今回は「時間と決断」がテーマです。
事件は、インドネシア空港を午前1時に出発した“機内”で起きた。同機は予定どおり午前8時半頃、徐々に高度を下げ着陸態勢に突入……する予定だった。
ところが、「着陸準備が出来ていません!」とチーフパーサー(CP :客室乗務員の責任者)から連絡。「エコノミークラス約70人分の食事トレーが、まだ回収できていない。もう少し待って欲しい」というのが理由だった。
そこで、機長は急遽着陸を断念。上空を旋回して待つことに。
1回目のトライアルから20分後。「着陸準備完了!」の報告を受けた機長は最終の着陸態勢に入り、同機は午前8時59分、“無事”成田空港に着陸……したはずだった。
いや、着陸はちゃんとした。だが、ホントは着陸しちゃいけなかったのである。
な、なんと恐ろしいことに何十キロもあるカート2台を、CAが座席に座り、両手で押さえたままの状態で着陸していたのだ。大惨事にならなかったのは、不幸中の幸い。着陸の衝撃でカートが通路を暴走していたら――。
実は、これ2005年5月15日の日航機726便で起こったこと。当時、かなり話題になったので思い出された方もいるかもしれない。
「手で押さえて着陸しちゃった事件」を思い出したワケ
2005年は、飛行機事故の“当たり年”で、前半はJAL、後半はANAで数多くのトラブルが発生。幸い死者や重傷者の出る事故には至らなかったが、少しでも状況が変わっていれば、 大惨事につながっていたトラブルも散見された。
その中で、もっとも関係者の背筋を凍らせたのが、この「手で押さえて着陸しちゃった事件」だったのである。
そもそものきっかけは、食事のオーブンスイッチの入れ忘れだ。自らのミスでサービスが遅れていることを正直に伝え、1回目の着陸は回避。が、2回目はウソをついた。
20分のディレイ(Delay)、さし迫る地上の風景、機長からの2度目の連絡……。そのすべてに、CAたちは極度の緊張状態に追い込まれ、“ありえない決断”をしてしまったのだ。
「押さえて着陸しよう!」「両手で押さえれば、大丈夫!」――。
CAであれば、“アノ”カートが、いかに危険か? 何十キロもある“アノ”カートが、着陸時の衝撃で飛び出したらどうなるか? その恐さを百も承知のはずだ。
にもかかわらず、「着陸準備完了」と機長に虚偽の報告をし、乗客に 「トレーの回収がまだの方は、座席下に収納してください!」と指示を出し、収納が間に合わなかった2台のカートを手で押さえたまま着陸したのである。
ありえない。正気の沙汰とは、到底思えない。
ひょっとしたら、あの男性もそんな状況にいたのかも? そうです。み〜んなに迷惑をかけた“アノ”人。
「大事な会議に遅刻しちゃう!!! もう、歩いていく!!」
と言い放ち、駅に向かって線路を歩き始めた、40代の男性である。
「何? それ? 知らないよ~~」と言う方の為に、「大事な会議で降りちゃった事件」をざっとおさらい。
電車の窓をこじ開け、脱出し、線路を歩いて1時間運休
事件がおきたのは、1週間前の12日午前8時頃。
JR常磐線の綾瀬駅で乗客がホームから転落したため、駅の警備員が非常ボタンを押し、電車は綾瀬駅の手前300メートル付近で停車。その後、停車中の列車に乗っていた男性が「会社の大事な会議に遅れてはならない」と、自力で列車の窓を開けて線路上に降り、綾瀬駅に向かって歩き始めた。
あわてた運転手は駅員に連絡。男性は保護され、110番通報で駆けつけた警視庁綾瀬署員が男性を事情聴取し、厳重注意。
このトラブルで常磐線各駅停車は運転を見合わせ、午前9時17分ごろ、運転を再開。常磐線上下線計41本に最大約1時間の遅れが出て、6万4000人に影響が出てしまったのだ。
ありえない……。一本電話を入れれば、すんだはず。
なのに、彼は「窓をこじ開け、そこから脱出し、歩く」というありえない決断をしてしまったのである。
「30分前に着く」派vs.「30分前行動=ブラック」派
当然、車内で待たされた乗客たちは、男性の行動に怒り心頭。
「ふざけるな」「どんだけ大事な会議なんだ!」「社畜か!」「オッサン、頼むぜ!」などなど、怒号、批判、罵倒が、ネットであふれかえったのは言うまでもない。
一方、ごく少数ではあったが、「部下に普段から遅刻厳禁と厳しく言っていたんじゃないか?」「一世一代をかけた会議だったんじゃないか」と男性を思いやる人たちもいた。
すると今度は、その“優しさ(といっていいのか?)”に、ネット住民たちは一気に反応。
「そんなに大事なら、電車遅延を想定してもっと時間に余裕を持つべきだ!」
「数本早い電車に乗るのも常識の範疇」
「新人の頃から50歳の現在まで、私は必ず会社には30分前到着している」
という意見も飛び出し、ネットは「何があっても大丈夫なように、早く家を出ろ!」と盛り上がった
で、これで終わりかと思いきや、今度は…、
「なんでいちいち遅れるかどうかわからない電車に合わせて、行動取らなきゃいけないんだよ」
「社畜大国ニッポン」
「ブラック企業がなくならない理由は、これか!」
「その分、賃金上乗せしろ!」
などなど、「会社には30分は早く着く=美徳」vs.「30分前行動=ブラック」論議が始まったのだ。
「いかなる会議にも遅刻は許さない」ってヘンじゃない?
