ちょっとばかり余談になるが、今から2年前、Twitterユーザーが、とある調剤薬局で撮影した、WHOが定める健康の基準が書かれた額がTwitter上で話題になった。
- 「こんな定義されたら日本の社畜どもはほとんど不健康やないけw」
- 「今のご時世「健康」なひとは居ないんじゃないの?」
- 「人間定年を過ぎれば健康になるんじゃないか?」
- 「そんな難しいこと言われても……」
- 「じゃあ、健康な人見たことない」
- 「世界の健康の壁は高い! 高すぎる!!」
などなど、現代の日本でこの基準はあまりにも厳しすぎると瞬く間に拡散。
「世界の健康の壁は高すぎる」と言う意見には失笑してしまったけど、健康問題はいまだに「個人の問題」と日本では受け止められているけど、「世界では社会の問題」と理解されているのだ。
また、WHOの健康の定義は、「スピリチュアル」な側面を加えるモデルも70年以降提唱されている。
ここでいうスピリチュアルとは霊的なものではなく、「人生に意味や方向付けを与えるもの」のこと。欧米では宗教であり、日本では、例えば五木寛之さんの著書だ。
つまり、仏教を信仰しなくとも、その教えを説いた書籍を読み終え、人生の光を得た気持ちになれば「スピリチュアル」になるというわけ(五木さん以外の書籍などにも同様の役割を担うものあり)。
単項目が多用される理由は「感度の良さ」
……ちょっと脱線したので本題に戻ろう。
さて、主観的健康という言葉は日本では広く使われているが、欧米ではsubjective health、perceived health、self-rated health、self-assessed healthなど呼称は統一されていない。
また、尺度もいくつか存在し、複数項目で加算し得点化するものもあれば、単項目もある。
ここ数年は単項目で測定するものが国内外を含め多数を占める。
私がこれまで行った調査でも、よほどの理由がない単項目を使っている。
具体的には「私は健康である」に対して、「全くその通りだ」~「全く違う」の4~5段階で回答したり、「あなたは健康ですか?」との問いに、「とても健康」~「健康でない」と4~5段階で答えるのが一般的だ。
単項目が多用される理由は「感度の良さ」にあるといっても過言ではない。
「測りたいものが測れる」感度の良さと(信頼性と妥当性)、「その他の要因との関連」を分析する際の感度の良さが単項目のウリ。
例えば単項目を使った調査で、国内外の多くの先行研究から「主観的健康度が高い人ほど疾患の有無にかかわらず生存率が高い」ことや、「病気の予後や平均余命にも強く影響を与える」ことがわかっている。私が関わった調査研究でも、主観的健康度の高い人は術後の経過が良く、リハビリの効果も出やすいことに加え、人生満足度や職業満足度が高かった。
医療技術は日進月歩で、多くの病が「死の病」から「共に生きる病」となった。現代社会では、「いかに自分の健康状態を認識するか」が重要となる。
つまり、「うん。私は大丈夫だ!」という前向きな気持ちに加え、「生きてるっていいね!」と思える社会作りも大切なのだ。
それだけではない。ここからが働く人にとって、極めて重要な知見である。
なんと「主観的健康」が、心疾患やがんといったストレスとの関連の高い病気の単独の予測因子にもなることが追跡研究でわかってきているのだ。
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