事があるような気がしてならない……。

 そう、アレです、アレ。

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