ラストシーンで想起した福島第一原発

 いずれにせよ、いつの時代も、現場は「付加価値が流れる場所」だった。それを否定する人はいないはずだ。

 世界で認められている“日本のワザ”は、いずれも小さな町工場で、何十年にもわたって作業着に身を包んだ職人さんたちが、毎日同じ作業を繰り返す中で生まれている。ときには繰り返しの中で見つけた発見が“ワザ”につながることもあったし、ときには「こんなものが作りたい」と、毎日試行錯誤して、何十年もかかって生まれた“ワザ”もある。

 現場の人たちにとっては、社内の事情やら、出世やら、権力など関係ない。彼らにとって大切なのは、自分の仕事へのプライドのみ。現場には、いわゆる“オトナの事情”は存在しない。

 その“現場”が、シン・ゴジラのいたるところに描かれていた。それが、個人的にはメチャクチャ嬉しくもあり、心地よかったのである。

 ただ、映画のラストシーンは、不気味過ぎた。あのシン・ゴジラの無表情さこそが、私たちへの警告である。

 そうなのだ。アレはまさしく、福島第一原発。

 福島の“現場”は、“シン・ゴジラ”と今も戦っている。現場はシン・ゴジラを完全に止めることができるのだろうか。

 数ヶ月前、私は福島第一原発に入った。ラジオ局が定期的に原発内を取材していて、レギュラー出演している番組が私を取材陣に加えてくれたのだ。

 敷地に足を踏み入れ即座に感じたのは、「ああ、ここが現場なんだな」ということだった。

 7千人ほどの人たちが、自分たちの仕事を黙々と、ただひたすら真面目にやり続ける現場。

 さまざまな分野の技術者たちが、荒れ狂ったシン・ゴジラが再び動き出さないよう、必死で目の前の作業に全力を注いでいた。廃炉に何年かかるとか、原子力村とか、社会の評価とか関係ない。

 実に活気に溢れていたのである。

「この仕事を辞めようと思ったことはないですか?」

 こんな言い方をすると批判する人たちもいるかもしれないけれど、“現場”の人たちはとても明るくて、元気だった。

 行き交う作業員の方たちが「こんにちわ!」「ご安全に」と、明るく挨拶する。

 ご安全に―――。なんかいい。素直にそう思った。

 そして、現場には“片桐はいりさん”もいたのである。

 昨年5月に完成した大型の休憩所には大きな食堂があり、定食や麺、丼などの温かいメニューが、すべて380円で食べられる。大熊町内に作られた給食センターから、毎日運んで来るのだそうだ。

 作業員たちが手慣れた様子で、次々と定食を選んでいく横で戸惑っていると、
「カレーも美味しいけど、ポークジンジャーが今日のおすすめよ」 と、“片桐はいり”さん。

 ご飯は大盛りでたらふく食べることができる。お茶が置かれているが、こちらはセルフサービス。あちらこちらで作業員たちが笑顔で、ご飯を口に搔き込んでいた。

 コンビニもオープンしていたのでのぞいてみたのだが、やたらとスイーツが多い。「みなさん甘いものをよく買っていかれるので、増やしたんです」と、ズボンを履いた“片桐はいりさん”(店長さん)が説明してくれた。

次ページ でも、どこか違う。そう、何かが違う。