全6822文字

シビックが出てきて「ミニバンの会社」から変わり始めた

:シビックが出てきて、ちょっと流れが変わってきたかなという感じがしています。ええ、TYPE Rもそうですし、シビックが日本で復活して、あのクルマでちょっとイメージが変わってきたかな、という兆しがあります。だからあんまり最近は「ホンダはミニバンの会社」とは言われません。

独ニュルブルクリンクサーキットを疾走するシビック TYPE R。コメント欄で登場を希望される方もいらした。

F:「ホンダはミニバンの会社」、と言われるのはうれしくないですか。

:あんまり僕はうれしくない。だけど、何も言われないよりはずっと良いとも思っています。ミニバンでも何でも、チャームポイントじゃないですが、「ホンダと言ったらコレ」というのが何かあるのはとても大事なことです。

F:「ホンダって何の会社だっけ?」と言われるよりはずっといい。

:そうそう、そうですよ。その通り。全く。そう言われるよりはずっとマシです。

F:お客さんもそうですが、ホンダの社員は全員がクルマ好き、モータースポーツも大好き、というイメージがあります。そのモータースポーツの2輪も4輪も仕切る“モータースポーツ部長”というお仕事は、ホンダ全社員の憧れの的だと思います。山本さんは、どうやって今のお立場になられたのですか。元々のバックグラウンドを教えてください。

:僕は最初、和光研究所<編注:ホンダの子会社、本田技術研究所の四輪R&Dセンター(和光)のこと>っていうとこに入って、デザインのモデルスタジオの中の仕事をしていたんです。本当はエンジン設計をやりたくてホンダに入ったんだけど、何か入ったらそんなふうになってしまって……(苦笑)。いろいろ文句も言ったんだけど、聞き入れてもらえなくて。それで20代の後半から今でいう係長みたいな、マネージメント的な仕事が多くなってきて、デザイン系のデータとかモデルとか、CATIA(3次元CADソフトの定番、仏ダッソー・システムズの製品)を使う部屋のマネジャーもやりました。そんなことを続けながら、今から8年前に栃木研究所<同:四輪R&Dセンター(栃木)>に転勤して、技術広報室という部署に異動になりました。

F:ホンダには技術広報という部署があるのですか。

:元々は技術情報室という部署で、ハシケンさんが長くやっていたところです。ハシケンさんご存知ですか? 橋本健さん。ホンダの名物オジサン(笑)。もう定年された方なんだけど、その人がずっとやっていた部署。そこで5、6年やって、2年前に今のモータースポーツ部長になったという感じですね。

F:モータースポーツ部長になったのは、何かキッカケのようなものはあるのですか?