コミュニティの最小単位は「会話」だと思う

 初めて「Rera」を知った時、「Rreraの活動は人と人をつなぐ役目を果たしているのだろう」と考えていたのだが、Reraは期待したとおり、単なる「移動支援団体」ではなく、車を運転するスタッフと利用者(高齢者や障害者の方)、人と生活、人と人を「会話」でつなぐ大きな役目を担っていた。

 そうなのだ。運転スタッフと利用者、利用者と利用者が「会話」でつながっていたのである。

 一般的にはコミュニティの最小単位は「家族」とされているけど、私は「会話」だと考えている。

 「コミュニティ」という用語は、数ある社会理論用語の中で、珍しくネガティブな意味を持たず、古くから世界中の人々がカフェやパブ、公園などに集い語り合うことで、「社会的なつながり」と「自分の居場所」を見いだしてきた。

 Reraの利用者たちにとっては、その場がReraの車両だった。

 震災後、東北に何度も通って感じたのは「震災や津波、原発事故が奪ったのは、日常の会話だった」ってこと。当たり前のようにあった会話が失われ、孤立している高齢者の方たちがたくさんいたのである。

 「○○さんとこの息子が、××でさ~。奥さん困ってるみたいだよ~」、
 「膝がここんとこ痛くて」「▲先生とこいくと、親切に診てくれるよ」、
 「またお盆か~。早いね~」「ホント早いね~。今年はダンナの三回忌だ」、
  ……etc、etc。

 こういった日常のたわいもない会話は、人の生きる力を引き出す極めて大切な行為だ。

 例えば「おしゃべりな人は認知症になりにくいのでは」とは介護業界ではよく聞かれる話だし、震災後は、仮設暮らしで認知症が進んだ高齢者が、故郷に戻り顔見知りの近所の人たちと触れあった結果、元気になったという話を何度も聞いた。「会話は生存率にも影響する」と指摘する研究者もいるほどである。

 また、年をとってくると、昨日までできていたことができなくなったり、当然ながらモノ忘れも増える。

 そんなとき「私なんてこないだ○○をわすちゃったよ~」と愚痴を言えて、「あらあら困ったね~」と一緒に笑い飛ばしてくれたり、一緒に困ってくれる人がいると、それだけで、ちょっとだけ安心することもできる。

 個人的な話で申し訳ないけど、私も母が1人で暮らしているので「日常のたわいもない会話」の大切さを日々痛感している。
 いったい何度、物忘れをして落ち込む母をみてきたことか。その度に「父がいれば、笑い飛ばして終わりに出来たのに……」とやるせない気持ちになる。

 普通に暮らしていると気がつかないものだが、日常を作るのはこういったたわいもない「会話」なのだ。

 私が現場でみたReraは、まるで「家族」のようで。ぬくもりとやさしさと強さと……、まさしく人の生きる力を引き出す「力」を持つ団体だった。

 私たちがひとりで暮らす母親を心配するように、運転スタッフが利用者の一挙手一投足に気を配る。
 といっても手取り足取り、関わるわけではない。

 ちょっと頑張ればできるところはがんばってもらい、サポートが必要なところにはさりげなく手を差し伸べる。

 たとえば、同行させてもらった運転スタッフは、震災前、社会福祉士さんとして働いていたのだが、その経験を生かし、
 「ばあちゃん、○●に行けばこういう支援を受けられるよ」
 「▲に電話すれば、大丈夫だよ」
 とアドバイスする。

 「アドバイスどおりにちゃんとやってくれたかどうかは、いつも気になるんですけどね。……うん、それ以上はね……」

次ページ 運営資金不足の壁