「自分がいなくても」から始まる喪失感

 これまでフィールドインタビューに協力してくれた600人超の中にも、身近な人を自殺で失った方が数人いらっしゃった。その中の1人は「なぜ、自分は部下を救えなかったのか」と、切ないほど自分を責め続けたと明かしてくれた。

 彼の部下は亡くなる直前の飲み会で、「自分がいなくとも、仕事って結構、回るんですよね」とボソッとつぶやいた。

 そのとき彼は、ご自身が課長になり立てで、自分の役割を明確にできず悩んでいたそうだ。そこで、「課長がいなくとも、チームは回る。そういうチームを作ることができれば、リーダーとしては成功なんだろうね」とそのまま自分に置き換え、彼の言葉を否定するような言葉はかけなかった。

「なぜ、あのとき『たとえ仕事は回っても、キミがいなくなったら僕は困る』と言ってあげられなかったのか」

 「自殺の原因は仕事にある」と多くの人が考えていたので、彼は余計に自分を責めた。部下が亡くなったあと、1年も2年も自分を責め続けた。

 そして、たまたま「ストレスで成長しよう!」という私の講座のタイトルを見て(社会人向けの講座を当時持っていました)、「自分を追い詰めるばかりではなく、成長につなげたい」と考え、講座に参加し、フィールドインタビューにも協力してくれたのだ。

「自分のことを永遠に許せないかもしれません。でも、彼の死を忘れようとしていた自分とは別れられそうです」

 男性は部下のことを吐露し、私にこう言った。

 自分がいなくても――。

 そんな思いに駆られることは、誰にでもある。少なくとも私にはあった。「自分が消えた世界」を何度か想像した。

 いつ、どこで、を具体的に思い出すことはできないし、きっかけがなんだったのかも定かではない。たわいもないことがきっかけだった気もするし、自分では精一杯がんばっているのに認めてもらえなかった時だったような気もする。他者に執拗に否定されたり、バカにされたことがきっかけだったようにも思う。