すると、学生たちはショックを受ける

 問題は、「人生の先輩」による講義形式のキャリア教育である。

 私自身、何度もやった。講義の目的が「キャリア経験をオトナが話す」というものなので、どうしたって自分のキャリアを振り返り、記憶の箱をこじ開け、「働くということは、お金を得るためだけのものではない」という話になる。

 仕事を選ぶという作業は、人生に多大な影響を及ぼす大切な行為だ。ただ、私の場合、大学を出るときには「キャリア意識」の“キ”の字もなく、結果的に今のキャリアになっただけなので、

「仕事なんてものは、やりたいとかやりたくないとか関係なく、やらなくてはならない仕事が9割。自分のやりたい仕事なんてできるのは、10年たってからだ」だの、
「石の上にも3年」だの、
「何も考えずに目の前のことをやってきただけ」だの、
「目の前のことがきちんと出来ない人が、夢もへったくれもあったもんじゃない」だの、
「好きな仕事というのは、働いているうちに見つかるものだ」だの、
働いているオトナであれば、誰もがわかっている“超現実”を話すことになる。

 すると学生たちはショックを受ける。「そんなこと誰も言ってくれなかった」と。私が話すような“現実”は、ブラックだの、昭和の精神論だと言われ、世間では批判されているのでビビる。

 なので「どうしてもしんどくなったら逃げろ」と、で「どうしても助けが必要になったら、連絡して」と、ひとりの“友人”としてメッセージを伝えると、緊張した顔がやっと和らぐのです。

 つまり、文科省指導のマニュアルに基づき、「生きがい、やりがいがあり自己を活かせる生き方や進路を現実的に考える」という美しいキャリア教育を散々受け、いわゆる成功者”とされる方々が、「やりがい」の重要性を謳い、後付けでしかない「価値」、後付けでしかない「成功体験」を誇示するので、彼らは「夢」を見る。

 「好きな仕事」は探せばあると信じ、「やりがいのある仕事」ができる仕事に就けば、輝かしい人生の扉を開くと期待する。

 そんな“天職信仰”に取り憑かれている若者が量産されている“今”だからこそ、「仕事を斡旋する側」が、「やりがい搾取」をイメージさせるキャッチを使ったらダメ。

 もちろん「アルバイト」というのがン十年前の“学生”にとってもそうだったように、お金目的であることが前提で、「でもね、それだけじゃないよ~」「働くって、こんなこともあるんだよ」というメッセージを伝えたかっただけなのかもしれない。

 それでもやはりNG。「お金以上」という文言は危険だ。せめて「お金以外」にすべきだった。

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