「志」を奪った理不尽なテロ

 意志力を、あえて「志」と置き換えてみると、彼の分析がもっとわかりやすくなる。

 例えば、バングラデシュのテロで、途上国発展のために情熱を注ぎ、汗を流していた日本人7人の方たちには、明確な「志」があった。

 テレビ画面に映し出された、事件前の7人の方たちには、笑顔がみなぎっていた。言葉も文化も違う土地で、そこに行った人にしか知り得ない、いろいろな困難やいくつもの壁にぶつかっただろうに、彼らは生き生きとした、温かい笑みをうかべていた。

 自分の仕事への誇り、国際援助に関わることへのワクワクした感情。いかなる状況の中でも、何をすべきかを考え、プラスαのパフォーマンスを発揮する。そんな力強さが彼らにはあったはずだ。

 いや、彼らだけではない。彼らと一緒に写っている人たちの、笑顔。そこには目に見えない大切なモノがたくさん散りばめられているように、私には見えた。

 その志が、皮肉にも日本を参考にして国旗を作ったとされるその地で、許されないカタチで断ち切られた理不尽さには、強い怒りを感じる。これに関する意見は、他のコラムに書いたのでここでは深くは触れないけれど(バングラテロの犠牲者7人に“国葬”を!)、世界に誇る高い技術力と、現地に寄り添う謙虚さ、そして、何ものにも変え難い「高い志」を持った人たちがいたからこそ、世界各地で「日本人はすばらしい」と評価されているのではないだろうか。

 志も意志力も、冒頭の男性がそうだったように、恐らく誰もが実際には持っているんだと思う。

 ところが、大きな川に漫然と流され続けていると、その意志力を忘れてしまったり、日常の雑務で追われ、仕事をこなしているうちに、意志力の存在そのものが心の奥深くに閉じ込められたりする。

 かの吉田松陰は、「志を立てて、以って万事の源となす」と説き、「志を立てることからすべては始まる」と、弟子たちの心の中に志を確立することを教育の主眼に置いた。

 あなたの志はなんですか? 意志力はなんですか? 少しだけ仕事が楽しくなるためにも、是非、考えてみてくださいまし。