次から次へと降ってくる雑務を目の前に「も~~お手上げ」と爆発したくなったことは誰にでもあるはず…。え!今日も?(写真=アフロ)
「社畜あるある」を美術品にした「社畜ミュージアム」なる動画が、ちょっとした話題になっている。
最初に展示されているのは、椅子の背もたれに大胆にもたれかかり、天を仰ぐ男性の彫刻で、その名も『お手上げスライダー』。 「終わらない仕事に絶望し、ウォータースライダー状に石化してしまった社畜社員」──らしい。
ほかにも、ちょっと笑えて、切ないシュールな“作品”が展示されているので、まずはこちらからご覧下さい。
「んなこと言ったって、動画が見られないつーの」という方のために、内容を説明しておきます。
「社畜ミュージアム」はモーツァルトのレクイエム「怒りの日」をBGMに、『お手上げスライダー』のほかにも、次のような作品が展示されている。
『戦慄のミッドナイトコール』(油絵)
深夜のクライアントからの電話が鳴り止まず、絶叫する若手社員。
『進捗モンスター』(彫刻)
暇そうな上司から「進捗どう?」と毎日詰められ、爆発寸前の社畜社員。
『寝てない自慢大会』(油彩)
「昨日3時間しか寝てないわー」「オレなんて2時間だし」など睡眠時間を競い合う大会。
『はじめまして、ごめんなさい。』(彫刻)
前任者の業務を引き継ぎ、何もわからぬ状態で、謝罪に行かされる新入社員。
『居残り部長』(油彩)
上司が深夜まで帰宅しないため、会社から脱出できない部下たち。
『月曜、襲来。』(彫刻)
連休が終わり、現実を受け入れられないまま、玄関で絶叫するサラリーマン。
そして、最後のメッセージがこちらです。
「働く人をもっと笑顔に。日本の中小企業を支えたい。」 by 中小機構
さて、いかがでしょう? 当美術館をお楽しみいただけましたか?
え? そう。そうなんです。最後のクレジットにある通り、この動画は独立行政法人中小企業基盤整備機構のPR動画で、企業が抱える諸問題に対して、積極的に支援したいというメッセージを伝えるために製作された。
ふむ。確かに、いますもんね。こういう人たち。
っていうか、私自身がしょっちょう『お手上げスライダー』になっているし、寝起きは常に『月曜、襲来。』。ただ、私の場合は企業勤めをしているわけではないので、単に自分の能力の低さから“作品”になっているだけなので、「自分働き方改革」に精を出すしかない。
問題は、これらの“作品”が職場のアチコチに“展示”されている場合だ。
特に『寝てない自慢大会』と『居残り部長』は厄介である。『自由の女神」が、「私のように一番を目指しなさい!」と群衆にカツを入れたり、部長の”最期の晩餐”に部下全員が付き合わされる習慣がある限り、「働く人がもっと笑顔に」なんて到底ムリ。
長時間労働削減に取り組んだ企業が、最も苦労するのがこれらの展示品の根深さだ。知覚とは習慣であり、心は習慣で動かされる。「知覚」という言葉は心理学用語で、「外界からの刺激に意味づけをするまでの過程」のこと。
つまり、「これっておかしいよ。普通じゃないよ」と、当たり前になっていることにどう風穴を開けるかが一番の課題なのだ。
奇しくも動画が公開された翌日の1月25日、「罰則付き上限規制」と「同一労働同一賃金」の施行時期が中小企業に限り1年延期される方針が伝えられた。理由は「手続きが間に合わない」とされているが、中小企業は2022年4月1日から月60時間超の時間外労働への割増賃金率の適用猶予も廃止されるので、5割増賃金を支払わなくてはならない。1.25倍から1.5倍。深夜に至っては1.75倍だ。
2016年に公表された厚生労働省の調査(「過労死等に関する実態把握のための社会面の調査研究事業」)で、中規模企業の恒常的な長時間労働の実態は既に明かされている。
「過労死ライン」と呼ばれる月80時間を超えて残業をした従業員がいる企業は全体の 22.7%。それを従業員規模別にみると、
1位 1000人以上 56.9%
2位 300~500人未満 36.9%
3位 500~1000人未満 37.7%
で、あたかも大企業の方が深刻そうに見えるが、現実はそう単純な話ではない。
上記は「平成26年度で1カ月の時間外労働が最も長かった月」をソースに分析しているが、これを 「平成27年度10月の月間時間外労働が80時間以上の従業員が、全従業員の2%以上いる企業」で算出すると、結果が逆転するのだ(注:年初や年度末、夏期休暇もない10月を対象にしているのは、平均的な月残業時間の把握が目的と推測される)。
