久々にいいニュースである。
昭和のオッサンたちの常備品だった「ひとつぶのんだら スーッとネ ジン ジン ジンタン ジンタカタッタッタタ~」の仁丹を製造する森下仁丹が、“第四新卒”の採用をスタートさせた。
毎日新聞では「『第四新卒』おっさん、おばはんWANTED」
東京新聞では「森下仁丹が『第四新卒』採用へ おっさん、おばはん求む」
読売新聞では「求む中高年、森下仁丹が『第四新卒採用』」
日経新聞では「森下仁丹、50代中心の中途採用導入へ 幹部候補に 」
朝日新聞では……掲載なし(私が確認した限りでは……)。
はい、そうです。ごらんのとおり“第四新卒”とは、おっさん、おばはんのこと。
森下仁丹の定義によれば、
「社会人としての経験を十分積んだ後も仕事に対する情熱を失わず、次のキャリアにチャレンジしようとする人材」をいい、
「性別・年齢を問わず採用」
していくことを、第四新卒採用と呼ぶのだという。
募集職種は、「食品・医薬品の営業、開発、製造および新規事業開発に関するマネージメント業務」で、前職での業種・職種は問わない、正社員採用(試用期間3カ月あり)。
求められる資質は「やる気」のみ!
そう。やる気だ。
そこで今回は「やる気」についてアレコレ考えてみようと思う。
では早速(2週続きで動画からスタートになってしまった)、採用募集の動画をご覧ください。……泣けます!
「オッサンたちへ」
「あの頃は仕事がすべてだったんです。」
「ずっといた場所から出てみたい、そう思ったんです。」
「まだ、できると思うんです。」
「案外、オッサンたちがこの国の希望かもしれない。」
「オッサンも変わる。ニッポンも変わる。」
「瞬間、『やばいことしたな』と思ったものです(笑)」
「案外、オッサンたちがこの国の希望かもしれない」――。
ふむ。いいコピーである。
「女性を輝かせる」前に「オッサンを輝かせろ!」と、私はこれまで幾度となく訴えていたので、やっとこういった会社が出てきたことが、率直にうれしい。
現在、日本の総人口は約1億2700万人。そのうち大人人口(20歳以上)は約1億500万人。40代以上は約7700万人。これが2020年には約7800万人に増え、「大人の10人に8人」が40代以上になる。
つまり、「オッサンにニッポンを変えてもらわない」ことにはえらいことになる。「いやいや、あとは楽させてもらいますよ~」なんて50過ぎで、心の引退をされては現実問題として困るのである。
で、ここで疑問がわくわけです。
「オッサンにやる気さえあれば、ニッポンは変わるのか?」と。
とかく昨今のオッサンたちはお疲れ気味。時折やる気を見せるものの「あの人、やる気だけはあるんだけど……」と、周りからちょっとばかりウザがられたり、やる気を見ればみせるほど周りのテンションを下げる“残念なオッサン”も少なくない。
いったいどんな「やる気」ならオッサン自身も、ニッポン(=会社)も変えることができるのだろうか?
“オッサン”の連発で申し訳ないのだが、結論から述べると私はオッサンの「やる気」が、「人格的成長(personal growth)」というポジティブな心理的機能によるものなら、変わると確信している。
「人格的成長」とは「自分の可能性を信じる」気持ちのこと。専門家の中にはこれを「チャレンジ精神」と同一に扱う人もいるが、実際には異なる。 チャレンジ精神が、 自分の行動する力に価値を見出していることに対し、人格的成長は、自分の内在する力に価値を見出すもので、
先の動画でいえば
「まだ、できると思うんです」
という、実にシンプルかつ根拠なき確信である。
そう。「根拠のなき確信」ほど、人間の底力を引き出す無謀な心の動きは存在しない。
実は森下仁丹の駒村純一社長も、自分の可能性にかけ、会社を変えたひとりだったのである(詳細は同社HPをご覧下さい。以下、抜粋して要約)。
駒村さんは元商社マン。イタリアに駐在した時には現地の出資先の社長も経験するなど、まさに順風満帆のキャリアを歩んだ人物である。
ところが、ある日ふと「このままではつまらない人生になってしまう」と感じ始める。引退に向けて安定した人生が約束されていたにも関わらず、だ。
そこで一念発起し、52歳で商社を退職したそうだ。
「早期退職の意向をメールで送ったときは、エンターキーを押した瞬間に、『やばいことしたな』と思ったものです(笑)。
(中略)
