「人生を生き抜く力」は“傘”に左右される

 そういった「人間の矛盾」を加味した上で、心身に悪影響を生じさせる労働時間を分析していくと、ボーダーラインは「月残業時間50時間前後」で、「帰宅時間22時」ということがわかっている。

 実はこの指標、私の大学院時代の指導教官であり、恩師の山崎喜比古先生が1993年に行った調査で明らかにしたもの。この研究は、長時間労働と健康との関係を考察した代表的な研究としていまなお評価されていて、私にとってはバイブルなようなものだ。この調査結果が、働く問題を考えるときの土台になっているといっても過言ではない(東京都立労働研究所「中壮年男性の職業生活と疲労・ストレス」)。

 「残業50時間なんて、夢のまた夢!」と思う人もいるかもしれない。だが、他の研究者が行った調査でも近似した結果が得られているし、脳血管疾患・心臓疾患のリスクも「月残業45時間」を境に急激に高まることがわかっている。

 私たちは想像以上に弱く、想像以上に強い。この二面性が複雑に絡まり合いながら、私たちは社会的な動物として、環境に“適応”しているのである。

 そもそも「自殺する」――と表現をするけど、死にたくて死ぬ人はいない。 

 自殺する人の誰一人として、喜んで死を選ぶ人はいない。

 言い方を変えれば、生きる力が萎えるから「死」に向かってしまうのだ。

 「ストレス対処力(Sense of Coherence:SOC)」――。これは幾度となくこのコラムでも取り上げている概念だが、SOCは誰もが内部に秘めている「生きる力」だ。

 人生で遭遇する困難や危機は、いわば人生の雨。危機を乗り越えるリソース(=傘)を備え、対処(=乗り越えること)に成功すれば、SOCは高められる。

 SOCには、「健康の維持や回復に必要とされる行動を確実かつ継続的に実行できる」防衛能力としての機能もある。

 また、SOCが高いと、ストレスの雨に遭遇しても、決してパニックに陥らずに冷静かつ客観的に受け止められ、ときには「雨が通り過ぎる」まで待ったり、ときには「すぐにやむから」と我慢したり、「これはもっと強くなりそうだぞ」というときには、傘をかき集め濡れないように対処できる。

 しかしながら、どんなにSOCが高い人であっても、手持ちの傘だけではどうにもならないような豪雨に降られたり、傘が見つからなかったりすると、次第にストレス豪雨に心がやられ、生きる力が失せる。

 傘がない、傘が足りない。「傘を貸してください」と頼める他者も、「この傘を使って」と傘を差し出してくれる他者もいない――。こういった状況が、その人のSOCを低下させ、生きる力を萎えさせる。その結果、人は取り返しのつかない、悲しい行動をとってしまうのである。