「左遷」と言う言葉は甘えの発露

楠木:「左遷」と感じるということは、会社に対する期待の裏返しなんです。自分を正しく評価してくれるだろう。会社はずっと自分の味方でいてくれるだろうと。でも、それは間違いなく幻想なんですよ。

 先ほども言いましたが、会社という共同体にいると守ってくれるだろうという錯覚に陥いることがあるのです。もちろんそういう幻想や錯覚にも意味はあります。ただ終身雇用や年功序列が守られていた時代は良かったのですが、今はそれも相当崩れています。

河合:たしかに最近は、会社組織もスリム化して、上のポジション自体が減っていますよね。キャリアパスも描きにくい。

 そうなると、以前に比べたら、左遷に直面する年齢も若くなっているんじゃないですか? 私がフィールドインタビューしていても、もう30代くらいから、「このままでいいのかな」と考えている人が少なくないって感じます。

楠木:その通りだと思います。バブル期後に入社した世代は、それまでの世代と会社との距離感や考え方が異なっているというのはよく感じました。ただ、左遷って、その後の働き方を考えるきっかけになる側面もあるので、決して悪いだけのものではないんですけど。

河合:同感です。ちなみに、一度左遷に遭ったとして、その後、復活の目はないんですか?「立ち止まって、自分を見つめ直して、もう一度頑張ってみたら」って世のオジさんたちに言いたくなったりするんですが…。

楠木:年齢によって異なってきます。40歳ぐらいになったら社内的な評価もだいたい固まっていてポストも少なくなっています。そこから大逆転とかは現実的には難しいですね。例外的なパターンとして、3つほど考えられます。

河合:どのようなケースですか?

楠木:元上司や同期が出世して引き上げてもらうとか、病気や不祥事でポストに空席が生じるとか。あとは社会的な要請があるとか。最近の女性登用の流れもその一つでしょう。

 ただいずれも他人頼みなのです。出世だけが企業における生き方ではありません。どんでん返しを狙うよりは、会社との距離感を測りながら働き方の見直しを考えた方が現実的だと思います。

河合:女性登用の流れというのは、いわゆる「女性枠」と呼ばれるような特別枠ができないとって、ことですね。なんか…う~ん……。

 ただ、左遷を嘆く声には、一部、ちょっと甘えも感じたりします。役職定年になっても会社で働き続けたい。で、会社としては、それなら、今とは違う仕事かもしれないが一生懸命やってほしいと。それを左遷といわれては、経営側からすれば立つ瀬がない。キツイ見方ですか?

楠木:「左遷」を口にする場合、たしかに社員の心のどこかに甘えがあります。左遷を、「自分は劣っていないのに」という言い訳に使っている人もいます。自分のプライドもあるし、そうしないと心情的に落ち着かないわけですね。