はい、そうです。私の脳内ツッコミ隊は「なぜか少ない」という、まるで他人事の言葉に敏感に反応し、おそらくストレスを一切感じていない幸せな記者さんに、「なぜか? って、なんでやねん! もうちょっと考えてみ!!」と、大暴れした、というわけ。

 そこで今回は「私は健康か?」について、アレコレ考えてみようと思う。

WHOの定義から派生

 まず最初に、主観的健康について、少々専門的になるけどとっても大切なことなので説明します。

 「自分は健康だ」という主観的健康は、1946年にWHO(世界保健機関)が健康を以下のように定義したことから派生した指標である。

 Health is a state of complete physical, mental and social well-being and
not merely the absence of disease or infirmity.

 健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること。

 精神的・社会的とは具体的には……

  • 孤立や対立がない
  • 居場所がある
  • サポートが得られる
  • 役割がある

 ことで、これらに満足している状態を「健康」とした。

 この定義が発表された当初、あまりに理想的すぎるという批判もあったが、

 「健康は個人の問題じゃなく、社会の問題。人権であり、個人を尊重すること。それを追求する義務がアナタたちにあるんですよ」

と戦争でたくさんの人たちの命が失われた反省を世界各国に持ってもらいたいと、WHOは「精神的・社会的」という文言を加えたのだ。

 そこで「ならば医学的視点だけではなく、社会学的視点からも、心理学的視点からも健康を捉えなくては!」と気運が高まったものの、「病気ではない、弱っていないのに、肉体的に~とか、精神的に~とか、社会的に~とか、どうやって測ればいいんだ?」との議論を呼んだ。

 この疑問に答えようと、世界中の研究者たちがあれやこれやと考え、たどり着いたのが Well-being や QOL(quality of life)などの概念で、それを測定する尺度も開発された。

 一方、「もっとシンプルに考えていいんじゃね?」という流れの中で生まれたのが、「私は健康である」と主観的に捉える主観的健康である。米国では1972年以降の、National Health Interview Surveyに、日本でも86年の国民生活基礎調査から導入されている。

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