ところが法務省は今回の事件を受け、GPS端末で受刑者を監視する案の検討をスタート。松山刑務所の吉田博志所長も会見し、「今後の作業場の運営について、収容者の面接やカウンセリングの仕方、自治会のあり方、刑務官の指導方法をはじめ、施設のハード面まで総合的に見直し、再発防止策を検討していく(参考記事)」とした。

問題が起こる→厳罰、は解決の手立てになるのか

 目撃情報のあった向島に投入した捜査員は延べ6000人超。住民の方たちの不安とストレスを鑑みれば、なんらかの対策を施すことは必要だろう。

 だが、問題が起こる→監視、問題が起こる→厳罰、という方向性は、果たして問題を解決する手立てになるのか。

 メディアは「厳し過ぎる作業所」「刑務官のイジメ」「脱走犯の多さ」といったネガティブな面だけを取り上げ、「刑務官批判」ともいえる報道を繰り返しているけど、私が塀の中で感じたのは、刑務官たちの愚直なまでの優しさと厳しさだった。

 彼らは「少しでも受刑者たちの励みになれば」と正月に餅つきをしたり、クリスマスには小さなケーキを振る舞ったり、日常の食事も決められた予算の中で少しでも美味しいものをと、知恵を絞っていた。出所後にサポートしたくても、接点をもってはいけないという規則があるので「無事」を願うしかない。

 偶然スーパーなどで出会い、向こうから「がんばってます!」と声をかけてくれたときが唯一、「自分たちのやっていたことは無駄じゃなかった」と思える瞬間で、「二度と戻ってきません」と出所するときに断言していた受刑者が、再び戻ってきたときの空しさなどを話してくれた。

 大井造船作業場の刑務官の方たちも、同じだと思う(人事院のホームページから)。

 これは「人事院総裁賞」職域部門賞を受賞したときのもので、

  • ・「民間従業員の方々が受刑者の謙虚な態度に感嘆し、部下として、あるいは同僚として受刑者を温かく見守ってくれている」ということ
  • ・「開設当時は、地域には懲役受刑者に対する忌避感があったが、今は町内清掃奉仕の際、『おはようございます。ご苦労さま』と声を掛けてくれる」こと
  • ・「受刑者の活動を発表する文化祭には、地域から多数の方々に御来場いただき、彼らの活動に温かいまなざしを向けていただいている」

といったことが、刑務官がインタビューに答える形で掲載されている。

 刑務官たちのはにかんだ笑顔は、自分たちの思いが届き、数字として現れていることへの誇りだ。

 冒頭で紹介した坪内氏は53年に「町の唯一の産業である来島船渠を再建してほしい」と、波止浜町(現今治市)の今井五郎町長に拝み倒され、来島船渠(せんきょ、後の来島どっく)の社長になった。再建に失敗すれば何もかも失ってしまう。妻のスミコには「一文無しになってもいいか」と問うほどの覚悟で挑んだそうだ(「向学新聞」より)。

 最初の仕事は工場内の雑草抜きと機械のさび落とし。工場は蘇るも一向に注文が来ない。そこで坪内は「海を走るトラック」と呼ばれる貨物船を作り、船主たち販売。これが成功し、来島船渠は生き返った。坪内氏は85年に円高不況で、来島どっくグループが6000億円超の負債額を抱え窮地に追い込まれた時も、個人資産の全てを投げ出し、最後まで資金繰りに苦悩する船主たちを守り続けた。

 そんな「現場の人たち」に寄り添い続けた坪内氏が、亡くなる瞬間まで尽力したのが、囚人の更生保護事業だ。

 「金もいらん、名誉もいらん、わしがあの世に行く時は、手紙で一杯になっている段ボール箱一つ担いでいくんだ」

 坪内氏は晩年、受刑者から届いた感謝の手紙を身辺から離さず、折にふれ、側近に読ませていたという。

 坪内氏は逃亡犯に、何と声をかけるだろうか?
 坪内氏は、監視を強めようとする動きに、どう意見するだろうか。

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