
今回は「不適切な行為」について考えてみようと思う。
中央省庁の「障害者雇用の水増し問題」をきっかけに、地方でも次々と呆れんばかりの実態が明らかになっている。
教育委員会でも水増ししていたり、糖尿病の職員や他の病気で休職中の人を障害者にカウントしていたり、障害者がまったくいないのに「雇用している」と国に報告していたり……。
「確認していなかった」
「10年前に確認しただけだった」
「認識不足だった」
などと、行政のお偉い方たちが頭を下げる映像が続々と報じられている。
コンプライアンスとか、人権とか、弱者にやさしい社会とかの表現を、省庁や地方自治体のホームページやパンフレットなどで見た記憶があるが、あれは幻だったのだろうか。
「バレなきゃな何をやってもいい」って? 絵に描いた餅。とどのつまり「障害者手帳の数」だけを見て雇用率を引き上げ、ペナルティや助成金政策をとった末の歪み。いい意味でも悪い意味でも「人」を見ていないことが問題なのだ。
職場で虐待を受けた障害者数は過去最悪
奇しくも時を同じくして、雇用されている障害者への虐待数が過去最悪だったと報じられた。
書いているだけで気が滅入ってくるのだが、厚生労働省の発表によると、昨年度に職場で虐待を受けた障害者は1308人。前年度から35%増え、過去最悪を更新した。
具体的には、
- 賃金が最低賃金を下回るなどの「経済的虐待」が84%
- 差別的言動などの「心理的虐待」が8%
- 暴行などの「身体的虐待」が6%
経済的虐待では、製造業の事業所で知的障害者の賃金が最低賃金(時給ベース)を200円下回るケースがあり、労基署が是正勧告をしたそうだ。
先の水増しの影響もあいまってか、「最低賃金を200円下回る」という衝撃的な文言はSNSでも一斉に拡散。そこには障害を持ちながら働く人たちの悲痛な叫びも含まれていた。
障害者の賃金の低さはかねてから問題視されてきた極めてゆゆしき問題で、障害者の“貧困化”は、国際労働機関(ILO)からも改善要求が出されたこともある。民間団体が行なった調査によると、障害者の98%が年収200万円以下で、このうち年収100万円以下を6割が占めた。(詳しくはここ)
また、厚労省によれば、雇用契約を結ばないB型の平均賃金は月額約1万5000円、雇用契約が必要なA型でも約7万1000円。前年度より増えているとはいえ、B型の平均時給は199円しかない。(詳しくはここ)
B型は最低賃金の下限がないので最低賃金を大幅に下回る賃金で働かせることができる。一方、A型には、雇用契約を結んだ利用者1人当たり1日6000~8000円の給付金が国から入る。仮に障害者の労働時間が1日3時間であれば、事業者は3時間分の最低賃金を支払えば済み、給付金からこの分と事業経費を差し引いても採算が取れる計算になる。
もちろん事業所や企業の中には、障害者を積極的に雇用し生産性を上げたり、障害者の年収アップに努めたりしている企業も多い。しかしながら「悪しき行いをする事業」が後をたたないリアルが存在するのだ。
障害者自立支援法の下、障害のある人たちの課題が「働くこと」「職業的自立」へと大きく変わり、障害者が働く機会が増える半面、人間としての価値や豊かさが無視されてしまってはないだろうか。障害者総合支援法に名称は変わり、「基本的人権を享有する個人としての尊厳にふさわしい」という文言が明記されたけど、障害のある人の生活が障害のない人の生活から「隔離」されている。そう思えてならないのである。
耳を疑いたくなるような問題行動の数々
障害者雇用の問題はそれだけではない。
経済的虐待が8割以上を占めるので、「心理的虐待8%、身体的虐待6%」という数字をつい見逃してしまいがちだが、100人のうち6~8人が心理的、身体的虐待を受けている事実は深刻に受け止めなければならない。あくまでも私の憶測だが、表面化していない虐待を入れると1ケタで収まる数字ではない。というか、それ以前に先の経済的虐待もある意味、「心理的虐待」だと個人的には考えている。
これまでフィールドインタビューに協力してくださった方の中には、障害者雇用のカウンセラーや、企業で障害者雇用担当の方たちが何人かいて、耳を疑いたくなるような数々の問題行動を教えてくれた。
