今回は、「コミュニケーション」について考えてみる。
新入社員歓迎会シーズンの真っ只中、「オジさん」たちの背筋をヒヤリをさせた、匿名ダイアリーが投稿された。
タイトルは「いきなりセクハラされて、かなり憂鬱な社会生活を送りそうな予感」というかなり長めのもの。最近の流行り、「○○死ね、◎◎なった」と比較すると、少しばかりパンチに欠ける。
が、「昨日行った新入社員歓迎会が男女差別&セクハラだらけで最悪だった」という、実にストレートな感想から始まるこのダイアリーは、昨今のコミュニケーションのあり方を考えさせられるものだったのである(以下、概略を抜粋)。
同期で入った子たちとは結構仲良くなっていて、楽しくしてたら、「女の子たちはこっちこっち」って言われて腹がキツそうな専務の前に座らされた。
(中略)
脂臭い半ジジイの前に座って、つまらない昔話&自慢トーク聞かされ続けてボーっとしてたら、近くの先輩社員に「ほら、作らないと」って言われて焼酎作らされた(なんで?なんで自分がオッサンに酒作ってやんなきゃならんの?)。
これって新入社員歓迎会とかいいながらジジイどもが会社の金でキャバクラ気分味わってるだけじゃね?っていう気分になって、これはセクハラ案件だよな~・・・って確信するようになった。
最後、集合写真撮るときも、エロ顔役員の横に座らされて、もっと近くに寄ってとか言われて久々に最悪の飲み会だった。
もう二度と行きたくないし、行って同じことされたらセクハラで訴えて辞めたい。
腹がキツそうな専務、脂臭い半ジジイ、エロ顔役員……、その場の映像が浮かんでくる「ちょっと失礼、でもリポート力豊か」なこの投稿に、毎度ながらの賛否両論が相次いだ。
「こんなセクハラ会社、さっさと辞めろ」
「いまだにこんなことやってるオヤジいるのか?最悪だな」
「訴えろ!」
「当然、残業手当つくんだろうな」
という意見がある一方で、
「脂臭い半ジジイとか、そっちのほうがセクハラ」
「これがサラリーマンになるってことだよ」
「辞めても、次の会社もこんなだぞ」
「これでセクハラなのか?違うだろ」
という反応もあった。
“ザ・昭和”にタイムスリップしてしまうオジさんたち
さて、これはセクハラなのか?どうなのだろう? ……ふむ。やっぱりセクハラ、ですよね。どう考えてもセ・ク・ハ・ラです(あくまでも個人的感想です)。
ただ、こういう“昭和”の光景が、いまだに珍しいことではないのも、また事実だ。
「私なんて目の前に坐ってるのに『おっ、そっちのカワイ子ちゃんにお酒作って欲しいな?』って言われてるわよ。すいませんね、カワイくなくて!」
「私なんて若手社員がかわいそうだから、替わって酒作ってたら、『なんだ? キミか?』ってがっかりされたわよ。すいませんね、ワタシで!」
「私なんて、ジジイのエロ話、ずっと聞かされた挙げ句、『こういう話を20代にすると、セクハラになるだよな』って。セクハラに年齢制限ないツーの!」
「写真撮影のときに、『もっと近くに寄って』なんて、フツーに言われてますけど…。何か?」
などなど、宴会の席になった途端、“ザ・昭和”にタイムスリップしてしまうオジさんは、どこにでも存在するのである。
(※上記は、私の同年代の女性たちの証言です)
「ご機嫌とりコミュニケーション」をしてるだけ
そもそもこういった言動は、“オジさん”(あえてこう呼びます)にとっては、単なるコミュニケーションのひとつ。1990年代に「セクハラ」が問題になり始めた頃、週刊誌はこぞって、「これじゃ、女性社員とコミュニケーションとれないじゃないか!」と憤る男性たちを取り上げたが、“オジさん”は、ただのコミュニケーションとしか思ってない。
コミュニケーションにおいて伝達されるのはメッセージだけで、「メッセージに込めた意味」は、メッセージを“発信した人の中”だけに存在する。
その送り手の意味が、メッセージという記号を受け取った人にきちんと伝わると、コミュニケーション成立。伝わらないと「そんなつもりはない」「なんでそ~なるの!」という具合になる。
件の事例も、「ご機嫌とりコミュニケーション」をしただけ。十分に、そう考えることができる。
ご機嫌とりコミュニケーションは、社会関係におけるコミュニケーション行動のひとつで、「自分が影響を与えたい相手に対し、その人に近づいたり、好意をもってもらうための行動」である。
「こっちこっち」と近くに坐らせたのは、自分の部下に近づきたかっただけ。自慢トークも、好意をもってもらいたかっただけ。お酒を作らせた先輩社員の行動は、「俺、ちゃんと新人に教育してますよ!」と、上司に好意をもってもらいたかっただけ。
セクハラ、パワハラ、マタハラ、ハラハラと、タブーがどんどん増え、職場だとどう振る舞っていいのかわからず、コミュニケーションを取ることを断念していた男性が、勝手知ったる宴会で羽ばたいた。職場でクローズしていたコミュニケーションの扉を全開させ、コミュニケーションをとっただけに過ぎないのである。
