75年の9月に、総理大臣を本部長にした「婦人問題企画推進本部」が作られ、「婦人問題企画推進会議」「婦人問題担当室」が設置された。が、これは1975 年を「国際婦人年」と定めた国連の外圧による部分が多く、いわばスタートも“ショールーム”だったのである。

日本以外の国々では「ジェンダー視点」が主流化

 たとえスタートがショールームであっても、その後もっと真摯に取り組めば良かった。でも、日本は、各国が並行して「女性」に権限を与え、クオーター制に代表される「女性政治家を増やす努力」をしているのを「見ないふり」をし続けた。

 女性たちの努力が足りなかったのか? あるいは男性にやる気がなかったのか? 答えを出すのは難しい。

 ただひとつだけ明らかなのは、日本以外の国々ではもはや「女性」という利用価値の高い記号を使うのやめ「ジェンダー視点」を主流化させているのに対し、日本はいまだに記号としての「女性」を多用しているという事実である。

 奇しくも先日、候補者男女均等法が施行されたが、女性を当選しやすくする選挙制度(比例名簿に女性を上位に入れる)は、自民党を中心とした議員たちの猛反対で棚上げになった。

 しかも努力義務。「とりあえず法律は作りましたよ~」とアリバイだけは作ったかっこうである。

 46年4月10日に行われた第22回衆議院選挙で、園田天光光さん(故人)を含む39人の日本史上初めての女性代議士が誕生したのは、一枚の投票用紙に「3人の候補者の名前を書ける」という手段を講じた影響が大きい。

 ところが翌年の衆議院選挙で、吉田茂内閣は1人の名前しか書けない形に変更。女性だけでなく男性からも「それでは女性が当選しずらくなる」と不満が出たのにもかかわらず、聞く耳を持たず結果的に15人しか女性議員は当選しなかった。

 政府は「このままでは共産党の議員が増える」とGHQ(連合国軍総司令部)に訴え、選挙制度の変更を説得したとされている。

 ……。ショールームやアリバイ作りは、もういらないのです。

 男女が半分半分なのに、なぜ、政治家は男性が大半なのか? なぜ、女性政治家は活躍できないのか?

次ページ 「ケア労働」にもっと価値を見いだす