「感動ポルノ」という刃

 これは、ステラさんが、2014年6月に、Ted ×シドニー(プレゼンテーションをテーマにしたカンファレンス)において、「I’m not your inspiration, thank you very much(私はみなさんの感動の対象ではありません。どうぞよろしく)」というタイトルの講演の中で、話したこと。

 彼女は世間で流布されている「感動的な障害者」のポスターやエピソードの事例を示し、「感動ポルノ(inspiration porn)」という言葉で社会における“障害者の役目”を説いた。

・“ポルノ”という言葉を使うのは、ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためにモノ扱いしているから。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしている。

・健常者が良い気分になれるように、障害者をネガティブな存在としてモノ扱いする。自分の抱えている問題が大した困難ではないと、違う角度から見られるようにするために。

・「自分の人生はうまく行っていないけれど、もっとひどい人だっているんだ」と思わせるためのもの。「あんな大変な人もいるんだ」と。

・私は「障害者」という言葉を意図的に使ってきた。なぜなら、私たちの身体と病名よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているから。

……こう感動ポルノたる所以を説明した。

 そして、講演の最後をこう締めくくった。

「障害が例外としてではなく、ふつうのこととして扱われる世界で生きていきたい。部屋で『吸血ハンター 聖少女バフィー』を見ている15歳の女の子が、ただ座っているだけで何かを達成したと思われることのない世界に生きたいです。

 障害そのものは、何も特別なことではありません。でもあなたの障害に対する意識について考えることは、あなたを特別な存在にします。ありがとうございました」

 感動ポルノ―――。

 これほど多くの人たちを後ろめたくする、悲痛な悲しみに満ちた言葉に、私は出会ったことがない。

「もっとさ~、普通に扱ってよ。別に私たちは、みなさんを感動させるために存在してるわけじゃないよ。普通に生きてるんだよ。みんなだって、そうでしょ?」

 そうステラさんは訴えたかった。

 感動ポルノという言葉から、「私たちに同情しないでよ!」という怒りが、肌にビンビンと突き刺さる。同情は、自尊心を傷つける刃だ。そして、感動もまた、刃になる。「あなたに勇気をもらった」「あなたはすばらしい」」――。そういった障害への“まなざし”こそが、障害者にとっての「障害」を産んでいたのである。

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