疲弊した心は、一瞬でも認められると「アレはアレで意味あること」「自分のためだった」という盲信に変化する。

 「能力発揮にパワハラなど一切必要ない」という当たり前が、ストレスの雨に濡れ続けた心には届かなくなってしまうのである。

加害者と被害者の二者間だけの問題ではない

 実際、度々発生しているスポーツにおけるパワハラでは、自身のスキル向上や勝負に勝つというポジティブな経験が、パワハラを肯定的に捉える傾向を高めることが国内外の調査研究から明かされている。また、監督やコーチの体罰を目の当たりにしながらも、親たちが容認したり、擁護するケースが度々確認されていて、親など周囲の人間関係を巻き込んだパワハラ構造を理解する必要がある。

 さらに、職場ではパワハラを見て見ぬふりをしたり、「俺だってしんどいんだからお前もがんばれよ」と傍観者がパワハラを容認したりすると、被害者が集団から切り捨てられ、追い詰められるケースが報告されていて、これは「セカンドパワハラ」と呼ばれている。

 私がインタビューした人の中にも、勇気を出して、パワハラを先輩社員に訴えたのに「耐えろ」と言われ、弱い自分を責めるようになった、と話してくれた女性がいた。

 しかも、その女性はSOSを出したことが上司に伝わり、パワハラがエスカレートしたそうだ。

 厚労省が実施した調査で、過去3年間にパワハラを受けたと感じた人で、その後「何もしなかった」と回答した人の比率は管理職が58.2%、男性で48.4%と多い。その理由を「何も変わらないから」と約7割の人がしたのも、セカンドパワハラの存在を肌で感じているからなのだろう。

 そして何より問題なのは、こういった傍観者たちの容認がパワハラを生む風土を形成し、維持されてしまうってこと。加えて、身近な人のパワハラを目撃し、恐怖心を抱くだけでも心身に悪影響が出る。

 DV研究ではこれを「DVの目撃」と呼び、親から子への虐待には「DVの目撃」を含むのが一般的だ。

 DVの目撃にさらされた子どもは、頭痛、腹痛、睡眠の問題等の身体症状を訴えたり、不登校や引きこもりになったり、 自傷行為を繰り返す傾向が認められているのである。私が以前行った調査では、幼少期に「DVの目撃」にさらされた経験がある人は、成人になってからも自己肯定感が低く、自殺や死について思いをめぐらす傾向が強かった。

 対象が子どもなので、そのまま会社員にあてはめられるものではない。だが、パワハラが加害者と被害者の二者間だけの問題ではないことは、十分におわかりいただけるだろう。

 先の厚労省の調査では、パワハラ対策のトップは「相談窓口の設置」(82.9%)だったが、パワハラをパワハラと知覚できない心の動きを鑑みれば、これだけでは役に立たないことがわかる。セカンドパワハラ対策にも注視しなきゃだし、徹底的な教育機会と、目撃したときの第三者の介入の仕方、もっと言ってしまうと「すべての人が意見を言える組織、すべての人が能力発揮できる組織、すべての人が生き生きと働ける組織」を目指さなきゃダメ。

 繰り返すが、パワハラは誰かが謝罪し、ジ・エンドになる問題ではない。もっともっと構造的に、組織の問題として捉えなきゃいけないのだ。

次ページ 女子強化本部長の発言