いったいあの騒ぎは何だったのか? まだ、一週間も経っていないというのに、政治資金の「せ」の字も報じられなくなった。

 なんで、こんなにも熱しやすく、冷めやすいのか。どんな出来事も、そこに「人の心」という変数が加わることで、大きくなったり、小さくなったりするものだが、まるで集団リンチのような“舛添事件”は、いったい“誰のため”のモノだったのだろう。

 奇しくも、舛添東京都知事が辞職願を提出した翌日、東京電力福島第一原発事故の「炉心溶融」非公表問題で、当時の清水正孝社長が「炉心溶解という言葉を使うな」と社内に指示していたことがわかったと報じられた(第三者検証委員会の報告書にて)。記者会見前の社内のテレビ会議で、「メルト」という言葉を使っていた副社長(当時)に、清水社長がストップをかけたのである。

 第三者検証委員会は、「官邸側から、発表する際には事前了承を得るよう要請があったと推認される」とし、関連して、当時の“官邸”(=民主党)からの指示があったかのような映像が、繰り返し流された。

 一方、官邸側(菅直人・枝野幸男両氏)は関与を否定。「恣意的な報告は選挙妨害の疑いがある。東電や検証委の弁護士に対して法的措置も含めた対応に着手する」と枝野氏は憤った。

 このニュースは、これからどういった報じ方をされていくのだろうか。

 全く関係ないように見える、舛添事件と東電事件(あえてこう呼びます)も、心の動きから紐解いていくと、根っこが同じであることがわかる。

 そう。政治家だけでもなく、メディアだけでもなく、東電だけでもなく、どこの会社でも、誰にでも起こりうる、「自己保身」という“人”ならではの狡猾さである。

 しかも、そこには必ずといっていいほど、被害を被る人がいる。で、実は、“舛添事件”のような不毛な出来事は、私たちの身近な社会でも大なり小なり起きているように思う。

 そこで今回は舛添事件を題材に、「自己保身」について、アレコレ考えてみます。