大阪府の国立循環器病研究センターが、勤務医や看護職員の時間外労働を「月300時間」まで可能にする36協定を結んでいたという、驚愕の事実が先週報じられた。
「月300時間の労働」じゃありませんよ。
「月300時間の時間外労働」です。
報道によれば、国循人事課の担当者は……(以下、朝日新聞9月7日付朝刊より)、
「医師や一部の看護師、研究職ら約700人について、特別な事情がある場合『月300時間を年6回、年間2070時間』まで延長できるが、実際の労働時間は、36協定の上限までに十分余裕がある」
と説明。
また、毎日新聞の取材に対しては(こちら)、
「実際は300時間も働いている医師はいない。時間外労働が45時間を超えた場合、月1回の安全衛生委員会で議題に上げ、所属長に業務分担を求めたり、産業医との面談を勧めたりしている。(上限300時間を決めた)当時の担当者は既に退職し、なぜ300時間としたか分からない」と回答したそうだ。
なんという無責任な回答なのだろう。
担当者がいないからわからない、って?
「実際にはいないから、問題ない」とも取れる対応には、憤りすら感じる。
そもそも「上限300時間」が明らかになったのは、国循の脳神経外科病棟に勤務していた看護師の女性(当時25歳)が、2001年に過労死し、担当弁護士が情報公開を求めたのがきっかけだった(こちら)。
亡くなった女性は、患者の世話に加え、勉強会や研修会の準備などで日常的に残業を強いられていたところで、新人の指導係にもなった。
くも膜下出血で倒れるまでの時間外労働は、過労死ラインを下回る50~60時間前後。
ただし、勤務の終わりから次の勤務が始まるまでのインターバル期間は、5時間程度しかない日が月平均5回もあった。夜勤の日は20時間近くの連続勤務。
この夜勤勤務の負担が考慮され、過労死が認められたのである。
1日当たり約14時間?!
女性が亡くなったのは16年前で、2008年に過労死認定されてからは10年“も”経つ。
その2年後の2010年4月に国循が国の機関から独立行政法人に移行し、「上限300時間」の協定を締結。その後も毎年同じ内容で更新していたという。
日本人の年間の労働時間は2010時間前後。時間外の月300時間労働をもし1年間続けたら、時間外だけで平均の1.5倍を超える。つまり、1人で2人分以上働く計算になる。
いや、そもそも、月300時間を1日あたりに換算してみたことがおありだろうか。
単純計算すると、1日あたり約14時間になる。
え? と思われるかもしれない。
これは、土日とカレンダーの祝日を合わせて、年120日前後の休日があるためだ。これを365日から差し引いて、年間労働日数を260日とすると、月労働日数は21.6日になる。300(時間)を21.6(日)で割れば、労働日数1日あたりの残業時間は13.8となるのだ。
1日の労働時間を8時間とすると、プラス14時間で、22時間勤務が可能になる。
22時間。そう、月300時間を上限、ということは、1日22時間の勤務が可能ということだ。
えっと、1日って何時間でしたっけ?
……私の理解では「1日は24時間」だと思うのだが、まさか「ナポレオンは3時間しか寝てなかったというし、世の中にはショートスリーパーという人たちもいるしね」と考えた? いやいや、まさか。
ふむ。要するに暗に「休むな! 働き続けろ!」ってことなのだな。きっと。
では、働き続けるとどういうことになるか。
●「長時間勤務になると、針刺し事故が統計的に有意に増加(Ayas NT, Bager LK, et.al .Extended work duration and the risk of self-reported percutaneous injuries in interns. JAMA ,2006)」
●3日に1回、 24 時間以上の長時間連続勤務をした場合と、長時間連続勤務の上限を16時間、週当たりの勤務時間を60時間に制限した場合とを比較すると、24時間以上の連続勤務の「処方ミスと診断ミス」が明らかに多い(Landriga CP, Rotheschild JM, eta al. Fffect of reducing interns’ work hours on serious medical errors in intensive care units. N Engl J Med,2004 )
●前日に当直であった医師が執刀した手術後 の患者においては、合併症が45%多かった(Haynes DF, Schewedler M, et al. Are postoperative complications relted of resident sleep deprivation? South Med J, 1995)
●徹夜明けの勤務のパフォーマンスはアルコール摂取時と同等(Dawson D,Reid K. Fatigue, alcohol and performance impairment. Nature ,1997)
●当直で夜間に呼び出しされた場合の運転技能が、アルコール摂取時の技能と同等か、または低い(Robbins J, Gottelieb F. Sleep deprivation and cognitive testing in internal medicine house staff. West J Med, 1990)
●長時間連続勤務すると、手術に注意力が低下しミスが増える(Kahol K, Leyba MJ, et al. Effect of fatigue on psychomotor and cognitive skills. Ame J Surg, 2007)
聖職だから青天井?