転職先が決まっていたわけではありません。まだまだ自分は一線で働きたいという思いだけで、退職を決めました」
駒村氏はこう語っている。
周りは敵ばかり
退職後は、キャリアを生かし外資系企業を中心に就職活動を始めたが、就職先は決まらなかった。
無職となり5か月が過ぎようとしたとき、「経営状況が悪化している大阪の老舗企業が、経営の立て直しの人材を探している」と知り合いからオファーが届いた。それが森下仁丹だった。
「私には、そうした企業を黒字転換させてきた経験がある。自分のキャリアが生かせるかもしれない」
そう考えた駒村氏は、執行役員として入社。
が、中に入って知った会社の現状は、想像以上に厳しいうえに社内には「やる気が失われていた」。
売り上げはピーク時の10分の1。それでも社員たちには「創業120年を超える老舗がつぶれるわけがない」と、危機感を全くもっていなかったのである。
そこで経営の立て直しを進めようとするのだが、「外から来たやつが何を言ってやがる」と反感を持つ人も多く、周りは敵ばかり。
「社内に蔓延する『つぶれるわけがない』という空気を変えるには、新しい風を入れるしかない」――。
駒村氏は、外部の人材を積極的に起用し、管理職に抜擢。当然ながら、生え抜きの社員は猛反発。それでも氏はやり方を変えなかった。
「新しい人が来て結果を出していけば、それが刺激になる。会社が本気で変わろうとしているという危機感を持ってもらうためには、まず行動で示すことが大切でした。改革には痛みが伴う。その痛みを避けていては、前に進むことはできない」
自分を信じ、中途採用を広げ、部長職の平均年齢も40代と大きく若返り、2006年には社長に就任。本社の工場敷地も売却し、財務状況を健全化させ、次のチャレンジをするための下地を整えた。
その結果、生まれたのが現在の経営の柱となっている、独自のシームレスカプセル技術。10年間で売り上げを倍にし、今に至っているのだという。
「このままではつまらない人生になってしまう」という感覚は、まさしく「人格的成長」であり、「自分の内在する力に価値」を見出しているからこそ、「自分のキャリアが生かせるかもしれない」と考え、周りが敵だらけでも「会社を絶対に再生できる」と行動できた。
ただ、おそらく駒村氏自身が公言していない、「苦悩」や「情けない自分」との葛藤もあったはずだ。
「辞めなきゃよかった」という言葉が出そうになる
前回(「やりがい搾取」の共犯?文科省公認の天職信仰)書いたとおり、すべてのサクセスストーリーは「後付け」で、そこには決して語られない、あるいは本人でさえも忘れてしまった「かっこ悪い自分」が例外なく存在する。
全くレベルは違うし、ここで個人的な話を持ち出すのはおこがましいのだが、私もそうだったから。前向きな気持ちで崖から飛び降りた先には、いくつもの鋭利な砂利が転がっていて。それを乗り越えるには節操なく自分の可能性を信じる気持ちと、痛みを痛みと思わないずぼらさが必要なのだ。
私は「このままでいいのかな。もっとなんか出来るんじゃないかな。自分の言葉で伝える仕事がしたい」と、若気の至りで28歳のときスッチーを辞めたわけだが、実際に辞める決心をしたのは、「2年後の自分」を想像したときだった。
「2年後、今のままCAをしている自分と、他のことをやっている自分、どちらが魅力的か?」――。そんな問いがふとわいてきて、後者の自分に魅力を感じ、辞めた。
なぜ「2年後」で、なぜそういう問いになったのか、自分にも分からない。辞めたところでナニかが決まっているわけでもない。
でも、「他のことをやっている自分の方が魅力的」という根拠なき確信が、辞めたあとの不安をワクワクした感情に変えたのである。
とはいえ、現実は想像以上に厳しい。
28歳の小娘に「自分の言葉」などあるわけがなく、元気いっぱい辞めたはいいけど、何も決まらない、進みたくても、前に進む道筋すらちっとも見つけられない自分がいて。
スッチーの同期が「明日からロスだよ」なんて電話してくると、「辞めなきゃよかった」という言葉が出そうになり、でもその言葉を口にした途端、自分がどうにかなってしまいそうで、絶対に口にできなかったのである。
なので、気象予報士第1号となり合格当日にたまたま「ニュースステーション」に出演するまで、私は友だちと連絡をとっていない。
多分、潔く辞めたはいいけど「何者にもなれていない自分」が、ちょっとばかり恥ずかしかったんだと思う。
