「上司から、『キミは義務感だけで仕事をしてる』って。言われたときは意味がわからなかった。いいじゃん、義務感持って、ちゃんと仕事してるからって。でも、今日、講演を聴いて気がつきました。僕には“意志力”がなかった。目から鱗でした!」
先日、若手社員向けに行った講演会に参加した30歳の男性社員から、こんなメールが届いた。
意志力(Grit)――。
これは「自分がなりたいもの」や「自分がやりたい仕事」ではなく、「自分がどうありたいか?」「自分がどういう価値観の下で自身のキャリアを形成するか?」といった仕事上の、いや人生上の価値観や信念のこと。
「“意志力”を明確にできれば、Grit(=意志力)の翻訳どおり、気骨、不屈の精神、前向きな力を持って、仕事に取り組むことができる。意志力は、心のエンジン」
私が講演会で、こんな具合に意志力の大切さを話していたので、「目から鱗」メールを送ってくれたのだ。
「義務感だけで仕事をしている」という批判の意味
義務感だけで仕事をする、か……。
ふむ、これってどういうことなのだろう。
言われたことしかできない? 自発的に動けない? 多くの上司たちが部下に対して抱えるこういった不満を意味しているのか?
それとも、ただ単に「情熱のかけらもなく、淡々と仕事する」ことに、上司は物足りなさを感じていたのか。
あるいは、よくお店のレジで、おばあさんがお財布から小銭が上手く出せないときに、「ゆっくりで大丈夫ですよ~」とか、「その500円玉で足りますよ~」とか、一声かけてくれるだけでもいいのに、ただただボ~ッと動きを止めるだけで、肌のぬくもりが微塵も感じられない機械的な働き方のことなのか。
実際の彼の働きぶりは想像するしかない。だが、誤解をおそれずに率直に言わせていただくと、義務感だけで仕事ができるなんて、ちょっとばかりうらやましかったりもする。
個人事業主のフリーランスがそれをやったら、食べていけなくなる。「アンタじゃなくても、別にいいよ」と言われるのがオチ。
もちろんそれは未熟な私レベルの話で、「○○さんしかいない」という社会的地位を確立したフリーの方には当てはまらないのかもしれないけれど。
いずれにせよ、「働く」という行為が何かとネガティブに捉えられる、ざらついたご時世で、彼に「意志力」が刺さったのがうれしかった。
しかも、意志力の欠如が「義務感だけで仕事をする」ことだったとは! 私も目から鱗が5枚ほど落ちた。
なんせ、「意志力を明確にすることの重要性」は散々、訴えてきたし、研究も積み重ねてきたが、「意志力の欠損」に関しては、なおざりだったから。
おまけに彼のメールには、彼が行ったちょっとした調査結果も書かれていて。それが実に興味深く、是非ともみなさんにご紹介したいと思った次第だ。
というわけで、今回はこの男性の知見をベースに、「意志力」をアレコレ考えます。
意志力のある人とない人の違い
「私は仕事を真面目にやってきました。きちんと成果も出してきました。といっても、チームでひとつのプロジェクトに取り組むので、私個人だけの力ではありません。
それでも自分の分担はしっかりやっていたつもりだったので、上司から、『キミは義務感だけで仕事をしてる』って言われたときは、自分に対するダメだしだと思っていたんです。
そもそも上司のいう“義務感”の意味がわからなかったし、義務感だろうとなんだろうと、ちゃんと仕事してるんだからいいじゃないかと、反発も正直ありました。
でも、講演会で『意志力』のことを聞いて。意志力を明確にすることが、『一歩前に踏み出す』ことの原動力になるとわかって。私にはなかった視点で、目から鱗でした。
自分には意志力がない。なかった。というか、具現化できていなかったんです。
講演を聞いたあと、自分の意志力は何なのかなぁって、ず~っと考えていました。河合さんが教えてくれた、見つけ方も実践してみました。でも、あと一歩、というところまでくるんですけど、『これだ!』ってところまでたどり着けない。それで周りの人の意志力を聞いてまわったんです。
『この仕事を、なぜ、してるのか? この仕事を通じて、何を実現したいのか?』と、総勢50人くらいに聞いて回りました!
