「カネ」ではなく、仕事の価値を学生に訴えればいい

 「法学研究者の収入は大手渉外事務所弁護士や裁判官よりもはるかに低く、若手を確保するのが大変」であれば、「法学研究者」の仕事の価値を市場価値で計るのではなく、「いかにその仕事が人の役に立つ価値ある仕事」かを教えて欲しかった。

 そもそも学問は、市場経済や生産性の対極に位置する。学問の世界では、「なんの役に立つかわからない」と思われている研究が、あるとき最強の価値あるモノになったり、危機を乗り越える切り札になったりすることがある。例えば、狂牛病の病原体のプリオンの研究をしていた大学の研究者たちは「そんな世の中に役に立たない研究をするな」と常に非難の的だった。ところが、狂牛病が起こり、プリオンの基礎研究をやっていた研究者たちの知識が役に立ち、一夜にして「役に立つ価値ある研究」になった。

 研究者に求められるのは、研究への真摯な姿勢であり、絶対に役に立つという覚悟であり、世間の厳しいまなざしに耐える忍耐力だ。

 ひょっとすると法学者の研究は、私がイメージしているものとは違うのかもしれない。

 それでもやはり、「アジア諸国からトップレベルの学生を集める」のも結構なことだが、今、目の前にいる日本の学生たちに、「自分の所属する集団の評価=自分の価値」と勘違いしてはダメってことを、「社会的地位=仕事の価値」「市場経済の価値(カネ)=人間の価値」じゃないってことを伝えて欲しかった。

 大学を出た後、学生たちは、予測不能の大海に放り出される。仕事は理不尽なことの連続である。努力が必ずしも報われるわけじゃない。銀行に入社した人が50代に、銀行とは縁もゆかりもない関連会社に異動になることだってある。

 そこで彼らが「自分の存在意義」を見失わないためにも、真の「仕事の価値」を教師は身をもって示して欲しかった。

「豆腐屋も、学者も同じような尊い仕事である」

 「日本人は肉食をしないから、体格が小さい。しかし、日本人には肉食の習慣がない。ところが、日本には、豆腐という素晴らしいたんぱく資源がある。そこで、おいしい豆腐を作って、日本人にたくさん食べさせることが必要である。私はそれまで学者になろうと思っていたが、そのとき以来、学者になるか、豆腐屋になろうか、一生懸命、毎日、考え込んだ」

 これは新渡戸稲造の言葉で、新渡戸は「豆腐屋も、学者も同じような尊い仕事である」と生涯訴え続けた。

 なぜ、この話をするのか? 

 それは私が大学で学生たちに昭和の高度成長期を生き抜いてきた偉人たちの手記を読ませ、それぞれ発表するという講義を半年間行った中で、学生たちからもっとも反響があり、「社会に出てから、この言葉を何度も思い出したい」と、多くの学生がレビューシート(講義の感想を書くもの)に書いたからだ。

 今の学生は、私たちの想像以上に、親の「経済力」や「勤め先の社会的評価」を指標にした周りの視線や、「○○大学=優秀」とか、「○○大学=大企業に就職できる」と世間に思われることに、戸惑っている。

 そんな彼らにとって、「豆腐屋も、学者も同じような尊い仕事である」という言葉は、勇気の出る、胸に響く言葉だった。