ストックホルム症候群
世間(メディア?)の関心は、塚原夫婦のパワハラだけに集中しているけど、加害者もパワハラを認め処分が下された案件を「被害者が加害者を擁護する」という、パワハラ問題を理解する上で極めて重要な視点がないがしろにされている。
もちろん塚原夫婦のパワハラ疑惑は、日本体操協会の具志堅幸司副会長の言う通り「全部膿を出して新しく出発しないと東京五輪はあり得ない」大きな問題である。
が、奇しくも女子選手の記者会見に同席した弁護士が、
「当事者(被害者)さえ否定すれば問題ない、との流れができる可能性もあり、非常に難しい問題」
と訴え、ストックホルム症候群(後述)を例にあげたように、パワハラ問題の本質を捉えることはホント難しく、誰かを吊るし上げてジ・エンドとなるものではない。
私は彼女の記者会見を見て、上司からパワハラを受けていた人たちがインタビューで語った言葉とダブった。そうなのだ。私のフィールドワークに協力してくれた700人弱の方たちの中には、上司のパワハラで精神的に追い詰められ、会社を辞めたり、仕事ができなくなったり、今なお「その経験」から抜け出せず苦悩する人たちがいた。
アスリートとビジネスパーソン、コーチと上司、選手と部下、協会トップと会社トップと違いはあれど構造は全く一緒。
パワハラは、加害者と被害者という二者間の問題ではなく、それを生む組織風土、階層組織の権力、人間の本能に宿る欲望や欲求、さらには「知覚」が強く影響する。
「人は見えるものを見るのではなく、見たいものを見る」という、極めて根源的な問題が複雑に絡んでいるのである。
というわけで、今回は「パワハラ」という行為について、「心の窓」から考えてみようと思う。
まず最初に「ストックホルム症候群」について、説明しておく(ご存知の方も多いとは思いますが)。
これはDV(ドメスティックバイオレンス)の調査などでも用いられる精神用語の一つで、恐怖を与える他者から決して逃れられない状況下で、加害者に好意や共感、さらには信頼を抱く心理状態を言う。心的外傷後ストレス障害として扱われる場合もある。
語源は1973年にストックホルムの銀行で起きた強盗事件だ。
人質たちは131時間に及ぶ監禁状況で、次第に犯人に共感し、驚くべきことに犯人にかわって警察に銃を向け、解放後に犯人をかばう証言をする人たちもいた。
そこで加害者の「完全な支配下=極限状態」で起こる「人質(=被害者)」の心理的な動きと行動や症状を、ストックホルム症候群と呼ぶようになったというわけ。
女子選手の弁護士は、「手でたたかれたり、髪の毛を引っ張られたりされたことはある」と彼女が認めながらも、その行為を「自分のための指導」と容認したことについて、「ストックホルム症候群」という言葉を用い、世間に警告したんだと思う。「本人が何と言おうと暴力はダメなんだ」と。
ホント、そのとおりで、人間の自己防衛本能は想像を超える反応を示すことがある。
と同時に、個人的には「パワハラをパワハラと知覚できない」のは、別の心理が働いていると考えている。
人間なら誰もが持つ「他者に認められたい」という承認欲求である。
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