耳が不自由なのに電話番をさせられたり、1日中トイレ掃除をやらされたり、「義務だから雇っているだけ」「何もしなくていい」「いいな~。来るだけでおカネもらえるんだからな」「アンタが辞めたら、楽になるなぁ~」「雇うのにコストがかかっている」などと暴言を浴びせられたり。
「健常者」たちの心ない卑劣な仕打ちがきっかけで、会社に行けなくなってしまう障害者の方が少なくない。また、心理的虐待は可視化しにくい特性もあるため、虐待が日常化して精神的なダメージを受ける人たちもいる。
逆に、現場に精通するカウンセラーによると「障害者自身が『自分には無理』と障害を言い訳にするケース」もあり、雇用する側とトラブルになることもあるという。
「苦しいのは障害者だけじゃないですよ。一緒に働いてる僕たちの苦しみもわかってほしい」
こう訴えるのは障害者と同じ部署で働いている42歳の男性である。
「実は、一年くらい前に障害者の手を叩いてしまった。何度教えてもファイリングを間違えるので、つい、本当につい、自分が持っていたペンで叩き、その後も肩を大きくゆらしたり、ひどい言葉をあびせてしまったりしたんです。
余裕があるときには許せるのに、余裕がないと許せなくなる。僕だって上司にストレス感じてるのに仕方がないよ、って。自分の行動を正当化していました。
でも、あるときスーパーでおそらく知的障害がある方だと思うんですけど、店長から手をつねられているのを見たんですね。その時に『あ、これ僕だ』ってこわくなった。
そして、やっと自分のおろかさに気づきました。同僚でもある障害者の社員に申し訳ないことをした、と反省しました。
なのに、やっぱり業務が増え自分のことで精一杯になると、ちょっとしたミスが許せなくて怒りがわいてきてしまうんです。精神の障害や知的な障害の場合、本当に難しいんです。何が言いたいのか、理解できないことも多いし、それが原因で小さなトラブルになることもあります。
すると、ストレスがたまるんです。感情のコントロール法も学びましたが、完全に大丈夫とは言い切れない自分がいます。また、やってしまうんじゃないかと、自分でも怖くなることがあるんです」
「虐待に至る背景要因」を統計的に分析
私は彼の話を聞き、自分が全く同じ状況に置かれたとき「怒り」を制御できるか? と問うた。
いかなる状況であれ「手を出す」ことは絶対に許されるものではない。だが「絶対に大丈夫」と言い切る自信がない。ストレスや心理の研究者の端くれなのに、自身の感情コントロールに自信が持てないのである。
障害者への虐待については国内外の研究者たちが、さまざまな角度から実態と発生要因を捉えてきた。そんな中で、「一緒に働いている人の苦しみ」を定量的に捉えた貴重な研究がある。
障害者施設や事業所に勤務する方たちに行なった意識調査を元に、「虐待に至る背景要因」を統計的に分析した論文である(「障害者虐待の発生要因に関する考察~A県内における障害者施設従事者への意識調査を通して~」山口県立大学学術情報 第10号、対象はA県知的障害者福祉協会加入の103施設・事業所で働く2479名)
結果の一部を以下に紹介する(就労系事業所の回答のみ。利用者=障害者)。
- 「職員による利用者への不適切な行為を見たことがある」 24.1%
- 「先輩や上司から利用者を怒鳴ることも必要だ(躾の一つ)と言われたことがある」 12.9%
- 「先輩や上司から利用者に厳しく注意することも必要だ(躾の一つ)と言われたことがある」 34.1%
- 「無意識のうちに不適切な行為をしてしまったことがある」 28.9%
- 「不適切な行為をしてしまう背景は?」に対し、「確信が持てない(24.4%)」「利用者からの暴力(14%)」「自分のスキル不足(11.6%)」「自分の感情コントロール(10.5%)」など。
さらに、これらのアンケート結果と職場環境(上司部下関係、チームワーク、情報共有など)を用い、「どのような職場で虐待が起きているのか?」を統計的に分析したところ次のようになった。
- 「上司や先輩から躾けのひとつと言われたことがある職場」では、虐待が発生しやすかった
- 「職員のスキル不足」が虐待にもっとも強く関連し、「障害者の特性の理解不足」「職員不足」「職場の雰囲気が悪い」と続いた
