加藤勝信一億総活躍・働き方改革担当相が、誕生した。
もし、就任の記者会見で、
「手始めに、夏季休暇2週間を義務づけます! え? はい、そうですよ! この夏に、です。気象庁の分類では、7、8、9と、9月までが夏となっていますので、9月を含めて交代で休んでください!」
なんてことを言ってくれれば、加藤大臣株は急上昇したに違いない。
「え? 無理? いやいや、あのときだってみなさん、できたじゃないですか。そうですよ。2011年の東日本大震災のときです。
不要不急の仕事、つまり、重要でも急ぎでもない仕事の場合、会社に来なくていいって、会社から自宅待機の指示を受けた方たち多かったですよね?
博報堂、電通、ソニー、富士フイルム、鹿島、武田薬品工業、楽天、ノエビアなどなど、名だたる大企業が、続々と「自宅待機」や「出社見合わせ」を命じていましたよね。
え? 『来るな』って言われたのに、行ってしまったって? ああ、ダメです、ダメです。我が内閣は、本気で長時間労働是正に取り組みますので。その手始めとして、世界でダントツに低い有給休暇消化率の改善から始めます!
我々は本気です。経営者のみなさん、『一人ひとりが輝くため』なんですから、どうぞよろしくお願いします!」
もし、こんな具合に少々強引でも、多少反発を食らおうとも言ってくれれば、内閣改造後の酷暑も気にならなかったかもしれない。
が、現実は、「げっ、マジ?」という方向に進みそうな事態になっている。
そこで今回は、「働き方改革の行方」について、アレコレ考えてみる。
長時間労働も非正規もなくなる「働き方の未来」
働き方改革大臣が誕生した、その前日のこと。厚生労働省のHPに、私たちの「未来予想図」となる報告書が掲載された。
タイトルは、「『働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために』懇談会 報告書」。
従来の枠組みにとらわれずに20年先を見据えて「働き方」についての議論を目的に、今年1月に発足した厚労省の「働き方の未来2035」懇談会の政策提言書である。
この内容を読むと、第3次安倍再改造内閣の発足時に安倍首相が述べた、文言の真意を理解することができる。
「党内きっての政策通、重厚な経済閣僚をそろえて、成長戦略を一気に加速してまいります。目指すは戦後最大のGDP600兆円。さらには、希望出生率1.8、介護離職ゼロ。この3つの『的』に向かって『一億総活躍』の旗を一層高く掲げ、安倍内閣は『未来』への挑戦を続けていきます。
その最大のチャレンジは、『働き方改革』であります。長時間労働を是正します。同一労働同一賃金を実現し、『非正規』という言葉をこの国から一掃します」
長時間労働が、本当になくなるのか?
非正規という言葉が、本当に一掃されるのか?
その答えが、「自立」という見栄えのよいキーワードが乱舞する報告書の中で語られていた。
2035年の「幸せな働き方」の前提となるのが、VRやAIによる技術革新。最新技術を最大限に働き方に生かせば、どこでもいつでも、場所に拘束されることなく働けるようになる。工場のように、実際にその現場に人がいなければならない作業は、ロボットがやる。
技術を最大限に生かせば、「働き方」が変わる。多様な働き方が可能になり、「個」を生かした働き方を可能する…のだそうだ。
「自立」で個が生きる“素晴らしき”世界
「個」を生かすって、何なんだ???