いまどきの若者は、飲み会でもいきなりカシスソーダなどのカクテルを頼み、「酒を作る」経験が少ない。また、年上の人たちとの宴会に慣れていないので、“オジさん”のご機嫌とりコミュニケーションは全く理解不能で、許し難いものだったのかもしれない。だが、オジさんだって、お尻をペロン~っと触ったり、抱きついたりするのは、セクハラになることくらい認識しているはずだ(と、思いたい)。
新しい言葉が生まれることの功罪
だからといって、「セクハラで訴えて辞めたい」と新入社員が不愉快に思う言動が許されるわけではない……。ただ、これだけ「セクハラ」NGが常識になった今も、宴会の風景が10年、20年前とさほど変わらないのは、メッセージの記号の変え方がわからないオジさんが多いからに他ならないと思えてならないのである。
ただその一方で、コミュニーションは、送り手と受け手のキャッチボールであることも忘れてはならない。つまり、メッセージの意味を決めるのは受け手なので、「セクハラだ!」との受け取め方を変える必要はないが、上手くいなす術を身につけることも必要なんじゃないか、と。セクハラという言葉がなかった頃には、「“ジジイども”しょう〜がないな〜」と心の中で思いながらも、なんとかうまく対処してきたケースも多かった。
新しい言葉が生まれたことで、それまで「仕方がない」と諦めたり、傷ついても「何事もなかったように」なおざりにされていた人たちが救われることにはなった。このこと自体は、大きな前進だ。しかしその一方で、生まれた言葉が一人歩きを始め、私たちの対処する力が低下した。上手くいなすとか、なだめるとか、そういった“受け手”のスキルも、社会生活を営む上では大切なはずなのだ。
そもそも「飲みニケーション」は、ただの飲み会ではない。新入生歓迎会とか、送別会とか、忘年会やら新年会などは行事としての宴会ではあるが、そこには、入社した新人をみんなで歓迎したい、出て行く人、辞める人を労いたい、という“温かい気持ち”が存在している。
ただ単に、上司と部下の親睦を深めよう! 風通しのいい会社にしよう! の合言葉の下、安易にコミュニケーションの場を飲み会に求めることには反対だが、杓子定規に、全否定してしまうのもいかがなものか、と。
「ほっぺにチュー」はダメだけど
かくいう私も、たまにお付き合いのある会社の忘年会などに、ゲストで出たりするのだが、最初は遠慮していた男性が、お酒が入ると“オジさん”に変身する場面に幾度となく遭遇している。
そんなときに下手に拒否するのも大人気ないし、イヤな顔をして、「お高くとまってたな」とか思われるのも癪。
だから、「元スッチーだからいいですよ。作りますよ〜。エコノミーのサービスですいいですね!」とやりすごしている。
嫌と言えば嫌だし、めんどくさいと言えばめんどくさい。でも、私がお酒を作ったり、一緒に写真に写ることで、喜んでくれればそれでいい。さすがに「ほっぺにチューしてもいいかね?」と言われたときは、「事務所を通してください!」と笑いながらシャットアウトしたけど。何でもかんでも鬼の首をとったように、「セクハラですよ!」と責めたて、せっかくの社交の場を台無しにするのはもったいない。
上手く対処すれば、ビジネスパーソンの方たちのちょっとした苦悩や、モヤモヤを聞くこともできる、それは私にとって貴重な情報だし、そこでの会話がきっかけで、仕事の幅が広がることだってある。
そうなのだ。宴会には、功と罪がある。会社では見ることのできない「人」としての一面を知り、互いを分かり合う貴重な空間であり、役職を脱ぎ、いい人間関係を作る絶好の場。オフィスでは聞くことのできない「仕事のコツ」を掴む場であったり、意外な発見の場になったりもする。
ある男性が、興味深い話をしてくれたことがあった。「宴会で立ち居振る舞いの上手い人は、リーダーに適している」というのだ。
飲み会の仕切りがうまい人はリーダーに適している
「私は課長になって初めて部下を持って悩んでいた時に、ふと脳裏に浮かんだのが、自分が新入社員だったときの上司なんです。
その上司はどちらかといえば、目立たないタイプでした。若いときって結構、上をバカにするでしょ? だから、なんでこんな人の部下になっちゃったんだろうって。最初は物足りなく感じていました」
「ところが関係会社の人たちとの宴会のときに、『この人、かっこいい』って感動しちゃったんです。酒の席での話し方とか、酒の作り方とか、とにかくかっこよくて。特に感動したのが、そこにいる人、ひとりひとりにずっと気配りをしていたこと。宴会って、必ず輪に入れずに楽しめない人がいるでしょ? そういう人に声をかけて、乗せる。するとその人が気持ち良さそうに、いろいろと話し出して輪に溶け込むんです。会計の仕方もスマートで、気がついたときには精算がすべて終わっていました」