なんとも……。なんかネットって面白い、というか、恐いというか。ひとつの情報にコメントがつくことによって、あれよあれよと展開し、拡散、炎上する。
いやいや、何も“昨今のネット論争”を取り上げようっというわけではありません。
そうではなく、確かに“男性の行動”は問題だが、「いかなる会議にも遅刻は許さない」とする意見には、少々違和感を覚えてしまったのだ。
だって、それこそ「子どもを幼稚園に送っていく」為や、「親を介護している」為に、ギリギリ出社になってしまうケースもあるわけで。“その人”が会社に来るまでの時間をどう使っているかなんて、知らないわけで。「30分前には着いて、準備すべし!」なんて価値観を突きつけられると、うう〜〜〜っと唸りたくなる。
そもそも、「たかが遅刻、たかが会議」だ。会社が盗賊に襲われたわけでも、誰かの命がかかっているわけでもない。たかが会議なのだ。
それに、至極正直な気持ちを言うと、私は、少しだけこの男性の気持ちがわかった。かくいう私も、フツーだったらありえない行動に走りそうになった経験がありまして。3.11の大地震のとき水戸駅で被災し、電車が止まり、道路が陥没し、タクシーも全く捕まらなかったときに、「歩いて帰ろう!」と一瞬思ってしまったのだ。
水戸から東京まで、およそ100キロ。時速4kmで歩いたとしても25時間かかる距離を、しかもハイヒールで、「歩いて帰ろう!」と。それこそ電話一本で翌日の仕事などどうにでもなる(実際、震災の影響で無くなりました)。なのに、そのときの私は、冒頭のCAやこの男性と同じように、とんでもない間違った決断をし・そ・う・になっていたのである(タクシーがつかまったのでしませんでした)。
「1秒でも早く、緊張から解放されたい」という深層心理
時間的切迫度(time pressure)――。時間に追いつめられた状況は、人間の心に想像以上のストレスとなる。
なんらかの意志を決定するプロセスにおける“質”は、そこに「十分な時間があるか否か」に大きく依存している。
「時間がある」場合には、徹底的な情報分析を行い、いくつかの代替案をプラスとマイナスの天秤にかけることで、高度のレベルでの意思決定を行うことができる。
だが、「時間がない」状況下では極度のストレス状態に陥るため、直面した最悪の危機を避けられそうな『最初に浮かんだ案』を選択する傾向がある。たとえそれが、どんなに配慮を欠く、非常識な決断であっても関係ない。
「1秒でも早く、緊張から解放されたい」という深層心理が、常識やモラルを完全に凌駕するのだ。
とりわけ人間には自己防衛規制という、「どうにか自分を守りたい」という心の動きがあるため、「他人がどう」とか関係ない。自分さえ、最悪の事態を避けられればいいと判断する。
冒頭のCAであれば、最初に浮かぶ最悪の危機は、「着陸を再度遅らせてしまうこと」。
とりわけ自分のミスで、オーブンのスイッチを押し忘れたCAにとっては、「これ以上のミスはできない」と追いつめられる。その結果、「準備完了!」などと虚偽の報告をし、「押さえておけば大丈夫!」と自分に無意識のウソをつくことで、自分の最悪の危機を回避した。
一方、電車を降りた男性の最悪の危機は、「会議への遅刻」だ。
あと300メートル先に駅が見える。歩けば5分もかからない。「ならば歩こう!」と、窓をこじ上げ、線路を歩いた。
おそらくCAも、男性も、「良かった~! これで間に合う」と安堵した。それが結果的に、とんでもない結末を招くなど、一切考えることもなく。とにかく時間的切迫度から解放された安堵感が、すべての思考を停止させてしまうのである。