- 「無意識の不適切行為」は、「所得の満足度」と統計的に有意に関係していた
- しかし、職場環境要因を分析に加えると「チームワークのいい職場」「情報共有ができている職場」が有意となり、「所得の満足度」は有意ではなかった
……これらの結果を踏まえると、障害者虐待の背景には職場環境が強く関係していることがわかる。
そこで働く人のスキル不足や障害者への理解不足、収入への不満、職場の雰囲気などが、独立して存在するのではなく、複雑にからまりあった結果「弱者(=障害者)」への不適切な行為が発生するのだ。
「僕だって上司にストレスを感じているから仕方がない」と先の男性が言っていたように、仕事の質へのプレッシャーは年々高まり、「ご愛嬌」なんて言葉を使うのは許されず、何かあれば速攻で責任を問われ、「自分の時間」を堪能する余裕もない。
そんなとき、つい感情が理性を凌駕し、境界線を越える。情けないことだし、単なる言い訳かもしれないけど、これが人間。そう。人間なのだ。
感情はあくまでも個人のものだが、その感情を暴発させるリスキーな社会環境の中で「雇用率」を重視する障害者雇用が進められているのである。
「平成30年版 障害者白書」には、次のような文言がある。
「ニッポン一億総活躍プラン」を踏まえて策定された働き方改革実行計画では、日本経済再生に向けた最大のチャレンジは働き方改革であるとし、働く人の視点に立って、労働制度の抜本改革を行うこととされた。
障害者関連施策については、本実行計画において、「障害者等の希望や能力を活かした就労支援の推進」として位置付けられており、今後の対応の方向性について「障害者等が希望や能力、適性を十分に活かし、障害の特性等に応じて最大限活躍できることが普通になる社会を目指す。
虐待をする側にも、される側にもならないために
……「希望や能力、適性を十分に行かす」「最大限活躍できることが普通になる社会」。
適性ってなんなんだ? 最大限活躍ってなんなんだ? いったい今の日本のどこに、そんな社会があるのだろうか。
『障害者基本法』の改正(2011年8月)、『障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援する法律』の成立(12年6月)、『障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律』の成立及び『障害者の雇用の促進等に関する法律』の改正(13年6月)、さらには13年12月4日、国連の「障害者権利条約」の承認案を参院本会議で全会一致で可決と、障害者の人権、尊厳、権利などを実現する取り組みが進められてきたはずなのに残念としか言いようがない。
ただ、「障害者雇用」を進めることと、「障害者をつくらない職場環境」づくりを進めることは決して別個ではない。
人は環境で変わる動物である。と同時に人には「環境を変える力」もある。
そもそも「元気でバリバリ働ける強い人」を基準とする職場では、「四肢や精神的に問題があること=障害者」ではない。
働く環境を変えずに「元気でバリバリ働ける強い人」を求め続ける限り、高齢者、がんなどの病いを患っている人、うつ傾向に陥った人、育児する人など、「障害者」はいたるところで作られる。
今回の問題発覚を「職場でつくられる障害者を生まない社会、人に仕事を合わせられる職場作りをじっくり進めていけよ!」というメッセージと捉える必要があるのではないか。
「私」が虐待をする側にも、される側にもならないためにも……。
女性の扱いに悩む男性社員の必読の一冊! を出版することになりました。
ババアの私が、職場・社会にはびこる「ババアの壁」の実態と発生原因を探り、その解決法を考えます。
なぜ、女性上司は女性部下に厳しいのか?
なぜ、女性政治家は失敗するのか?
なぜ、女の会議は長いのか?
なぜ、女はセクハラにノー!と言えないのか?
などなど。
職場や社会に氾濫し増殖する「面倒くさい女たち」を紐解きます。
この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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