「それからというもの、会社でも上司の行動が気になるようになりましてね。それで観察してみると、部下ひとりひとりをきちんと気にかけてることがわかった。何気ない言葉をかけて、相手にきちんと話させている。会話も仕事のことだけじゃなく、家族のこと、社会で起きてる事件、関心ごととか、上手く織り交ぜているんですよ」
「自分が部下をもって、気がつきました。飲み会をかっこよく仕切れる人は、リーダーに適してるし、飲み会ってリーダーの資質を磨くいいチャンスだと。
自分もその上司が宴会で上手くふってくれたんで、自分のことを話すことができた。不思議なもので、自分のことをきちんと聞いてもらえるだけで、安心して。職場でも、飲み会以降は普通に話せるようになったんです。
課長になったときに、年上の部下とかもいたので、どうやって相手の心を開いたらいいか、悩んでいました。それで飲み会があったときに、上司が自分にしてくれたように、その人が話せる話題をふっていろいろと話してもらったんです」
職場とは立場が変わるから面白い
「職場では僕が上司ですけど、飲み会って完全な年功序列みたいとこってあるでしょ? だから、その人もすごく話してくれて。『職場ではキミは上司だが、ここでは俺の方が年食ってる分、いろいろ知ってるぞ』って。僕も謙虚に話を聞くことができたし、実際におもしろい話もたくさん聞けて。そこで“謙虚さ”の大切さを学んだように思います。
あと飲み会だと、相手も素を出すので、『ちょっとソレってどうなの?』という発言をすることがある。そのときに上手く相手を諌める術を、飲み会で磨くこともできる。
相手を上手に主人公にする気づかいとか、自分とは違う意見と上手く立ち会うことって、ビジネスシーンのあらゆる場面に必要じゃないですか? そのことを飲み会で教えてくれた上司が、僕の『心の上司』です」
「セクハラって、中小企業には関係ないだろ?」
ちょっと説明しておくと、「心の上司」というのは私が付けたネーミングで、何か問題や困難に遭遇したときに思い浮かべる上司のこと。で、彼の「心の上司」が、飲み会での立ち居振る舞いがかっこいい上司だった、というわけ。
話が少々それてしまったが、たかが飲み会、されど飲み会。
職場だとつい、リーダーは発信することが多くなりがちだが、飲み会では受け手に徹することができる。そこで必要なのが、受け止め、対処する力だ。そして、彼がそうだったように、その行為を見ている後輩や部下たちが、対処の仕方を学んでいく。
飲み会の仕切りが上手い人は、仕事もできる。酒を飲む場と考えるより、コミュニケーション力、リーダー力、情報交換の場、と捉えて関わってみると、案外飲み会もいいモノになるのではあるまいか。
最後に、先日目撃した『飲み屋』での出来事をお話しして終わりにします。
部下A:「○○さん、気をつけてくださいよ。ああいうこと言ったら、セクハラになりますからね」
部下B:「そうですよ。『今度来る時は、カワイイの連れてきてね』なんて、取引先からセクハラで訴えられたら、会社が困るんですから。やめてください!」
上司:「……。アレでセクハラなのか?でも、セクハラとかパワハラっつーのは、中小企業には関係ないだろ?」
部下A・B:「何、言ってんですか! セクハラもパワハラも企業規模は関係ないですよ!」
いやはや、手ごわい。昭和の“オジさん”に対峙するには、相当なコミュニケーション力を身につける必要があるのもかもしれません。
この本は現代の競争社会を『生き勝つ』ためのミドル世代への一冊です。
というわけで、このたび、「○●●●」となりました!
さて、………「○●●●」の答えは何でしょう?
はい、みなさま、考えましたね!
これです!これが「考える力を鍛える『穴あけ勉強法』」です!
何を隠そう、これは私が高校生のときに生み出し、ずっと実践している独学法です。
気象予報士も、博士号も、NS時代の名物企画も、日経のコラムも、すべて穴をあけ(=知識のアメーバー化)、考える力(=アナロジー)を駆使し、キャリアを築いてきました。
「学び直したい!」
「新商品を考えたい!」
「資格を取りたい!」
「セカンドキャリアを考えている!」
といった方たちに私のささやかな経験から培ってきた“穴をあけて”考える、という方法論を書いた一冊です。
ぜひ、手に取ってみてください!
『
考える力を鍛える「穴あけ」勉強法: 難関資格・東大大学院も一発合格できた! 』
この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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