“女”の使い方が巧みだった“鉄の女”

 米国は女性が活躍している国というイメージがあるが、実際にはCEOの数は欧州に比べると少ないし、「なぜ、女性はリーダーになれないのか?」といった趣旨の特集が度々雑誌で組まれるなど、依然として課題が多い。

 例えば、女性であるヒラリー氏が権力を握れるかどうかを分析した記事は、彼女が出馬を表明してから何本も寄稿されていて、特に、ニュースウィーク誌に掲載された特集は面白かった。

 特に興味深かったのが、あの“鉄の女”として知られるサッチャーさんの番記者が書いた記事だ。なんと、サッチャーさんの武器は“女”。彼女は、ひたすら“女らしく”振る舞うことで、男性たちを巧みに盛り立て、取り入り、“女“を全面的に利用することが彼女の処世術だったとしているのだ。

 サッチャーさんがフェミニストに一切興味を示さなかったのは知っていたけど、あのサッチャーさんが女性らしらさをアピールし、実に細かく男性たちを気遣い、ときに母親のように寄り添ってていたとは知らなかった。

 そして、もし、今の女性たちが、かつてのサッチャーさんのように振る舞ったら……。おそらく非難される。それこそ「女を使ってる」だのなんだのと、スキャンダラスに報じられ、尾びれ背びれが加わり、あることないこと言われるに違いない。だって、ノースリーブや少々短めのスカートを履いただけでも、いろいろと言われてしまうわけでして。

「男性部下たちのプライドを傷つけていることがわかっているのか」
「女らしくしろよ」
という男性たちは、サッチャーさんのような“女らしさ”を、求めているのだろうか?

 もし、そうだとしたら……今の女性たちはどう振る舞えばいいのだろう? 申し訳ないけど、私には気の利いた答えが見つからないのである。 

 ただ、ひとつだけ確かなことがある。それは女性であれ、男性であれ、「自らの存在をないがしろにされた」と感じたとき、幼稚な振る舞いや言葉で相手を攻撃してしまうことがあるということ。つまり、今回の事例も「男と女」の問題として捉えると、出口のない廻廊に迷い込んでしまうのだが、「コミュニケーションの問題」として考えると、何がしかの答えが見つかるんじゃないかと。 

 例えば、「ずっとサポートしてくれていた男性」は、ただただ「ありがとうございました。○○さんのおかげです」という一言が欲しかっただけかもしれない。

 「自分の実力を過信するな!」という言葉の裏には、「もっと俺の意見にも耳を傾けてくれよ。別にキミを否定してるわけじゃない」という気持ちがあるのかもしれない。

 「少しは女らしくしろ」という“つぶやき”は、「もっと自分たちに敬意を示して欲しい」って意味だったのかもしれない。

 そう感じた相手がたまたま「女性」だったから、「女は○○」的発言になったけど、もし、その相手が「高卒」だったら、「高卒は○○」となり、「外国人」だったら、「外国人が○○」となり、「営業出身」だったら、「営業しか知らないクセに」と経理出身の人は責めたてることだろう。