多くの刑務所では、外からみるとただの物理的な塀が、中に入ると“正に壁”として存在する(写真:高口裕次郎/アフロ)
今回のテーマは「自首」、いや「自主」。
しょっぱなから、ギャグにもならないオヤジギャグ(オババギャグ? 笑)で申し訳ない。が、連休のリフレッシュな気持ちもつかの間、現実の“塀の中”で萎えそうになっている気持ちに喝を入れるべく、自主的に動く、ことについてアレコレ考えてみようと思った次第だ。
「人間関係がイヤだった」との理由(本人説明)から、22日間の逃亡劇を演じた男が収容されていた松山刑務所大井造船作業場(愛媛県今治市)は、ご承知のとおり「塀のない刑務所」の異名をもつ開放的矯正施設である。
その開設に尽力したのが、一代で造船・海洋を中心とした来島グループ(来島ドックグループ、180社を超える巨大企業群)を作り上げた坪内寿夫氏(故人)だ。坪内氏は誰もが匙(さじ)を投げるような倒産寸前の企業を、ことごとく引き受け、蘇らせた。
その手腕を強引すぎると批判する人もいるが、そこには「現場の従業員たちを路頭に迷わせたくない」との強い信念があった。
1961年、坪内氏は来島ドックの大西工場(現:新来島どっく大西工場)を新設する際、松山刑務所の構外に泊まりこみ作業場として、木造平屋建ての大井作業場を開設。この更生保護事業が、現在の松山刑務所大井造船作業場の原点である。
受刑者が収容されている鉄筋5階建ての寮舎(友愛寮)は出入り自由。部屋には鍵がなく、窓の鉄格子もない。刑務所の作業員は大西工場で一般従業員と一緒に働き、区別されているのはヘルメットの色のみ。作業のスキルアップに必要な資格取得の際には、一般従業員の上司から指導を受ける。
休日には地域の海岸や神社、駅の周辺の溝、標識などの清掃活動にも積極的に参加し、受刑者たちで自治会を組織し受刑者を管理するシステムを取るなど、受刑者として厳しい規律を課せられる以外は、当人たちの自主性に任されている。
61年の開設から2011年までに3547人の受刑者が就業し、そのうちおよそ7割の2517人が仮釈放され、8割が鉄工の仕事、2割は飲食等の仕事に就いているそうだ(アムネスティ・インターナショナル日本より)。
大井作業場で刑期を終えた全受刑者が再び刑務所に入る「再入率」は6.9%で、全国平均の41.4%と比べると大幅に低い。また、仕事に就いている人の再犯率が7.6%であるのに対し、無職者は28.1%と4倍も多いことから、法務省では積極的に受刑者たちのキャリア支援に取り組んでいる(平成21~25年度「保護統計年報」)。
“塀”の高さにショック
以前、私が刑務所を訪問した時のことはこちらに書いた(“塀の中”で見えた「依存なき自立」観の罪深さ)。
受刑者たちにキャリア教育を行なっている支援者の方から、「刑務所内でのキャリア支援は、再犯を防ぐためにとても重要です。もっと受刑者に効果的な授業をやりたい。そのために力を借りたい」といった内容のメールをいただいたのがきっかけだった。
刑務所を初めて訪問したとき、私は“塀”の高さにショックを受けた。外からみるとただの物理的な塀が、中に入ると正に“壁”として存在し、その高さに圧倒されたのだ。
受刑者たちの作業、キャリア教育の講義、塀の外の人(=刑務官や支援者)と受刑者の関係、そのすべての間にとてつもない高い塀(=壁)が立ちはだかり、私の感情は複雑に揺れた。
「塀のない刑務所」脱走犯が「刑務官との人間関係がイヤだった」と言うような人間関係は、私が見た塀の中にはなかった。
クリーニング、民芸品の作製、洋服の縫合などの刑務作業は、刑務官の監視する中で行われ、受刑者は決められた姿勢で、規律正しく、言葉を発することも許されず、ひたすら手を動かす。
キャリア教育の60分間の講義中も、受刑者たちは足をそろえ、背筋を伸ばして、視線をそらすこともなく、講師の先生の話を聴く。時折、意見を求められ発言の機会を与えられるが、答えにも無駄がない。
独特の空気感への極度の緊張から、私が受刑者に「仕事をしたいですか?」などと愚問を投げかけてしまったときもそうだった。
- 「仕事をしてお金を稼がないと、生活できない」
- 「仕事をして、自立したい」
- 「仕事をして、普通の生活をしたい」