ただ、そこに至るまで私が踏ん張れたのは、「それでいいんだよ。踏ん張れ」と背中を押してくれる人たちがいたからに他ならない。民間の気象会社で出会った気象庁のOBのおじいちゃんたち、社内でサポートしてくれた上司、そして、何よりも気象のずぶの素人の私を受け入れてくれた当時の社長さんがいたからこそ、私は砂利道をなんとか歩くことができた。
そんなときに自分にできることといったら、気象の勉強をひたすらやることだけで。給料泥棒にならないよう、必死で勉強し、少しでも仕事の質をあげるべく努力することくらいしかできなかった。
おそらく駒村氏にも、痛みの伴う改革を断行するうえで応援団がいたのではないだろうか。同じように「会社の空気を変えなきゃ」と危機感を持ち、社外からきた駒村さんを信じ、駒村さんの可能性に賭けた人がいた。「敵」の中に数少ない応援団がいて、彼らがいたからこそ、駒村さんも自分に課せられた仕事の質を必死であげるべく努力したのだと思う。
「学び続ける覚悟」を持つこと
人格的成長――。
「自分の内在する力に価値」を見出す、前に開かれた感覚である人格的成長は、あくまでも“今”を成長への通過点と捉え、不甲斐ない自分、自分に対する批判、といった向き合いたくない「自分の市場価値」を受け入れるまなざしを持ち、危機感を持つ感覚と言い換えることができる。
そして、目の前の仕事の「質」を高めるために、「自分にできること=学び」に励む。とにかく動く。アレコレ考えずにとにかく動く。自分をどうこうするのではなく、目の前の仕事を「少しでもいい仕事」にすべく努力する。その結果、人格的成長が強化されていくのである。
つまり、真のやる気とは、結局のところ「学び続ける覚悟」を持つこと。
ほんのちょっとでもいいから、仕事の質を高めるべく勉強する。「自分の成果物」の価値を上げるべく邁進する。それが、結果的に自分を進化させ、「うん、成長したかも…」といった自負につながっていく。
かなり前に本コラム(定年延長で激化する「“オッサン”vs若者」バトル)でも紹介したが、高齢者雇用を通じて生産性を10年で3倍まで向上させた「VITA NEEDLE社」(米マサチューセツ州のステンレス製のニードルやチューブといった特殊部品を製造する会社)の従業員もそうだった。
高齢者の方たちは、「自分を雇ってくれた会社」を信頼し、誠心誠意会社に尽くした。
自らの持つ能力と知見を最大限に生かし、積極的にスキルを磨き、社員同士で助け合い、互いにスキルを向上させ、自分の人生の集大成としてひたすら一生懸命働き、企業の生産性向上に寄与したのである。
オッサンを求める「環境」に、「真のやる気」と「経験」という係数が加わればオッサンは化ける。でもって、オッサンが「環境」を変える。
これまで600名超の方たちをインタビューしてきたけど、いかなる状況になっても腐ることなく、自分を信じ、前に踏み出した“おっさん”たちがいた。
・「まだ終わりたくない」と一念発起し転職を試みたものの、直後にリーマンショックが勃発。職安通いを強いられた元一流企業の部長53歳。
・50代には仕事がないことに気付き、給与半減覚悟で小企業に転職したマンネン課長52歳。
・「発展途上国で自分の技術を生かしたい」と英語学校に通い、青年海外協力隊に応募したメーカー勤務の男性49歳。
・「もっと会社の役に立ちたい」と、誰も行きたがらない離島勤務を志願した部長さん53歳。
中には私のインタビューに答えるうちに、「自分にももっとできることがあるのではないか」と前に踏み出した人たちもいた。
彼らはいずれも、誰もが知っている大企業に勤め、そこそこ出世していている人たちだったが、そういった属性を捨て、まる裸の「自分」に勝負をかけた人たちだった。
その“オッサン”たちは、みんなイイ顔をしていた。
そんなオッサンたちを受け入れる質のいい環境が増える火付け役に、森下仁丹がなればいい、と心から願う。
ちなみに同社広報によれば、「社員数300人規模の会社なので採用は数人程度と考えていますが、3月6日午前中の時点で、応募数は約1000人に上っています」とのこと。おぉ!「やる気」に満ちたオッサンは、たくさんいるのだ。
オッサン、がんばれ! オバさん、がんばれ! はい、オバさんの私もがんばります!
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