教育パパの増加は何を意味するのだろうか

 「教育ママ」ならぬ「教育パパ」なるものが、最近増えているらしい。

 “らしい”とは文字通りあくまでも伝聞であり、「僕、教育パパなんっすよ!」と暴露する当人に会ったわけではない。この数カ月の間にインタビューに応じてくれた男性会社員と中学教師、仕事関係の知人などが、立て続けに「エリートが子供の教育に熱中している」と教えてくれたのだ。

 むろんエリートだろうとなんだろうと、男性が子供の教育に積極的なのは悪いことではない。むしろ喜ばしいことで、父親の教育参加は「お父さん効果(The Father Effect)」と呼ばれ、近年関心が高まっている。

 父親から絵本を読み聞かされて育った子供は言語表現が豊かになったり、父親との会話が多い子供は言語能力が高まる可能性が指摘されているのだ。

 ところが、である。

 教育パパ事情を教えてくれた面々によれば、教育パパたちは「子煩悩というレベル」でもなければ、「育メン」などというきれいごとでもない。「子供の教育に過剰にのめり込んでいて、子育てに依存しているパパも少なくない」のだという。

 「依存」とは少々物騒な物言いだが、私は彼らの話を聞き……なんだかとてもいやな気分になった。教育パパたちの暴走の裏に垣間見えるモノが、例の女性議員の「LGBT発言」を想起させたのだ(理由はのちほど)。

 というわけで今回は、「教育パパと生産性」について考えてみようと思う。