「50歳以上はお荷物でしかない」

「はい。そこが……アレなんですよ。結局、会社にとって50歳以上はお荷物でしかないので、どうにかしてコストを減らしたいんです。

 つまり、先に転勤させ、そこで賃金減額か退職を選ばせようっていう魂胆です。そうなれば、転勤か減額かの二者択一ではなく、転勤させたまま減額することが可能になる」

「えっと、ちょっとよくわからないのですが……、『賃金維持で何でもやる』方を選べば、逆に本社に戻れる可能性もあるんじゃないですか?」(河合)

「それはないです。そんなことしたら、恐らくもっと遠隔地に飛ばされます。実際には追い出し部屋みたいなものです。社内には『定年までイキイキ働こう!』とかポスターが貼ってあるんですけど、なんかブラックジョークですよね」

「では、その部下の方はどうなさるんですか?」(河合)

「上からノーという答えがきた以上、転勤を受けるしかないと思います……。

 僕の両親はまだ元気ですけど、妻には『あなたの親の下の世話はできない』って、宣言されている……。だから他人事じゃないんです。一方で僕は、かつての上司に肩たたきをしてる……。なんか自分に嫌悪感ばかりが募っています」

 介護と転勤――。

 この二つが重なったとき、どうすべきなのだろうか?

 それこそ同じ転勤でも、名古屋と福岡では違うだろうし、大阪と北海道でも異なる。また、一言で介護と言っても、昨日までは身の回りのことはできていた親が、突然、歩くことが出来なくなる場合もある。ひとつの小さな変化が次々と予期せぬ変化につながっていく。

 そもそも親の変化はある日突然で、実際に問題に直面するまで、リアリティを持つのが極めて難しい問題である。

 奇しくも、週刊新潮の4月6日号に「他人事ではなかった「介護殺人」の恐怖」という見出しで、芸能人や文化人の介護経験が掲載されていたけれど、介護ほど、実際に直面した人でないとその深刻さを理解できない問題はない。そこで降る雨の冷たさは当人にしかわからず、「家族のこと」だけに孤独で、逃げ場をなくし、自分でも恐ろしいほどの感情に翻弄され続ける。

 ……、本当に、どうすればいいのだろう。