ただ、今回、「ズドン!」と弾を打たれて、少しだけ楽になった。今は必死で抗い続けても、「もう、いいかな」と思ったときに、絶対的価値で生きる選択をすればいい。そう思っただけで、少しだけ楽になったのである。

 市場経済では、おカネが絶対的な価値を持つものであったとしても、人間にとっては、人それぞれに価値のあるものが存在し、その絶対的価値あるものに向かっていくことが無用な不安を払拭する。

 ひょっとするとその「絶対的価値」を持てない、こと自体が、現代社会の問題かも、と思ったりもする。家族がいればなおさらのこと。自分では「生活のレベルと落としてもいい」と思っても、それを簡単には許さない“ナニか”が、不安を増殖させる。

 負け組、格差社会、下流老人、老後破綻……。そういったセンセーショナルな言葉自体も、相対的価値を助長する。そんな風に考えることはできないだろうか。

多少のけがをしたり、痛い思いをするかもしれないけど

 もちろん、絶対的な価値観で、すべてが解決できるわけじゃない。

 下流老人、老後破産という新しい言葉が生まれるのは、そういう現象が社会で増えているからだし、一回でもつまずくとやり直すのが難しい、一回でも病気になると働くのが厳しい社会構造は変えるべきだ。

 でも、絶対的価値を持つことが、不安から脱する最大の武器になることは間違いない。崖から飛び降りたときは、多少のけがをしたり、痛い思いをするかもしれない。でも、それは真の自由を手に入れることであり、幸せな人生を全うすることでもあるように思う。

 その勇気を、私たちは持てるだろうか? 大切な人と絶対的価値観を共有するには、どうしたらいいのか? 

 20年なんてアッという間。今、50歳の方は、気がついたときには、70歳。みなさんの絶対的価値は何ですか? 是非、お聞かせいただければ幸いです。よろしくお願いします。