つまり、休まず働き続ける医療関係者たちは、本人たちのみならず、患者までも危険にさらす。
当直明けの看護師にはケアして欲しくないし、医師には「頼むから手術なんてしてくれるな!」と叫びたくなる調査結果が示されているのだ。
ちなみに36協定は“青天井”と思われているけど、正確には上限がある。
行政規制ではあるものの、「1日」「1日を超えて3カ月以内の期間」「1年」ごとに延長可能な時間の限度があり、「300時間」は1年間の上限に相当する(労働基準法第三十六条第一項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準<労働省告示第百五十四号>)。
医師の残業規制の話題になると、「いやいや、俺はもっと患者さんのために働きたい」「いい医療を施すために、もっと技術や知識を習得したい」と反論する医師たちもいるが、「ホントにいい医療を提供したい」と思ってくださるなら、寝てください。でもって、病院側は強制的にでも休ませて欲しい。
「こっちとしてはね、医師や看護師などね、医療に関わるものはね、“休む”なんてこと考えちゃいけないのよ。だってうちは“高度医療”も担っていますから。
それに『目の前の患者を救って欲しいというのが、多くの国民の思いであり、医療者の思いでもある』しね」。
私にはこう言っているようにしか聞こえないのだ。
一部の医療関係者たちは、いまだに
「医者は聖職であり、医者は唯一無二の存在だ」
と確信しているのではあるまいか。
今年3月。「医師は労働者かと言われると違和感がある」との発言が日本医師会の横倉義武会長からあった。
政府が労働時間に罰則付き上限を設ける「働き方改革実行計画」を取りまとめた際に、横倉会長は日本医師会の定例記者会見で次のように語った(政府は医師への規制適用には5年間の猶予を与えるとしている)(こちら)。
そりゃ昭和23年の法律でしょう…
「今回の議論で、多くの患者さんや国民から『医師が労働者であるということは違和感がある』との声をたくさん頂いた。
この機会に、そもそも医師の雇用を労働基準法で規律することが妥当なのかについても、抜本的に考えていきたい。
医師の応招義務については、『たとえ勤務時間の規制に抵触しようと、目の前の患者を救って欲しい』というのが、多くの国民の思いであり、医療者の思いでもある。
これらの諸課題を解決するためにも、厚生労働省内に設置予定の検討の場に日医としても参加し、積極的に議論をリードしていきたい」
確かに、医師法19条には、
「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」
との定めがある。
だが、医師である前に労働者だし、病院や企業に雇用されている労働者だ。
もちろん「たとえ勤務時間の規制に抵触しようとも、目の前の患者を救って欲しい」
という気持ちが「ない」と言ったら、それはウソになる。
急病になって
「先生、助けてください!」
と病院にかけつけたとき、
「あ~、ダメダメ。勤務時間外だからムリだよ。他に行って」
なんてことになったら困る。
しかしながら、この医師法が決められたのは、昭和23年。大学病院などの大きな医療機関の“先生”ではなく、「○○町の▲△医院」といった具合に、お医者さんが自分の家などで治療し、「○○先生のところで診てもらおう」という時代のお話で。
今は「医者」ではなく「○○大学、▲△医療センターなど、病院」にかかる時代だ。
つまり、医師個人ではなく、組織での対応を前提としてくれればいい。
それでもやはり「○○先生じゃなきゃ、困る」という人はいるだろう。
実際、私は父が救急車に運ばれた時、たまたま主治医が当直の日でものすごく安堵した。「パパ、運が良かったね」と。
だが、担当医がいないことへの不安は「我が病院はチーム医療です!」としつつも、「当然、医師は知っているだろう」と信じていたことが伝わっていなかったりすることが原因であり、「病院という組織」がきちん診てくれる体制なり、組織運営をしてくれればすむ話だ。
以前、医師の過重労働についてコラムで(「内心、『医者は酷使されていい』と思ってない?」)
・家族が来た時に、担当医がいないと「これじゃ、家族には親の病気の状態がどうなっているかわからないじゃないか! さっさと呼べ!」って、怒り出す人
・退院するときに担当医がいないと、不機嫌になる家族。
の実態に触れ、“私たち側”の身勝手な振舞いが、どれだけ医師たちを追いつめ、過重労働に追い込んでいるのかを書いた。
医者だった大切な息子さんを亡くしたご家族は、
「医者は24時間365日働いて当たり前とでも思っているんでしょうか。真面目にやってきたのに、かわいそうで。『人の命は何よりも重い』と教育されてきたけど、医者の命だけは軽いのかもしれません」
と嘆いていた。
こういった“医師は万能な存在”と勝手に信じ込む、身勝手な家族から医師を守るためにも、医療側は「医師をきちんと休ませられる体制」を作り、「医師個人の問題」ではなく「医師を雇用する職場の問題」と、医療者側が医師の命を守るバリアになって然るべき。
いったい何人の医師や看護師さんたちが命を絶てば、70年前の昭和23年の考えを変えてくれるのだろう。
医者から、「食生活を改めなさい!」「もっと運度しなさい!」「タバコをやめなさい!」……さもなければ、「心臓病で死にますよ!」
と何度言われても、実際に習慣を変えられる人は7人に1人にすぎないとの研究結果を嘆く医師が少なくないだけに、なんとも釈然としない気持ちばかりが募ってしまうのである。
組織の責任を、個人に丸投げ
ただでさえネット、携帯など通信機器の発達により私たちの生活は、「仕事」と切り離すのが難しくなった。
一昔前であれば「連絡がつかない」というエクスキューズが使えたのに、今は「なぜ携帯に出なかった!」と叱られる始末だ。
ネットで個人が組織に24時間つながれる状態になったことで、本来「組織」として対応すべき問題が、「仕事への誠実さ」、あるいは「生活」を人質に、「個人」に丸投げされているんじゃないか?
