鴻上:「上が責任取らない」「現場のせいにする」は日本人だけではありません。また、戦争中のことを調べてみると、例えば、米国のリーダーでもとんでもない決定をした人がいます。

 日本と米国の違いは「その後」です。米国ではとんでもない決定をしたリーダーはクビになったり、地位をはく奪されたりします。これに対して日本の場合、とんでもないリーダーでも身内だからとかばう面があります。

情でみるとき、100%いい悪いにならない

 『不死身の特攻兵』に書きましたが、敵前逃亡でフィリピンから一人で逃げたにもかかわらず、結局責任を取らないまま軍に復帰した司令官がいます。日本人は直接ぶつからない、言わないで気を回すことを美徳とする文化があるため、「あなたは能力がないから司令官になれない」と言えなかったのです。現状維持で残そうとするため、敵前逃亡の司令官まで軍務に復帰したのです。これは最近さまざまな場面で出てきた忖度と似ています。

河合:日本の職場も同じだと思います。つぶれた会社について調べてみるとダメな会社、残念な会社の原因となった人も、なぜかかばっていることが多いのです。これが果たして日本人に特有なのかどうかはわかりませんが、国によって「違うな」と思うことはあります。

 私は小学校4年生から中学1年生まで米国でも田舎のアラバマ州にいました。日本人は私の家族だけでしたが、当初は国が違っても人は本質的な部分は同じだと思っていました。しかし、遊んでいて岩から10メートルほど下の池に飛び込んだとき、あまり泳ぎが得意でない私はおぼれかけたにもかかわらず、米国人の友達はジョークを言っていました。私が死にそうだというのに「ここで言うのか」と思いました。こうした違いは戦争のような究極状態だと出やすいかもしれません。

鴻上:戦前の軍隊は典型的なブラック企業であり、ファクトを見ていませんでした。代わりに見ていたのが「情」です。特攻もファクトでなく情を見て、情にフォーカスしていたから「命がけでやっている以上間違いなく戦果は上がっているはずだ」としていたのです。特攻の後期には、訓練時間が100時間ほど、本来ならば離着陸だけでも必死という人を特攻に出したとき、「お前たちの気持ちさえあれば」などと、情から言っていました。

 僕は河合さんの『残念な職場』を読みながら、「日本的」とはいったいなんだろう、と思いました。

 ファクトでなくて情でみることは、100%いいとか100%悪いということはありません。だからその分、やっかいです。僕は「cool japan」というテレビ番組を13年ほどやっていますが、外国の人が言うのは、日本人の思いやりは例えば東日本大震災のとき、スーパーやコンビニが襲われなかったうえ、帰宅途中にある商店が夜も店を開けて暖かいコーヒーを配るといったことに表れているというわけです。そのすごさは情がポジティブに表れ、うまく機能したのだと思います。しかし、情はマイナスに働くと「気持ちさえあればどんなに腕が悪くても特攻の成果が上がる」といった方向に向かうのです。