いまどきの若者は、飲み会でもいきなりカシスソーダなどのカクテルを頼み、「酒を作る」経験が少ない。また、年上の人たちとの宴会に慣れていないので、“オジさん”のご機嫌とりコミュニケーションは全く理解不能で、許し難いものだったのかもしれない。だが、オジさんだって、お尻をペロン~っと触ったり、抱きついたりするのは、セクハラになることくらい認識しているはずだ(と、思いたい)。

新しい言葉が生まれることの功罪

 だからといって、「セクハラで訴えて辞めたい」と新入社員が不愉快に思う言動が許されるわけではない……。ただ、これだけ「セクハラ」NGが常識になった今も、宴会の風景が10年、20年前とさほど変わらないのは、メッセージの記号の変え方がわからないオジさんが多いからに他ならないと思えてならないのである。

 ただその一方で、コミュニーションは、送り手と受け手のキャッチボールであることも忘れてはならない。つまり、メッセージの意味を決めるのは受け手なので、「セクハラだ!」との受け取め方を変える必要はないが、上手くいなす術を身につけることも必要なんじゃないか、と。セクハラという言葉がなかった頃には、「“ジジイども”しょう〜がないな〜」と心の中で思いながらも、なんとかうまく対処してきたケースも多かった。

 新しい言葉が生まれたことで、それまで「仕方がない」と諦めたり、傷ついても「何事もなかったように」なおざりにされていた人たちが救われることにはなった。このこと自体は、大きな前進だ。しかしその一方で、生まれた言葉が一人歩きを始め、私たちの対処する力が低下した。上手くいなすとか、なだめるとか、そういった“受け手”のスキルも、社会生活を営む上では大切なはずなのだ。

 そもそも「飲みニケーション」は、ただの飲み会ではない。新入生歓迎会とか、送別会とか、忘年会やら新年会などは行事としての宴会ではあるが、そこには、入社した新人をみんなで歓迎したい、出て行く人、辞める人を労いたい、という“温かい気持ち”が存在している。

 ただ単に、上司と部下の親睦を深めよう! 風通しのいい会社にしよう! の合言葉の下、安易にコミュニケーションの場を飲み会に求めることには反対だが、杓子定規に、全否定してしまうのもいかがなものか、と。 

「ほっぺにチュー」はダメだけど

 かくいう私も、たまにお付き合いのある会社の忘年会などに、ゲストで出たりするのだが、最初は遠慮していた男性が、お酒が入ると“オジさん”に変身する場面に幾度となく遭遇している。

 そんなときに下手に拒否するのも大人気ないし、イヤな顔をして、「お高くとまってたな」とか思われるのも癪。

 だから、「元スッチーだからいいですよ。作りますよ〜。エコノミーのサービスですいいですね!」とやりすごしている。

 嫌と言えば嫌だし、めんどくさいと言えばめんどくさい。でも、私がお酒を作ったり、一緒に写真に写ることで、喜んでくれればそれでいい。さすがに「ほっぺにチューしてもいいかね?」と言われたときは、「事務所を通してください!」と笑いながらシャットアウトしたけど。何でもかんでも鬼の首をとったように、「セクハラですよ!」と責めたて、せっかくの社交の場を台無しにするのはもったいない。

 上手く対処すれば、ビジネスパーソンの方たちのちょっとした苦悩や、モヤモヤを聞くこともできる、それは私にとって貴重な情報だし、そこでの会話がきっかけで、仕事の幅が広がることだってある。

 そうなのだ。宴会には、功と罪がある。会社では見ることのできない「人」としての一面を知り、互いを分かり合う貴重な空間であり、役職を脱ぎ、いい人間関係を作る絶好の場。オフィスでは聞くことのできない「仕事のコツ」を掴む場であったり、意外な発見の場になったりもする。

 ある男性が、興味深い話をしてくれたことがあった。「宴会で立ち居振る舞いの上手い人は、リーダーに適している」というのだ。