ふむ。既に私の脳内には、サルやタヌキの「つっこみ隊」が押し寄せているのだが、その前に、報告書の内容を抜粋し、要約する。
【長時間労働について】
同じ空間で同時刻に共同作業することが不可欠だった時代は、そこに実際にいる「時間」が評価指標の中心だった。だが、時間や空間にしばられない働き方への変化をスムーズに行うためには、成果による評価が一段と重要になる。
その結果、不必要な長時間労働はなくなり、かつ、是正に向けた施策が取られるようになる。
【会社との関係】
・空間と時間を共有することが重要だった時代は、企業はひとつの国家やコミュニティのような存在だったが、2035年の企業は、ミッションや目的が明確なプロジェクトの塊となる。プロジェクト期間が終了すれば、別の企業に移動する形になっていく。その結果、企業に所属する期間の長短や雇用保障の有無等によって「正社員」や「非正規社員」と区分することは意味を持たない。
・一日のうちに働く時間を自由に選択するため、フルタイマーではないパートタイマーの分類も意味がないものになる。兼業や副業は当たり前になる。一つの会社に頼り切る必要もなくなるため、不当な働き方や報酬の押し付けを減らせる。
【企業の役割の変化】
・これまで企業は、ひとつの国家、あるいはコミュニティ、家族のような役割を担ってきた。だが、自立した個人が多様な価値観をもって自由に働く社会では、企業への帰属意識は薄れ、これまで企業が担ってきたコミュニティの役割を、代替するものが生まれてくるに違いない。
・生活を重視する流れが強まれば、居住する地域コミュニティの役割が重要になってくる。地域コミュニティでの相互扶助などが働く人を支えることもあり得る。
【介護・子育て】
・AI による自動化・ロボット化によって、介護や子育て、家事などの負担から働く人が解放されていることが期待される。
・健康管理のシステムにより要介護状態になる前に予防的措置がなされ、かつ介護ロボットの導入で介護負担が大きく改善する。
・施設に入れなくても、自宅で遠隔の安全管理システムが見守りを行ったり、移動ツールによって要介護者の外出が容易になるなど、働く人の負担は大きく軽減される。
【働きがい】
・「働く」ことが、単にお金を得るためではなく、社会貢献や地域との共生など、多様な目的をもって行動することをも包摂する社会になる。共に支え合い、それぞれが自分の得意なことを発揮でき、自立した個人が自律的に多様なスタイルで「働く」ことが求められる。そのためには、必要な能力開発や教育が、どの世代に対しても十分に行われ、 社会貢献も含め、多様な自己実現の場が提供されているべきだ。
【セイフティーネット】
・個人が自立して働く社会では、これまで以上に適切なセーフティネットの構築が重要になる。2035 年においては、複数の仕事をすることが当たり前になっていくことで、失業から生じるリスクはある程度低下させることができるだろう。セーフティネットの基本は、キャリアアップ、キャリアチェンジのための充実した職業教育である。
・セーフティネットは、最終的に国が責任をもって提供するとしても、民間の創意工夫による適切な保険の提供という形でできるだけ行われることが望ましい。
【自立した個人】
・2035年には個人が、企業や経営者との対等な契約で、自律的に活動できる社会に大きく変わる。企業の内と外との境界線が低くなり、独立して活動する個人も増える。
・自立した個人が積極的に活躍できる社会では、教育のあり方も早急に見直されるべき。
・自立するための教育とは、「好きで得意な道選び」を実現するための教育である。
以上です。フ~ッ……。
自立して会社に依存しなくなれば、即ハッピー???
さて、と。実際にはもっとまどろこしいかなり込み入った文章なので、詳細は原文をご覧頂きたいのだが、私はこの報告書のメッセージを、
「20年後は“自立した個”じゃなきゃ働けないし、生きられないし、幸せにならないよ~。会社に頼らないでね~。
だってさ、自立するってことは、すべて自分でコントロールできるってことだし、自由になることだし、長時間労働だってなくなるんだよ~。
正社員って概念が必要なくなるから、非正規とかもなくなるでしょ? 非正規のみんな、やったね!
とにかく「個」。とにかく「自立」。自立する体力をつけた人が、自由になる。幸せになれる!いいよね、これって~。最高~~」
と解釈した。
自立、契約、情報、で、自立、契約、自由、それでまた自立……といった具合に、原文には、「自立」という二文字が脅迫的なまでに使われていて、読み終えたあとに“食あたり”ならぬ、“自立あたり”に襲われた。
その症状は、同じく報告書内にあふれる「自由」から受ける心の反応とは、全く反対のモノ。攻撃的で、排他的で、強い人だけが幸せになれると、言われているようで。申し訳ないけど、マジ、具合が悪くなった。
確かに、言いたいことはわかる。
でも、今ある問題を解決するために、なぜ、今ある大切なものまで壊す必要があるのか。今、当たり前と思っている中に、壊しちゃいけない幸せがあるんじゃないのか?
そもそも、「会社にいかなくても仕事ができる=長時間労働なくなる」というロジックが私には理解できない。「成果による評価=長時間労働がなくなる」というのもちっともわからない。
先の国会で、継続審議となった「残業代ゼロ法案」も、同様のロジックになっているけど、なぜ、全く逆のリスクを置き去りにする?
