「そんなの上に言えばいいじゃないか」って?
 はい、そのとおりです。

 私も同じように彼女たちの話を聞いていて思ったし、彼女たち自身が先頭にたって“女性限定の仕事”を“みんなの仕事”にすればいいのでは? とも思った。

 だがあの場で、私はどうしても言えなかった。その一言を放った途端、それまでせっかくホンネをぶちまけてくれていた彼女たちの心の扉が一気に閉じてしまいそうで、言えなかった。

 彼女たちがただ単に文句をいってるわけではなく、自分でどうにかしたいと必死でもがいていることはそれまでの話からも明らかだったし、何よりも彼女たち自身が“そんな小さなこと”に不満を抱く自分に自己嫌悪していたのだ。

 「こんなことに不満を感じてしまう自分は、心が狭いんじゃないか」
 「こんな小さなことすら変えられない自分は、ダメな人間なんじゃないか」

 誰にだって「抱きたくない感情」がある。
 その抱きたくないネガティブな感情に打ち勝てない自身への嫌悪感に苛まれている彼女たちに、刃となる言葉は言いたくなかったし言えなかったのである。

 お茶出しも、お菓子配りも、ゴミ出しも、物理的には5分程度しかかからない“小さな仕事”だ。
 たった5分。たかが5分。されど5分……。その“たった5分”がとてつもなく大きな負担となる。

 寝る前に5分で書く日記を続けるのがいかに難しいか?
 朝の5分のストレッチがめんどくさいのはなぜか?

 自分のためのたった5分でも、ルーティンにするのは極めて難しい。
 まして、それが暗黙裡に「やらなくてはならない」と押し付けられる“5分”だったら?

 その負担感が半端ないことは容易に想像がつくことだろう。

Twitterでも大きな話題に

 「でも、それってたまたま座談会に参加した人の会社の話でしょ?」

 いやいや、そうでもないから問題なのだ。

 座談会の翌日。参加者のひとりからメールがきて、数か月前にTwitterで話題になっていたことを教えてくれた(こちら)。

 記事によれば、

 「パート先のエラい人に『20年くらい前まではね、毎日10時と3時に女性職員がお茶やコーヒーを入れて全員に配ってたんですよ』と話しかけられたので、面倒くさいやつキタ!と身構えたら『だから僕はね、本当はコーヒーに砂糖とミルク入れたいのに恥ずかしくて言えなかったんです』と。」

 とあるTwitterユーザーが呟いたところ、6000件以上リツイートされ、

 「いまだに私は朝・昼・夕の3回お茶くみしてます」
 「就職して20年以上になるが、未だにお茶を入れている」
 「20年前と変わったのはお茶は要らないという人が増えただけで、いまだにお茶くみは今も女性の業務であることが暗黙の了解となっている」

 という反応があったというのだ。