鴻上:階級社会の軍隊において、佐々木さんがそれを抜け出せたのは、空の上では全ての責任を自分でコントロールするパイロットだったからだと思います。

 とにかく時間があったら訓練していた、とおっしゃっていました。戦争も後半に入ると「ガソリンがもったいないからやめろ」と言われたそうですが、それまでは訓練は「いいこと」であり、佐々木さんはうれしくて飛んでいました。スキルアップになるわけだから周囲からも「とてもいい」と言われた。パイロットは裁量権があります。

「全員が志願だった」の違和感

河合:佐々木さん以外に、何回か生きて帰った人はいるのでしょうか。

鴻上:機材が不調で何回か帰ってきて最終的に生き残った人はいますが、佐々木さんほどはっきり「死なない」ことを意識して、生き延びた人はいなかったようです。佐々木さんの場合、9回帰ったうち途中からは「爆弾を落として帰ってきます。体当たりしません」と言い放っています。

 そして、だからこそ戦後、佐々木さんはずっと沈黙しました。突入して亡くなった人がいる以上、「言ってはいけない」と考えたのだと思います。

河合:特攻として出撃した人は当時、それをよきことだと信じていたのでしょうか。それともどこかに良心の呵責を抱えながらだったのでしょうか。

鴻上:一人ひとりに聞くしかないですが、命令した側が「全員が志願だった」と言い続けているのは、後ろめたさの表れではないかという気がします。

 「自分を次の特攻に出させてほしい」と宴会の席で詰め寄られたとか、廊下を歩いてると「自分を次に出撃させてください」と言われたとか、寝ようとするとドアの前に志願者が列をなしている、などの記述が命令した人が書いた本にはあります。しかし、僕からすると「そんなことはないだろう」というほど描写が異常です。

 命令された側の手記を読むと「絶対に志願ではない。命令だった」とあります。「志願するものは手を挙げろ」と言われても誰も手を挙げなかったのに「行くのか行かんのかはっきりしろ!」と怒鳴られ、全員が反射的に手を挙げたこともあったと聞きます。それだけに「全員が志願でにっこり微笑んだ」と言った記述が命令した人の本にあるのは、どこかやましいことがあったのではないか、と思います。

 していることに自信があるなら、むしろ「強制になった人もいた」と書くはずなのです。これは社長の命令によって社員が疲弊しているのに、「全員が志願して働いている」というのと同じことです。