つまり、これらの結果を、すご~くわかりやすくすると……、

「うちのトップって、ちっとも“従業員のこと大切にしない”よなぁ?。結局は、コストなんだよね?」
「だいたい会社で何が起きてるのか分からないじゃん。リストラやるって、朝刊広げたら書いてあって、ビックリだよ」
「なんで、もっとこう“オープンで、透明性のある行動”がとれないのかね?」
「そうだよ。どこ向いて経営してるんだって、感じることあるよ。最近、不正とかあるけど、“倫理的に行動”してるのか。心配になるよ」

っといった具合だ。

「社員にわざわざ話したところで、どうにもならない」

 さらに、表を見てわかるように、パフォーマンスで最低になっているのが、「自社の状況について、頻繁かつ誠実にコミュニケーションをとる」。

 つまり、働く人たちはトップに「情報の共有」を期待しているのに、トップはそれをないがしろにする。その結果、「自分たちはちっとも大切にされていない」と感じている。「もっと大切にして欲しい」のに、誠実なコミュニケーションもとってくれないから、「やっぱり大切にしてないのね」との確信につながる。

 そんな悪循環が、「会社への信頼感」を低下させていると読み取れる結果が、示されているのである。

 もともと年功序列に代表されるヒエラルキー型の日本の企業は、「情報の共有」が苦手。いや、違う。「社員にわざわざ話したところで、どうにもならない」とか、「余計な不安を煽るだけ」と考えるトップが、いまだに多いのである。

 日本がまだ元気で、社会全体が同じ方向を向き、日本型雇用形態である、終身雇用制や年功序列が当たり前だった時代は、情報の共有など必要なかった。

 会社は「会社のために仕事をちゃんとやってくれるだろう」と労働者に期待し、労働者は「自分のためにちゃんと賃金をくれるだろう」と会社を期待し、どちらも期待どおりにできたし、期待どおりにするのが“フツー”だったので、「会社にすべて任せておけば大丈夫」と誰もが信じ、揺るぎない信頼関係が成立していたのだ。

 だが、会社は「期待」を裏切った。リストラを断行したのだ。

 しかも、それは唐突に、そう、実に唐突に行ったのである。

 ある日、突然“白い封筒”が送られてきたり、朝、新聞を広げたらそこに「自分の会社が大規模なリストラを行うこと」が書かれていたり、「パパ、大変! パパの会社3000人リストラするって言ってたよ!」とテレビを見ていた子どもに教えられたり。

 アノ山一のとき、私はたまたま足裏マッサージ店の待ち合い室にいたのだが、目の前の男性の携帯が鳴り、青ざめていく様子に偶然にも遭遇した。彼は、「えっ?ウソ!テレビでやってるの?……(無言)……。わかった。ちょっと部長に連絡してみる」と電話を切り、慌てた様子でその場を去った。家に帰るとテレビは「山一」のニュースだらけで。おそらく、そうおそらく彼も、山一の関係者だったのだろう。

 その後も突然のリストラはあちらこちらで敢行され、完全に労働者と会社の信頼関係は崩壊してしまったのだ。

 そこで働く人たちが求めたのが、「きちんとした情報」だったのである。