1位 300~500人未満 13.1%
2位 500~1000人未満 8.8%
3位 1000人以上 7.8%
ご覧の通り、300~500人未満の企業の数値は1000人以上の倍近くになってしまうのである。
つまり、中規模企業を取り巻く環境が厳しくなる前に、「長時間労働を絶対になくすぞ!」とひとりでも多くの中小企業のトップや管理職に、強い意志(behavioral intention)を持たせられるかが鍵となる。
ただでさえ人は「変わる」のが下手。「食生活を改めたり、もっと運動したり、タバコを止めないと死にますよ」と医者から警告されても、実際に生活習慣を変えられるのは、7人に1人、そう、たった7人に1人とも言われている。
それほどまでに習慣化された心は頑なで、その頑さの抜け穴になるのが「ごまかし」である。
今回のケースでは、
「罰則だの、割増増加だの、ウチにはムリなんで、ヨロシク!!」
と、サービス残業が増えることになりかねないのである。
と、なんだかものすごい「性悪説」になってしまうのだが、今でも中小企業の残業時間を正確に把握するのは至難の技。裏を返せば、サービス残業が習慣化していることでもある。もちろん中小企業の中には中小ならではの取り組みで残業を削減し、生産性を上げている企業もある。
「最初の3年はしんどかったです。でも、従業員が健康じゃない会社に未来はない。そう信じて踏ん張ったら、V字回復したんです! 受注も増えました。何よりもみんな(従業員)が、生き生きと働くようになって。3年間、踏んばってホントに良かったです」
180名の社員を抱える会社の社長さん(女性)はそう話していた。
動画に話を戻すと、社畜ミュージアムは知覚を変化させるためには、お上品過ぎるといいますか。お固い官僚組織がユーモアたっぷりの動画を作成したことには「偉い!」というか、おそらく相当がんばったに違いない。
が、やっぱり物足りない。実際、SNS(交流サイト)の反応も、「共感」「身にしみる」「泣ける」「普通にある」「日常的」など静かな盛り上がりだった。
勝手な注文であることは承知で言わせていただくなら、もっともっと破壊的なメッセージじゃなきゃダメ。もっともっと「日本死ね!」くらいの破壊力ある動画にして欲しかった。
「寝てない自慢」とか「居残り部長」が絶滅危惧種に指定されるくらいの、メッセージが欲しかったと、実に勝手な感想ではあるけど、心から思っているのである。
で、ここからが問題である。
私自身、何度もなんども「長時間労働を止めろ!!」「週50時間以上働いても生産性は下がるだけだ!」と拳を振り上げて来たけどダメ。知覚を変えるのは容易ではないと、痛感している1人だ。
そこでいっそのこと「労働」を止め、その変わり「睡眠」を中心にしてみてはどうだろうか。「残業規制」を止め「インターバル規制」を徹底させる。日本は長時間労働の国であるとともに、睡眠時間の少ない国としても知られているので、睡眠にフォーカスを当てるのだ。罰則付きのインターバル規制を設ければ、少なくともサービス残業をなくすことはできるはずだ。
以前、書いたことがあるけど、過労死には長時間労働より、睡眠不足の方が危険度が高い。 九州大学の研究グループが、「心筋梗塞の男性患者195人」と「健康な男性331人」の労働時間と睡眠時間を比較し、分析したところ……、
- 「長時間労働で、睡眠不足」(週労働60時間以上・睡眠6時間未満)
⇒心筋梗塞のリスクは4.8倍
- 「長時間労働で、十分寝ている」(週労働60時間以上・睡眠6時間以上)
⇒心筋梗塞のリスクは1.4倍
という結果が得られている。
たとえ長時間労働でも、睡眠時間を6時間以上とるだけで、リスクを減らすことが可能なのだ。(Liu Y, Tanaka H, The Fukuoka Heart Study Group (2002) "Overtime Work, Insufficient Sleep, and Risk of Non-fatal Acute Myocardial Infarction in Japanese Men" Occup Environ Med, 59, 447-451.)。
さらに、知覚を変化させる手立てになるかどうかは疑問だが、日本ではどこにでも見られる“inemuri(居眠り)”が、日本独特の文化とされているのである。