たとえば、この原稿。
「アレって、毎週書くの大変ですよね~。あれって何文字なんですか? 相当なボリュームですよね?」
こんな質問を度々される。
文字数にすると、だいたい5000字前後。だが、同じ5000字のコラムでも、半日で書けるものもあれば、3日かかるものもある。パソコンさえあれば書けるものもあれば、古本屋に行ったり、論文検索したり、取材したり、「書く」以外の作業が必要になるものもある。
単発か連載かでも労力は変わる。連載の場合、ほぼ365日頭をクルクルさせ、アンテナを立てる。頭を解放させようとビデオを見たりすることもあるが、その行為すらやる気力というか、能力が失せることも少なくない。
つまり、「成果」には、そこにカウントされていない「時間」が費やされているのもまた、事実なのである。
“へなちょこ”に生き残る道はあるのか
実はこれこそが、現代のストレス社会の深刻な原因の一つになっている。
1980年代以降、肉体労働から知的労働への時代となり、判断業務や精神緊張・心的疲労を増大させる業務が増大し、精神神経的負担や心理的ストレスが急激に増えた。
これらは「食べて寝れば自ずと回復する」という単純なものではない。回復や適応が極めて難しく、持続・蓄積・慢性化しやすい特徴を持つ。
だからこそ、「職場環境」が大切になった。
仕事の合間に仲間たちとする、たわいもない会話。同僚たちのおおらかさや笑いが、精神的緊張を緩める妙薬になる。そういったプラスの面も、会社というコミュニティには存在する。「会社」というコミュニティで共にする時間が、目に見えないつながりを育み、「個」の力を超えたチーム力を最大限に発揮させるのだ。
「会社」という組織の中で、自分の力だけでは抗えない状況に遭遇すると、「会社=悪」と誰もが思う。しかし、もともと「会社」に存在する「幸せ」を享受していると、「会社=良」であることをなかなか認識できない。
「プロジェクトの塊となれば、正社員や非正規社員の区分は意味を持たない」としているけど、これは誰にとっての「意味」なのか?
職務保証(job security)の重要性は、これまで散々訴えてきた。「今日と同じ明日がある」という安心感は、人が前向きに生きるための根本をなす大切な要因である。
また、「プロジェクト期間が終了すれば、別の企業に移動する形になっていく」と、サラリと書いているけど、その度に、新しい会社、仕事、生活、人間関係……のすべてに適応を強いられることのしんどさをわかっているのだろうか。
人間は適応する動物である。いや、正確には「適応できる」だけ。“莫大なエネルギー”をつぎ込み、ストレスに上手く対処し、生きていくために、ただただ必死に適応する。目に見えない労力がつぎ込まれているのである。
「個の確立」という言葉は、実に魅力的だ。「個を確立」すれば、すべてが手に入りそうな気分になる。
だが実際には、個を確立して、結果を出せるのはごく一部。どんなにスキル習得の機会を提供されようにも、どんなに「目標を持て!」「もっと強くなれ!」「自分を信じろ!」と言われたって、どうやったって強くなれない“へなちょこ”の方が実際には多い。というか、“へなちょこ”がフツーなのだ。
なのに…。やっかいなのは、「個」という言葉が魅力的過ぎて、その“へなちょこ”までもが「個を確立」さえすればいいんだと錯覚することだ。
唯一無二の「自立した個」など、はなから幻想
社会的動物である人間は、生まれながらに「個」として独立した生き物ではない。関係性の中にこそ個人は存在し、唯一無二の「自立した個(自己)」など、はなから幻想にすぎない。
「信頼できる人たちに囲まれている」「いろんな人に依存して自己がある」という確信を手に入れることが必要で、この確信こそが、私が何度も書いている「SOC(Sense of Coherence)」だ。これは、平たくいえば人間が持つ「たくましさ」のこと。SOCは人とその人を取り巻く環境で育まれる前向きな力だ。
SOCの強い人は、生きる力が高い。SOCの強い人は、「自分1人でできることには限界がある」と素直に認め、自分1人で頑張るのではなく、他人の力にうまく頼ることで、一歩踏み出すことができる。依存できる環境が、「個の自立」を引き出す。
強いSOCを持つ人は、ストレスを成長の糧にして、喜怒哀楽に富んだ豊かな人生を歩むことが可能だ。つまり、強いSOCを持つことが、現代社会を生きる必須の「武器」になる。それは2035年になっても、どんな技術革新が起きようとも、変わることはない。
「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」に書かれているような働き方で、本当に豊かな人生が期待できるだろうか?
どこでも自由に仕事ができる時代になるからこそ、「会社」というコミュニティと、職務保証を大切にしたほうがいい。
「個」を強要する時代より、「個」を引き出す社会へ。依存を否定する社会ではなく、依存の先の自立を目指す社会へ。
大切なことなので何度も書くが、SOCを提唱したアーロン・アントノフスキーは、1970~80年代の日本を見て、「日本人のSOCは強い」と強いと分析した。日本には我慢を美徳とする文化があり、親子関係が密接で、地域の結びつきが強いこと、会社と働く人との間に存在する相互依存の関係がその理由である。
「個」の過剰な追求は、「個」の攻撃をもたらす。それがどんな社会か? 考えただけで背筋が寒くなり、暑さがぶっ飛びました!
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