ただ私の場合は、そういったときには慌ててYちゃんにメールを送っている。

 といっても、メールの内容はたわいもない話題で、相談はゼロ。「ハロー」「元気~?」「久しぶりにご飯行こうよ~」程度で、不安の「ふ」の字のかけらもない。

 だが、それだけでホッとするから、不思議だ。異性に抱く感情とはちょっとばかり違う、心と心の距離感の近さが心地よいのである。

 恐らくこれが、冒頭の研究結果で示された、ミドル世代の「質」の重要性なんじゃないだろうか。仕事や家庭に追われ、ひとり、2人と友だちが減っても、たった一人でいいから自分を損得勘定なしに受け止め、自分自身も受け入れられる他者。

 それは、「傘を貸してくれる」存在で、少しばかり弱った心を守ってくれるのだ。

不可欠な「孤独」を、人生のリスクにしないために

 ただ、その一方で「孤独」を感じる瞬間は、とても重要な時間じゃないかと思ったりもする。

 かつての日本社会であれば、自己と向き合う時間など必要なかったかもしれない。大きな川の流れにのっていれば、悠々自適な老後を送ることができた。

 だが、そんな将来は過去のもの。大きな川の流れから飛びだし、自分で流れをつくる作業が求められる。

 そのときに必要なのが、「自分との対話」だ。自分の市場価値を知るのは、誰だって恐い。だが、社会における自分の立ち位置をしっかり見るまなざしを持てたてたとき、はじめて「自分の足りないモノ」「自分がやるべきこと」「自分のやりたいこと」が明確になり、「このままじゃダメだ。もうひとふんばりしなきゃ」と危機感を持てる。

 その孤独(=不安)を健康を脅かす危険要因にしないために必要なのが、「質のいい」つながり、すなわち「心の距離感の近い他者」の存在なのだろう。そして、「その存在がそこにある」と確認できると、「よし!踏ん張ろう!」と、危機感が前に進む勇気に転換されるのだ。

 それは、人間のポジティブな機能のひとつである「人格的成長(Personal growth)」という、「自分の可能性を信じる」感覚のスイッチが押される瞬間でもある。

次ページ 孤独は「人格的成長」のスイッチを押すきっかけになる