信頼関係が崩れた後には、疑念しか残らない

 なぜ、信頼関係が崩壊すると、人は「情報」を求めるのか? これは夫婦に置き換えてみると実によくわかる。

 ある日、夫の浮気がバレたとしよう。浮気を決定づける、“真っ黒”の物的証拠が見つかったのだ。

 「もう、信じられない!アンタ、ナニやってるの!」

 ぶち切れた妻は、激怒。夫は「もうしない。キミとやり直したい(ん?どこぞの会見で聞いた言葉だ)。キミと子どものために、これからはちゃんとするから信じて欲しい」と土下座。

 「アンタがアホなことやってるとき、私がどれだけ大変だったかわかってるの!」。 妻は怒りが一向に収まらない。

 ならば「離婚!」と割り切れればいいが、人間の感情は実に複雑で、そう簡単に行くもんじゃない。三行半を突きつけるにも、それ相当の勇気と覚悟がいるのだ。

 そこで妻は「やり直す」ことは受け入れるが、「彼への信頼」が戻ったわけじゃない。それからというもの、妻は夫が休日出勤したり、ちょっとでも帰りが遅くなたりすると「もしかして…」「まさか…」と、不安になる。不安で、不安で、その不安をどうにかしたくて、夫の携帯やLINEをチェックしたり、領収書を盗み見たり……、夫の行動への徹底的な“身体検査”を始めるのだ。

 ところが、夫は夫であらぬ疑念をもたれたくないので、「アレ言うのやめとこ」と、隠し事をする。そのウソを妻は敏感に感じとる。そうなのだ。「裏切られた」妻は、「裏切った」夫が想像する以上に、敏感に隠し事に反応するのである。

 ……っとまぁ、これと全く同じことが、会社と働く人たちの間で起きているのだ。

 そう。働く人たちは常に心のどこかで、
「自分たちも突然、解雇されるのではないか?」
「うちの会社も、突然、倒産するのではないか?」
「うちの経営陣は、不正を行っていやしないか?」
といった不安のタネを抱えている。ひょっとすると当人に自覚はないかもしれないが……。

 それでも会社のありとあらゆる情報を、ポジティブなものだけでなくネガティブなものまで、社員一人ひとりが知ることができる権利と、会社が労働者に知らせる義務を果たさない限り、壊れた信頼関係を取り戻せやしない。情報は自動的にすべて公開されて、初めて価値を持つ。

 もちろんだからといって、リストラがなくなるわけではないかもしれない。しかし大切なのは、隠し事をしない、安心できる関係を作る努力を怠らないこと。それしかないのである