そういう過酷な状況に置かれて、「誰かのために自分の生活や健康を犠牲にしている」という自覚がある人が増えているから、他人にも自分と同じ対応を求めたくなる人が多くなっているのではないか?
24時間ワンオペ状況に医師のみならずすべての労働者が置かれていて、頭の片隅には常に「仕事」の文字がうごめいている。
寝る直前にメールを確認し、目覚めとともに携帯やパソコンを見る。
友人と飲み屋に入ると「電波が届いているか」が気になり、旅行に行ってもwifiがつながる場所を必死で探している“自分”がいる。
疲れているはずなのに目が覚める。
「なんだまだ3時じゃん」などと時計を見て、長く眠れないことが不安になる。
「翌日の仕事への不安感」が高いほど「深い睡眠の時間」が減るため、熟睡できないのだ(Anderson T.Impaired sleep after bedtime stress and worries. Bio Psyco, 2007)。
そこで近年、欧米を中心に注目されているのがサイコロジカル・ディタッチメント(Psychological detachment)という概念である。
これはドイツの医療科学者ソネンターグ博士により提唱され、
「仕事のストレスや疲労の回復には、仕事を終えて、物理的に仕事(職場)から離れるだけでなく、心理的にも仕事から離れることが重要である」
とし、「睡眠の大切さ」を問う学説やエッセーが大量に出回る火付け役にもなったとされている。
時間外のメールは受信拒否!
2014年にはドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州において、社会民主党が「反ストレス法」の制定を提案し話題となり、今年1月にはフランスで、従業員数50人以上の企業に勤務する労働者には、「勤務時間外の仕事関連のメール受信を拒否する」法的権利が与えられることになった。
通常勤務時間以外のメールでさえ心理的にストレスが増し、睡眠、頭痛、疲労、不安神経症、胃の疾患のリスクが高まり、筋肉障害、心臓や血管の病気との相関関係が高いとされているのだから、“職場に拘束される”ことがいかに健康にマイナスかは容易に想像がつくはずである。
1990年代以降、深夜交代制勤務者は一貫して上昇傾向にあり、約1200万人以上が深夜業に従事しているとされている(こちら)。
「一億総時間外労働“月300時間”時代」は、あながち冗談ではない。国立循環器病研究センターの問題は他人事ではないということだ。
『他人をバカにしたがる男たち』
おかげさまで“たちまち三刷”となりました!感謝、感謝でございます!
『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)
●世の男性をいっせいに敵に回しそうなタイトルになっておりますが、内容は「オジさんとオバさんへの応援歌」です(著者より)
●本の前半部分で「ジジイ化している自分が怒られてる」と思っていたら、最終的に「がんばろうとしているオッサン(私自身)」を鼓舞してくれるものになっていて、勇気をもらうことができました。
(伊藤忠テクノソリューションズ代表取締役社長 菊地 哲)
●「ジジイの壁」にすがりつく現代企業人の病根の原因を学術的に暴き、辛辣なタイトルから想像できる範囲をはるかに超えた深い大作。
最終章では男女の別ない温かい眼差しに涙腺は崩壊寸前、気づくと付箋だらけに。
(ヒューマンアーツ株式会社 代表取締役 中島正憲)
●オッサンへのエール、読後感は、一杯目のビールの爽快さです。
(50代 マンネン課長から脱出組)
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この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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