「不快感を与えない」と「相手に合わせる」は全く違う

 人は、「個」としての自己を生かすことと、「他者」との関係性の中で自己を生かすことを統合的に探索するプロセスを経ることで、成熟する。従って、人間が社会の一員として生きるうえで、演じざるを得ないのはまぎれもない事実だ。

 新人らしく、学生らしく、上司らしく、部下らしく、先生らしく、リーダーらしく、父親らしく、母親らしく、年長者らしく……。それぞれの役割を“らしく”振る舞うためのスキルや能力を演じながら高めていくことで、それまで自分の内面になかった感情や考え方、道徳的価値観などが生まれてくる。それが、成長であり、成熟である。

 だが、「らしく振る舞う」ことは、相手のニーズにあわせることではない。相手に不快感を抱かせない言動で十分。それ以上の演技は必要ない。だが、今「就活生らしく」振る舞っている学生たちは、必死に企業のニーズにあわせ過ぎだ。

 私はキャビンアテンダント(CA)の試験に挑むときに、大学の先輩や周りの人たちに、「何を着ていったらいいのか?」と相談した。そのときにある人から

 「アナタのお父さんと同じくらいの年齢の人が面接をするのだから、お父さんが『いいね』といってくれるような服装でいいじゃない」

と言われた。

 時代はバブル期で、当然、今とは違う。だが、それくらいのゆるさでいいんじゃないだろうか。というかそれでいい。

 だいたいどこの誰が、葬式のような「黒スーツ」なんて指令を出した?もし、黒スーツがニーズなら、明確に企業は「黒スーツを着用すること」と案内を出せばいい。本当、どこの誰が、「企業のニーズ」ばかりを学生たちに押し付けているんだ? 

そんなもの普通の学生に期待する方がヘン

 世の中には、会議中にやたらとうなずき、メモをとっているわりには、人の話を聴いてない人だっている。うなずかなくとも、メモをとらなくても、「相手の話をきちんときく」姿勢のほうが大事なんじゃないのか?

 「コミュニケーション能力、協調性、問題解決能力の高い人物を求める」というけど、そんなもの普通の学生に期待するほうが、どうにかしているぞ。

 コミュニケーション能力も、協調性も、問題解決能力も、同じ方向を向いている人たちと関わるうちに磨かれていく力だ。コミュニケーションの能力の高い集団の中で日々生活しているうちに、相手のことがわかるようになり、自分のことも伝えられるようになるし、協調性も育まれる。