私の質問に即答する人、考え込む人、ありきたりの答えをいう人、情熱的に語る人、いろいろいました。それで、答えられた人=意志力のある人、答えられない人=意志力のない人、ってわけて、両者で何が違うのか?を考えてみたんです。
意志力のある人とない人の違い。意志力のある人は、何か問題にぶつかったときに、『どうやれば解決できるか?』を考えて動いていました。何かのせいにしたり、文句をタラタラいうんじゃなくて、具体的な解決策を考えて、実行してる。
意志力のある人は、期待を超えるアウトプットを出しているなぁ、とも感じました。たとえ、最終的なアウトプットにプラスαがなくても、そこに至るプロセスに工夫があったり、より効率的であったり。常にポジティブに取り組んでいる。
河合さんが『意志力が明確になると、一歩前に踏み出すことができる』って言ってましたよね? 確かに私の周りの意志力のある人は、一歩前に踏み出そうとしている人たちだった。
私の意志力は何なのか? まだ、これだ!と、100%明確にはなっていません。でも、おぼろげながらその姿が見えてきました。
なんか青臭くて、自分でも頬が赤くなってしまうようなことなんですけど、『人に話しているうちに具現化できる』と河合さんが言っていたので、別紙にまとめたので見ておいてください。よろしくお願いします!」
以上が、彼から送られてきたメールの一部です。
「意志力」がなければ、困難は乗り越えられない
ちなみに別紙には、「うわぁ!ステキ!」と、嬉しくなるような彼の“思い”が書かれていた。
彼は「まだ、100%明確になっていない」と言っていたけど、それでいいのだと思う。だって、「自分がどうありたいか?」「自分がどういう価値観の下で自身のキャリアを形成するか?」といった人生上の価値観、すなわち意志力は、個人の内部に宿る内的な力。その存在にまずは気付き、どんどん掘り起こしていけば、やがて明確になる。
大抵の場合、なんらかの壁にぶつかったときにこそ、「そうだ。これだ!」とはっきりする。
私は常々、困難とは“ストレスの雨”であり、それに対峙する“傘”をたくさん持っている人がストレスに強い人である、と言ってきた。
ストレスに対峙する傘には2つの置き場所がある。自分の心の中にある「傘=内的資源」と、自分を取り囲む環境にある「傘=外的資源」だ。
内的資源は「内面に潜在的に存在する、知識や信念、才覚」のこと。意志力とは、まさしく内的資源なのだ。
「意志力のある人は、『どうやれば解決できるか?』と、具体的な解決策を考えて、実行してる」――。彼が分析したとおり、この内的な力なくして、厳しい仕事を成し遂げることも、困難を乗り越えることも、容易ではない。
個人的には、彼の調査で、自分が信念をもって訴えてきたことが、実証されたようでうれしかった。
だから、ライブ(=講演会)はやめられない。同じ話をしても、受け手次第で化学反応が起きる。それが今回のように、私自身の糧になる。
それは、私の意志力がさらに強固になっていく瞬間でもあり、「また、がんばろう!」と勇気が出る瞬間でもあり。とにもかくにも、いろんなことが上手くいかなくて折れそうになっていた心に、息吹を吹き込んでくれた彼に、心からありがとう!と感謝した。
ハイパフォーマーを生む「計画的訓練」と「意志力」の関係
そもそも「Grit(:グリット=意志力)」という概念が生まれたのは、米フロリダ州立大学心理学部のアンダース・エリクソン(K Anders Ericsson)教授が提唱する「計画的訓練」がきっかけだった。
「優れたパフォーマーと、パフォーマンスを発揮できない人の違いは、不変のもの、すなわち遺伝子に定められた才能によるものではない。このような違いは、生涯にわたって行われる、パフォーマンス向上のための計画的訓練(deliberate practice)によって生じる」
エリクソン教授は、こう世の中に訴えたのである。
