……ふむ。確かにこれまでにも、似たような話は何度も聞かされてきた。

 「部下はめんどくさいからいっさい関わらない。評価で×をつけるだけ」とまで断言する人や、
 「一体どこまで部下に気を使わなければならないのか」と嘆く人。
 「このままではプロが育たない。企業は立ち行かなくなる」と先を案ずる人も……。

 新しい言葉が広がるのは、その言葉がよく当てはまる問題があっちこっちで起こり、何らかの共通ワードが求められるからにほかならない。パワーハラスメント(=パワハラ)という言葉は、実は和製英語。欧米では「モビング(mobbing)」あるいは、「モラルハラスメント(moral harassment)」。わざわざ“Power”という言葉が日本で用いられたのは、上司からのハラスメントが日本では多かったということなのだろうか。

 いずれにせよパワハラという言葉が生まれ、問題が表面化し、救われる人が増えたことは、ホントに良かったと思う。

 その反面、言葉が独り歩きし、拡大解釈されるようになると副作用も起こる。
 例えば、自分の気に入らない上司の言動はすべてパワハラになってしまったり……。

 自分の思い通りに仕事がはかどらなかったり、どんなにやっても結果がついてこなかったり、どんなに頑張っても認めてもらえなかったときに、「あれってパワハラでしょ」と、「パワハラする上司とそれに耐える部下」という構図に置換することで、少しだけ救われるのだ。

 パワハラは専門家でも認定するのが難しい事案である。だからこそ、「受け手の主観」が重要視されてきたわけだが、昨今のパワハラ事情を鑑みると、次のフェーズに進むべきときが来ているように思えてならない。
 セクハラは「受け手主観」で決めるべきだが、パワハラには、もっときちんとした線引きが必要なんじゃないか、と。

 まずは「パワハラ」と「虐待」を分ける。
 繰り返すが、「仕事の改善」につながる文言が一切含まれない暴言、すなわち「死ね」「生きてる意味がない」などはすべて虐待。「蹴る」「殴る」「叩く」などの暴行も虐待。

虐待と峻別したうえで、境界線を決めるべき

 それらの虐待行為を排除した上で、「パワハラ」と「指導」の境界線を議論すべき。

 虐待とパワハラの区別が曖昧だから、いつまでも卑劣な虐待が後を絶たない一方で、「え? こ、これもパワハラになってしまうわけ?」と上司が萎縮するのだ。

 そもそも2012年に厚労省が定めた、「 職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言 」の「パワハラの定義」がいただけない。

 それまではパワハラの明確な定義がなかったので、厚生労働省の外郭団体の中央労働災害防止協会の定義を使うのが一般的だった。

「職場において、職権などの力関係を利用して相手の人格や尊厳を侵害する言動を繰り返し行い、精神的な苦痛を与えることにより、その人の働く環境を悪化させたり、あるいは雇用不安を与えること」(中央労働災害防止協会)

 上記のように、「人格や尊厳を侵害する言動」と「繰り返し行う」という文言が含まれていた。

 ところが、厚労省の定義では……、

「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」

 と重要な識別点であるはずの「継続性」が削られた。