障害者だけの問題ではない
障害学(disability studies) ――。
これは、1982年にアーヴィング・ケネス・ゾラたちによってアメリカで創始された学問で、その後イギリスでもマイケル・オリバーを中心として大きく発展し、日本では2000年代に入ってから、徐々に広められている。
私の専門の健康社会学は、個人と環境の関わりにスポットをあて、健康(単に病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態)について考える学問だが、障害学も同じように社会モデルに基づく。
つまり、障害学とは、従来の医療モデルが「障害そのもの」にスポットを当てるのとは異なり、「障害を生み出す社会について考える」学問である。
先日、日本における障害学の第一人者である、東京大学先端科学技術センターの福島 智教授のお話を聞く機会があった(教授は、3歳で右目、9歳で左目を失明、18歳のときに突発性難聴で失聴した、全盲ろう者)。
福島教授いわく、「身体に障害を持つ人が、“障害者”と区別されるようになったのは、産業革命と大きく関係している」のだと。
産業革命によって、大量生産構造に適合できる「歯車としての人」が誕生した。歯車としての人は、生産性を上げることだけを目的に存在し、短時間で、効率的に、いかなる要求にもこたえられる、バリバリ働ける「人」が標準になった。
「生産活動にプライオリティをおいている社会である以上、障害者は社会における“無駄な人”。より効率的、目的合理的に行う社会活動の潮流が進めば進むほど、その中で無駄だと見なされる人の位置はシリアスになりうる。どこまで社会を効率化する必要があるのか? 立ち止まって考える必要があるのではないか?」
福島教授はこう訴える。要するに、障害者(=身体に障害がある人)という概念は、「正当に働けない人を見分けるためのものでしかない」のである。
何が普通で、何が普通じゃないのか。何が障害で、何が障害じゃないのか。「個人」の問題とされている当たり前を、「社会」の問題とするとほのかな光が見えるように思う。ただ、闇は想像する以上に深く、早々に解決できるものではない。
だが、上記の「障害者」という部分を、「高齢者」「病を患った人」「働きながら介護している人」「働きながら育児をする人」「外国人労働者」などと置き換えても文章は成立する。
アナタの「まなざし」は何を見つめていますか? 私も今一度、考えてみます。
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