おまけに、人間は結果に引きずられる傾向が強い。結果良ければ、すべてよし! というわけではないけれども、結果がいいと倫理に反する行為まで許してしまう都合良さも持ち合わせている。
時間的に切迫するとパフォーマンスは2割落ちる
少々脱線するが、この時間的切迫感は、「振り込め詐欺」にも悪利用されている。
「電話」という相手の顔が分からない状況の下、「すぐに振り込まないと、訴えられる」と不安や恐怖心を掻き立てる文言で時間的に切迫した状況を作り出し、被害者から冷静な判断を奪うように仕向けているのだ。
たかが時間、されど時間。時間は、ときに人間を狂わす実に恐ろしい、“目に見えない魔物”なのだ。
いや、それだけじゃない。時間的切迫度は、仕事のパフォーマンスにもマイナスの影響を及ぼすことが、さまざまな実証研究で確かめられているのだ。特に、ヒューマンエラーによる事故が増えている背景には、「時間的切迫度」の存在が示唆されている。
ある実験によれば、時間的に切迫した状況に直面するとパフォーマンスが通常時の2割減になるとの報告もある。
ただ、ある程度のプレッシャーがかかった方が、パフォーマンスが高まるという事実も存在する。その境界線は、物理的な時間的圧力に加え、主観的時間的切迫感、すなわち作業をしている当人が、「時間に追われている」と感じる度合いが影響する。
人間の許容範囲を超えつつあるのでは?
いずれにしても、現代社会の“時間”は、既に人間の許容範囲を超えつつあるのではないだろうか。数々のヒューマンエラー。信じ難い決断。倫理的に許されない行動――。そういった事例の背景に、時間的切迫度が潜んでいる。
便利さを追求した結果、私たちは常に「時間」に追われ「その早さに、対応しなきゃダメ」と、自ら切迫感を作り出しているのである。
ふと気付くと、また走っているのである
思い起こせば、今からウン十年前の私がまだ、中学2年だった頃。住み慣れたアラバマの田舎町から日本に帰国する際に、ホノルルで久しぶりに見た日本人は、実に異様だった。
みんな、みんな、走っていた。空港で、モールで、日本人はみんな走ってた。
「お兄ちゃん、なんでニッポンの人って、みんな走ってるの?」
「しらな~い。なんで走ってるんだろうね~」
「みんな笑いながら走ってるよ~~」
「笑ってない人もいるよ~~」
「(2人揃って)でも、み~んな走ってて、かっこわる~い。日本人って、変~~~!!」
そんな会話を兄としたのを覚えている。
アラバマでは(まぁ、そもそも田舎だし、車だし、苦笑)、ジョギング中でもない限り人は走らなかった。なのに、日本人は走ってた。実に不思議な光景で、滑稽な姿に、子どもながらに違和感を覚えた。
ところが、ふと気付くと、「赤になりそう!」と横断歩道を走り、「電車に乗り遅れる~」と駅まで走り、「タクシー~~!」と右手を上げながら反対車線に走る、正真正銘の“日本人”の自分がいる。
なんとも……。
日本、特に「東京」という場所は、人間の適応を超えた“時間”の町。そんな町の片隅で、“ありえない決断”をしなくてもいいような気持ちの余裕を持つには、どうしたらいいのだろう。申し訳ないけど、「はい、これで!」と断言するほどの答えを私は今、持ち合わせていない。ただ、「いかなる理由があっても、会議には遅れてはならない」とたしなめる前に、遅刻した本人が「遅刻した理由」を正直に言えるくらいの余裕を、持てたらいいなぁと心から思う。
雪の影響でごったがえす新宿駅で、ふとそう願うひとときでありました。
この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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