大臣はこの「力」を正しく使っているのだろうか? 「力」を正しく使うだけの資質があるのだろうか? 

●初入閣したときに「なぜ大臣になったと思うか」と問われ、「理解していると内心思ってはいても、申し上げるのは適切でない」と奇妙な答弁もしていた金田勝年法務大臣は、いわゆる共謀罪の議論に関し、
「ちょっと、えー、私の頭脳というんでしょうか、えー、対応できなくて申し訳ありません」
とポロリとホンネを言ってしまってからは、「成案を得てから説明したい」と壊れたレコードのように繰り返した。

●稲田朋美防衛大臣はちょっと突っ込まれると泣くし、「ISIL(イスラム国)をめぐるシリアの内戦は戦闘か、衝突か」と質問されれば、「法的評価をしていない」と繰り返すだけで、安倍首相が代わりに回答。

 また、大臣ではないが、類似の例はいくつもある。昨年、台風10号の豪雨被害で岩手県岩泉町を視察した務台俊介・内閣府政務官兼復興政務官は、政府の職員におんぶされて被災現場の水たまりを渡り、懲りもせず「長靴業界が儲かった」と発言。結局、辞任した。

何をやっても、何にもできなくても、「大臣」で居続ける現実

 民主党政権(現・民進党)時代も、「さすが!」と尊敬できるリーダーには残念ながらお目にかかれなかったけど、当時と今が違うのは「問題になったリーダー」が居座り続けること。

 もちろんなんでもかんでも辞めればいいわけじゃないけど、起こした問題を曖昧にし、何事もなかったように「力」のあるポジションに居座り続けている。これは無責任な力の行使だ。

 そもそも「力」には二種類の意味がある。

 一つは、何かをする「力の所有」で、これはその個人に内在する潜在能力である。そして、もう一つが、他者に対する「力の所有」で、これは地位が持つ支配する力だ。

 適材適所ということから考えれば、前者の「力を所有」している人がリーダーになるべき。が、実際にはその地位に求められる潜在能力なき人が、地位が持つ支配する力だけを手に入れている場合が多いように思う。

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