米誌「ザ・ニューヨーカー」のマルコム・グラッドウェル氏が世の中で“天才”と呼ばれた偉人たちを調べ上げ、導き出した
「彼らは生まれながらの天才ではない。1万時間ものトレーニングを積み重ね、天才と呼ばれる能力を開花させたのだ」
という「1万時間の法則(10000-hour rule)」は広く知られているが、これこそが「計画的訓練」である。
一方、計画的訓練の重要性が明らかになってからというもの、世界中の研究者たちから、
「何をもって計画的訓練というのか?」
「どんなやり方でも、1万時間トレーニングすればいいのか?」
「1万時間も努力を持続させるには、どうしたらいいのか?」
「それができること自体が、ある種の特別な能力なんじゃないか?」
などなど、さまざまな議論が巻き起こった。
そこで注目を集めたのが、「Grit(:グリット=意志力)」。「Gritこそが、計画的訓練を可能にする」ということが、さまざまな実証研究で認められたというわけ。
そして、今回。彼は“意志力”が、「困難を乗り越えるための資源」や「計画的訓練の源泉」だけではないことを教えてくれた。
意志力がないと、義務的になる――と。
義務でする仕事は、楽しくない。満足感や達成感を得ることもない。やらなきゃならないから、するだけのこと。言われたことを淡々とやるだけ。義務感の仕事の主語は「自分」ではなく、「他者」だ。
だが、意志力を意識すれば、少しだけ変わる。送られてきた別紙には、彼の夢が書かれていた。夢を夢で終わらせない人と、語るだけで満足する人の違い。それが「そこに意志力があるか、ないか」だということを、彼は教えてくれたのだ。
「志」を奪った理不尽なテロ
意志力を、あえて「志」と置き換えてみると、彼の分析がもっとわかりやすくなる。
例えば、バングラデシュのテロで、途上国発展のために情熱を注ぎ、汗を流していた日本人7人の方たちには、明確な「志」があった。
テレビ画面に映し出された、事件前の7人の方たちには、笑顔がみなぎっていた。言葉も文化も違う土地で、そこに行った人にしか知り得ない、いろいろな困難やいくつもの壁にぶつかっただろうに、彼らは生き生きとした、温かい笑みをうかべていた。
自分の仕事への誇り、国際援助に関わることへのワクワクした感情。いかなる状況の中でも、何をすべきかを考え、プラスαのパフォーマンスを発揮する。そんな力強さが彼らにはあったはずだ。
いや、彼らだけではない。彼らと一緒に写っている人たちの、笑顔。そこには目に見えない大切なモノがたくさん散りばめられているように、私には見えた。
その志が、皮肉にも日本を参考にして国旗を作ったとされるその地で、許されないカタチで断ち切られた理不尽さには、強い怒りを感じる。これに関する意見は、他のコラムに書いたのでここでは深くは触れないけれど(バングラテロの犠牲者7人に“国葬”を!)、世界に誇る高い技術力と、現地に寄り添う謙虚さ、そして、何ものにも変え難い「高い志」を持った人たちがいたからこそ、世界各地で「日本人はすばらしい」と評価されているのではないだろうか。
志も意志力も、冒頭の男性がそうだったように、恐らく誰もが実際には持っているんだと思う。
ところが、大きな川に漫然と流され続けていると、その意志力を忘れてしまったり、日常の雑務で追われ、仕事をこなしているうちに、意志力の存在そのものが心の奥深くに閉じ込められたりする。
かの吉田松陰は、「志を立てて、以って万事の源となす」と説き、「志を立てることからすべては始まる」と、弟子たちの心の中に志を確立することを教育の主眼に置いた。
あなたの志はなんですか? 意志力はなんですか? 少しだけ仕事が楽しくなるためにも、是非、考えてみてくださいまし。
この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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