- 「仕事をして、人を喜ばせたい」
と、回答の内容そのものは極めて普通だが、そのやり取りは良く言えば洗練、悪く言えば冷淡。私たちが日常経験する「関係性」とか「交流」というものとは明らかに異なる。
……温度感。そう、人と人の温度感。徹底的に“監視”されている塀の中では、日常私たちが人間関係を築くときに生じる「温度感」とは異質のものが漂っていたのである。
それだけに今回の脱走犯が収容されていた「塀のない刑務所」には、再犯率の低さだけでは語りきれない、人が生きるための大切なモノが存在していると私は確信している。
ところが法務省は今回の事件を受け、GPS端末で受刑者を監視する案の検討をスタート。松山刑務所の吉田博志所長も会見し、「今後の作業場の運営について、収容者の面接やカウンセリングの仕方、自治会のあり方、刑務官の指導方法をはじめ、施設のハード面まで総合的に見直し、再発防止策を検討していく(参考記事)」とした。
問題が起こる→厳罰、は解決の手立てになるのか
目撃情報のあった向島に投入した捜査員は延べ6000人超。住民の方たちの不安とストレスを鑑みれば、なんらかの対策を施すことは必要だろう。
だが、問題が起こる→監視、問題が起こる→厳罰、という方向性は、果たして問題を解決する手立てになるのか。
メディアは「厳し過ぎる作業所」「刑務官のイジメ」「脱走犯の多さ」といったネガティブな面だけを取り上げ、「刑務官批判」ともいえる報道を繰り返しているけど、私が塀の中で感じたのは、刑務官たちの愚直なまでの優しさと厳しさだった。
彼らは「少しでも受刑者たちの励みになれば」と正月に餅つきをしたり、クリスマスには小さなケーキを振る舞ったり、日常の食事も決められた予算の中で少しでも美味しいものをと、知恵を絞っていた。出所後にサポートしたくても、接点をもってはいけないという規則があるので「無事」を願うしかない。
偶然スーパーなどで出会い、向こうから「がんばってます!」と声をかけてくれたときが唯一、「自分たちのやっていたことは無駄じゃなかった」と思える瞬間で、「二度と戻ってきません」と出所するときに断言していた受刑者が、再び戻ってきたときの空しさなどを話してくれた。
大井造船作業場の刑務官の方たちも、同じだと思う(人事院のホームページから)。
これは「人事院総裁賞」職域部門賞を受賞したときのもので、
- ・「民間従業員の方々が受刑者の謙虚な態度に感嘆し、部下として、あるいは同僚として受刑者を温かく見守ってくれている」ということ
- ・「開設当時は、地域には懲役受刑者に対する忌避感があったが、今は町内清掃奉仕の際、『おはようございます。ご苦労さま』と声を掛けてくれる」こと
- ・「受刑者の活動を発表する文化祭には、地域から多数の方々に御来場いただき、彼らの活動に温かいまなざしを向けていただいている」
といったことが、刑務官がインタビューに答える形で掲載されている。
刑務官たちのはにかんだ笑顔は、自分たちの思いが届き、数字として現れていることへの誇りだ。
冒頭で紹介した坪内氏は53年に「町の唯一の産業である来島船渠を再建してほしい」と、波止浜町(現今治市)の今井五郎町長に拝み倒され、来島船渠(せんきょ、後の来島どっく)の社長になった。再建に失敗すれば何もかも失ってしまう。妻のスミコには「一文無しになってもいいか」と問うほどの覚悟で挑んだそうだ(「向学新聞」より)。
最初の仕事は工場内の雑草抜きと機械のさび落とし。工場は蘇るも一向に注文が来ない。そこで坪内は「海を走るトラック」と呼ばれる貨物船を作り、船主たち販売。これが成功し、来島船渠は生き返った。坪内氏は85年に円高不況で、来島どっくグループが6000億円超の負債額を抱え窮地に追い込まれた時も、個人資産の全てを投げ出し、最後まで資金繰りに苦悩する船主たちを守り続けた。
そんな「現場の人たち」に寄り添い続けた坪内氏が、亡くなる瞬間まで尽力したのが、囚人の更生保護事業だ。
「金もいらん、名誉もいらん、わしがあの世に行く時は、手紙で一杯になっている段ボール箱一つ担いでいくんだ」
坪内氏は晩年、受刑者から届いた感謝の手紙を身辺から離さず、折にふれ、側近に読ませていたという。
坪内氏は逃亡犯に、何と声をかけるだろうか?
