「モノ」も「人」も価値が下がっている

 確かに「カネ」は私たちが生きていく上で、極めて大切なリソースである。カネが人間の生活を豊かにしたことを、否定する気はコレっぽちもない。

 でも、やっぱりなんかおかしいでしょ?なんで「人の姿」が見えないかさついたコメントばかりを、みんな口にする?

 改めて書くまでもないけど、社会的動物である「人」は、いわゆる"経済活動"をずっとずっと昔からやってきた。「私のコレとあなたのソレを交換しましょう」と物々交換することで、私たちは豊かな暮らしを求めたわけです(記憶に間違いがなければ社会の時間にそう習ったはずだが…)。

 でもって、物々交換のときに「え~、こっちのほうが価値あるじゃん!」と余計な喧嘩が増えないよう、価値判定の基準として生まれたのが麦や塩などの「秤量貨幣」だ。

 でも麦や塩は腐ったり、品質が低下したりするので貯蔵できない。その対策として誕生したのが、変質しない金貨(=カネ)だ。

 つまり、私たちは経済活動をする中で知恵を絞り、技術力を高め、成長してきた。経済活動において大切なのはカネじゃなくヒト。

 うつ、過労死、過労自殺、子どもの貧困、賃金格差……etc、etc、社会問題が足下に山積し、労働は生活を豊かにするための作業のはずなのに、労働で心身が蝕まれる人たちが量産されている。

 おまけに稼げるカネはちっとも増えていない。いや、むしろ減っているぞ。私はフリーランスなので余計にそれを身をもって感じている。

 例えば、確実に数年前に比べると忙しいのだが、稼げるカネはちっとも増えていない。求められる仕事の質は高まっているのに、価値判定がちっとも上がっていない。

 これには二つの解釈ができる。

 ひとつは過去の対価が高すぎた、という考え方。
 そして、もうひとつが“人”そのものへの価値が下がっている、という考え方だ。

 そういえば朝日新聞が「我々はどこから来てどこへ向かうのか?」という特集を、元日から組んでいるのだが、そこに興味深いことが書いてあった。(以下抜粋)

「この25年間の名目成長率はほぼゼロ。(中略)失われた20年と言われたその間も、私たちの豊さへの歩みが止まっていたわけではない。(中略)若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像して欲しい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全巻35巻で20万円超…。控えめに見積もったとしても、軽く80万円は超える」

 記事ではこれを「GDPでは見えない豊かさの象徴」とした。

 なるほど。そういう解釈もできるけど80万円の価値があったものを8万円で買えるまでにしたのは「人」だ。人が知恵を絞り、労力を注ぎ、技術を発達させ効率化した。ならば人の価値判定は高まっていいはずである。労働の時間を減らし、その時間を心を豊かにする時間に充てればいい。

 ところが実際には逆の現象が起きている。この現実をどう理解すればいいのだろうか。考えれば考えるほど私は混乱してしまうのである。