“ The Japanese don’t sleep.They don’t nap. They do “inemuri” (日本人は眠らない。昼寝もしない。“inemuri”をするのだ!)”というタイトルで、歴史的背景を交えて居眠りの謎を考察したコラムが2016年5月に英BBCに掲載され、話題になったことがある。
英ケンブリッジ大学のブリジット・ステガー博士によるもので、かなり笑えるので一部内容を抜粋し、要約して紹介する。
「1980年代のバブル期に流行った“24時間働けますか?”という栄養ドリンクのキャッチコピー並みに夜遅くまで仕事する“サラリーマン”には、私たちには理解できない日常がある。なんと通勤電車で“居眠り”をする。
通勤電車の中で椅子に埋もれるように居眠りしたり、立ったまま“居眠り”したり、いとも簡単に公衆の面前で不用意に寝る。しかも驚くべきことに、周囲もそれを受け入れているのだ。
彼らは睡眠時間を削り働いているので、だらしない居眠りが許されるのだ。
職場での居眠りは『無気力と職務怠慢』の証しではなく、『疲れ果てるまで仕事をがんばった結果』と評価され、実際の業績より『疲れを押して会議に出席』する方が価値が高い。
『日本人の精神はオリンピックに通じている』──と、ある人が教えてくれた。
つまり、『参加することに意義がある』のだ」と。
なんとも……。
「参加することに意義がある」とは失笑せずにはいられなかったが、これは日本人には知覚できないニッポン人の生態なのかもしれない。
このコラムが掲載された半年後には、
“Napping in Public ? In Japan, That’s a Sign of Diligence”(公衆の面前で昼寝? 日本では、それは勤勉の証しである)
というタイトルで、居眠りとサラリーマンの生態を紹介したコラムがニューヨークタイムズに掲載された。
ブライアン・ルソー記者の署名記事で、
「ほとんどの国では職場で寝てしまうことは、職を失いかねない大失態だが、日本では驚くべきことに『勤勉の証し』として評価されている」
とし、
- “inemuri”は、ホワイトカラーの管理職に頻繁に見られる行為
- 若手や生産ラインで働く社員には居眠りは許されない
- 女性の居眠りも批判される
居眠りが「勤勉の証し」とは少々誤解されている気がしないでもないけど、確かに職場で居眠りしている人を見ると「毎晩遅くまで、がんばってるもんね」などといたわることは実際にある。
それに私自身、日本人の長時間労働と短時間睡眠の結果が、inemuri という世界から”奇怪”に見られる行為の引き金になっているとは考えたことがなかった。
知覚とは恐ろしきもの。ばか者、若者、よそ者、のまなざしが、知覚(習慣)を変えるきっかけになることは大いに期待できるので、今後は長時間労働削減、いや、睡眠時間を増やすためのメッセージを重視した策もとことん必要に思う。というか、私はそうするつもりでいます。
最後に、中小企業庁の『2016年版 中小企業白書概要』によると、日本の99.7%は中小企業(小規模事業者含む)で、労働人口の実に7割が中小企業に勤務している。
中小で働く人たちが「もっと笑顔に!」ならない限りお先真っ暗。
さ、今夜はとっとと寝てください。私も寝ます!
■変更履歴
記事掲載当初、時間外労働の割増賃金の記述を「1.25%から1.5%。深夜に至っては1.75%」としていましたが、「1.25倍から1.5倍。深夜に至っては1.75倍」の間違いでした。お詫びして訂正いたします。本文は修正済みです [2018/01/30 11:50]
『他人をバカにしたがる男たち』
なんとおかげさまで五刷出来!あれよあれよの3万部! ジワジワ話題の「ジジイの壁」
『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)
《今週のイチ推し(アサヒ芸能)》江上剛氏
本書は日本の希望となる「ジジイ」になるにはどうすればよいか、を多くの事例を交えながら指南してくれる。組織の「ジジイ」化に悩む人は本書を読めば、目からうろこが落ちること請け合いだ。
特に〈女をバカにする男たち〉の章は本書の白眉ではないか。「組織内で女性が活躍できないのは、男性がエンビー型嫉妬に囚われているから」と説く。これは男対女に限ったことではない。社内いじめ、ヘイトスピーチ、格差社会や貧困問題なども、多くの人がエンビー型嫉妬のワナに落ちてるからではないかと考え込んでしまった。
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