坪内氏は、監視を強めようとする動きに、どう意見するだろうか。
残念ながらその答えはわからない。
だが、坪内氏が「人の力」を信じる気持ちが、3000人もの受刑者の「再入率」は6.9%という数字に反映されているのではないか。
再入率の低さは「模範囚だけが収容されていることによる」との指摘もあるが、刑務官や関係者に意見を聞くと、「それを加味しても低い。一般の人たちに交じって就業経験する意義は大きい」と口をそろえる。
物理的な壁をなくすことが、心の壁をなくす
塀のない刑務所とは、「自分で決められる自由」があるとき、人は自主的に行動するという信念に基づいた刑務所。どんなに信頼しても裏切り、恩を仇で返すような人がいるかもしれない。それでも物理的な壁をなくすことが、心の壁をなくすと、坪内氏、刑務官、支援者、そして地域の人たちが信じ、その信念への答えが段ボールに詰まっているのだ。
「刑務所は社会の縮図」と、刑務官たちは言う。監視と管理を進めようとする今回の動きは、私たちの社会の動きそのものなのでは? と思ったりもする。
それを考える上で参考になる、ある企業を、最後に紹介する。
「ebm パプスト社」。従業員1万4000人が働く、ドイツ南部の工業用通気システムを製造する世界的企業だ。
パプスト社は、「一日いつでも、最低4時間だけ出社すれば、あとの労働時間は好きにふりわけていい」という夢のような労働条件で、生産性を上げた。
今から4年前、人手不足に悩んでいたパプスト社は、「働き方を変えよう。出社から、結果の文化に変えよう。若い世代を呼び込むには、もっと自由が必要だ」と、シフト制を廃止。一日のうち最低4時間出社していれば、日中の労働時間は好きなように振り分け、残業した場合は「時間口座」に貯めることができるようにしたのだ(時間口座は、働く人たちは必要なとき自分の口座から残業時間をおろし、有給休暇として使うことができる制度)。
ところが、自由を与えられた社員たちは「上司がいるのに帰れない」とトップに直訴。それでもトップは「結果さえ出せばいいんだ。みんなで文化を変えよう!」と、何度も何度も社員に言い続けた。
「僕は社員を信じている」
その気持ちが社員にも伝わったのだろう。社員たちは次第に自分のペースで、自分がもっとも結果を出せる働き方を工夫するようになり、生産性は右肩上がりで向上。現在の売上高は19億ユーロ、日本円で約2520億円。現地知人によると、本社のエンジニアの売上高は一人あたり2億円近くとの情報もある。
■変更履歴
記事掲載当初、「一人あたり1億8000万円稼いでいる計算になる。」としていますが、お詫びして削除し、「現地知人によると、本社のエンジニアの売上高は一人あたり2億円近くとの情報もある。」を加えました。本文は修正済みです。[2018/5/8 15:10]
「僕は社員を信じている」と、パプスト社のトップは断言する。そして、「自由に慣れ、堕落した働き方をする社員も出てくるかもしれない。大切なのはそのリスクを経営者が常に考え、働く人たちと向き合うことだ」と。
現在、同社は「一日の最低出社時間」も廃止し、「最低週38時間は必ず働いてくれればいい。ただし、一日働いた時間は必ず記録して欲しい」と、労働者の健康を守るために時間管理義務(企業)の協力をしてもらっている。
信頼の上に信頼は築かれ、期待の先に結果がある。そのシンプルな「人」の摂理を私たちは忘れているのかもしれない。
『他人をバカにしたがる男たち』
発売から半年経っても、まだまだ売れ続けています! しぶとい人気の「ジジイの壁」
『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)
《今週のイチ推し(アサヒ芸能)》江上剛氏
本書は日本の希望となる「ジジイ」になるにはどうすればよいか、を多くの事例を交えながら指南してくれる。組織の「ジジイ」化に悩む人は本書を読めば、目からうろこが落ちること請け合いだ。
特に〈女をバカにする男たち〉の章は本書の白眉ではないか。「組織内で女性が活躍できないのは、男性がエンビー型嫉妬に囚われているから」と説く。これは男対女に限ったことではない。社内いじめ、ヘイトスピーチ、格差社会や貧困問題なども、多くの人がエンビー型嫉妬のワナに落ちてるからではないかと考え込んでしまった。
気軽に読めるが、学術書並みに深い内容を秘めている。
この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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