いずれにせよ、エリートほど子供の教育に熱心になる傾向は、昨年、明治安田生活福祉研究所が行なった調査でも認められている。世帯収入が1000万円以上になると「教育パパ」が急増していたのだ。

 父親が子どもの進学に「積極的に関与する」割合は、世帯年収が1000万円未満までは18%前後だが、1000万円以上になると24.9%まで増加。母親も52.3%と、400万円未満の40.7%より10ポイントも上回った。

 つまり、経済的に豊かな家庭の子供は、あれこれ教育を受ける機会、有名校に進学する機会、一流企業に就職する機会が増える。その一方で、貧困の家庭の子供は、教育を受ける機会、仲間と学ぶ機会、知識を広げる機会が略奪され、進学する機会、仕事に就く機会、結婚する機会など「機会略奪のスパイラル」に入り込む。

 完全なる教育格差であり、機会格差。

 貧困の連鎖と富裕の連鎖。格差社会ではなく階級格差。親の経済格差が階級として固定化するフェーズに日本は確実に突入しているのだ。

裏に潜む薄気味悪さ

 念のため繰り返すが、教育パパになることも、教育に熱中することも、なにひとつ悪いことではない。プログラミングを学び、英語を早い時期から身につければ、子どもの世界は広がり、さまざまな機会を得ることになる。周りから嫉妬されようとも関係ない。実にすばらしいことだ。

 だが、私はエリート教育パパたちの「裏に潜むモノ」に薄気味悪さを感じた。資本主義社会の闇というか、ああ、遂にここまできてしまったのか、と。

 いわゆるエリートである「新中間階級」の一部のパパたちが、子どもを同じ階級から落とすまいと殺気立たせる「モノの威力」に恐怖を感じたのだ。

 新中間階級に関しては、こちらのコラムに書いた(新中間階級を牛耳る意識高い系オジさんの既得権)。

 興味あるかたはコラムをお読みいただくとして、新中間階級についてのみ再度説明すると……

 ・新中間階級は「教育水準が高く、情報機器を使いこなし、収入も多く、豊かな生活をし、明らかに恵まれた人々」で、「専門・管理・事務に従事する被雇用者(女性と非正規の事務を除外)」。

 ・新中間階級の多くは、親自身も新中間階級の「新中間階級出身者」が多いが、1970年を境に連鎖に変化が生じている。

 ・60年代生まれ世代は47.9%が初めて職業に就いたときから新中間階級であるのに対し、70年代生まれ世代は39.5%に低下。一方、非正規社員の階級である「アンダークラス」に移動した人の割合が、60年代生まれでは6.7%だったのが、70年代生まれは12.9%と、2倍近く増加していたのだ。

 要するに、「新中間階級ゲート」は狭まり、居残り競争が激化している。

 おカネや学歴がもたらす社会的地位の高さを経験している「パパ」たちは、自分が手に入れた優位性を、次世代=子に階級を引き継がせる「教育」に熱中する。いい幼稚園、小学校、中学、高校、大学、就職、そして、いい結婚と、子どもに「勝ち組の下っ端でもいいからしがみつかせなきゃ」と、教育に依存していくのだ。

 とどのつまり、

 稼げる人は価値ある人。

 稼げない人は価値なき人。

 稼ぐための競争に参加しなかった人も、価値なき人。

 おカネを稼ぐ能力の違いだけで、人間の価値まで選別される価値観が広がっている気がしてならないのである。

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