「私たちが生きている現状でもある」

 「就活の気持ち悪さを描いておきながら、最後に合格するのもどうかなと思って、見る方によって受け止め方が違うようなラストシーンにしました。つくった側としては面白いなと思っています」

 最終面接で不採用になった主人公が、自分のほほを叩いて気合いを入れ、再びリクルートスーツ姿で、駅の改札口にむかって走り出す――。

 このラストシーンについて、制作者の吉田さんは、雑誌のインタビューでこう答えている。

 “彼女”は、ほほを叩いたとき、何を思ったのだろう? 今もまだ、就活狂想曲を奏でているのだろうか? あるいは悪戦苦闘しながら、“自分のメロディー”を自由に奏でているのだろうか? ふと、そんなことを思わせるしなやかな描き方に、少しだけ救われたように思う。

 といった具合に、この作品自体がアレコレ考えさせる優れモノなのだが、それ以上に考えさせられたのが、世界中の人たちの反応だった。

 

「この作品に込められてるメッセージは深い」(フィリピン)
「日本では仕事を見つけるためには周りに合わせる必要があるのか」(イギリス)
「この動画を観てものすごく悲しい気持ちになった」(韓国)
「フランスは全然違う」(フランス)
「フランスもそんな変わらない。大きな企業に入ろうとする場合はどこの国も同じだ」(フランス)
「自分の国の就職活動と同じ」(チリ)
「日本で就職するためには、別の人間にならなければいけないのか」(アメリカ)
「日本だけじゃない」(ハンガリー)
「これが現実なんだ!」(マレーシア)
……etc etc

 てっきり「おかしいぞ、ニッポン!」となるかと思いきや、「日本だけじゃない」という意見が相次いだのである。

 そして、たくさんのコメントの中で目からウロコが5枚ほど落ちたのが、イギリスの方が書き込んだ、次のコメントだった。

 「この動画で描かれてることは、欧米社会そのもので、私たちが生きている現状である」(イギリス)

なんとなく脱落しなくて済むような気がして、必死で走る

 このコメントをどう受け取るかは、人によって変わるかもしれない。ただ、この作品を「就活」の窓ではなく、「私たちの生きてる社会」の窓から改めて見てみると、「これは現代の私たちそのもの」で、「競争社会」が描かれたもの。少なくとも私は、そう受け止めた。

 これは“就活狂想曲”じゃなく、“競争狂想曲”。私たちの日常なのだ。

 “グローバル人材“という言葉が、連日のように誌面に踊っていた頃がイントロで、

・英語が話せなきゃ仕事にならない
・ライバルは国内だけでなく、中国、韓国など世界中にいると思え!
・日本でしか通用しないような人は、もう要らない

といったイデオロギーに、私たちは洗脳された。

 グローバルリズムは経済の話だったにも関わらず、グローバルな人材だの何だのと、私たちの働き方に勢力を広げたのだ。

・競争に勝った人は、価値ある人。
・競争に負けた人は、価値なき人。
・競争に参加しなかった人も、価値なき人。

 だから、走る! 就活生が、就活で変化する友人に戸惑い。違和感を抱きながらも、いつしか自分も就活の波に飲み込まれていったように、私たちもまた、競争社会の波に飲まれている。