みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
今回も明るく楽しくヨタ話から参りましょう。
週末は新潟県村上市で開催された「村上トライアスロン」へ出場してまいりました。風光明媚な海沿いの道をバイクで走り抜け、また元和の時代に、堀直竒(ほり なおより)により整備された美しい城下町を駆け抜ける、日本屈指の美しいコース設定のレースです。
今回はトライアスロンチームvenga!venga!に混ぜてもらっての参加です。ツアーを仕切ってくれたヨッシー小山氏は、諸般の事情で参加できなくなってしまいましたが、東京駅まで見送りに来て下さいました。感謝!
村上駅に到着すると、吹奏楽団が高らかに行進曲を奏で、謎のゆるキャラが我々を迎えてくださいます。正しく街を挙げての大歓迎ムード。これは気合を入れて走らねばなぁ……と思いきや、当日は蒸気機関車「日本海庄内号」が運行されていて、その歓迎セレモニーなのでした。
地元村上高校吹奏楽部の皆様。奥にはSL日本海庄内号が見えます。我々ではなく、蒸気機関車を歓迎しているのでした。
大会当日は天候にも恵まれ、海も比較的穏やかで、最高のコンディション。連休に沖縄で珍しく練習もしていたので、気持ちよく走ることが出きました。タイムも2時間31分とソコソコだったのですが、何しろ日本全国からランキング上位の名だたる選手諸侯が参加しており、エイジで13位と、入賞にはカスリもしない凡結果となってしまいました。あと10分以上速くならないと入賞できません。気が遠くなります。
「あの“死にました”写真は、どのように撮っているのですか?」との質問がおありましたので写真付きでお答えいたします。自分のカメラを渡して、このように撮影しているのです。
「死にました」写真の撮影風景。撮るところを撮られました(笑)。
無事にレースを終え、市内の老舗割烹の大広間で盛大に打ち上げ会を行いました。割烹吉源。創業200年、この建物は築90年超だそうです。
落ち着いた町並みの中に建つ重厚な門構え。玄関は清々しく掃き清められ、打ち水が打たれています。
藩政時代、お殿様が非常に有能な方だったのでしょう。この割烹だけでなく、村上は城跡、武家屋敷、町屋、寺町が今でもキッチリと残されている全国でも稀有な町です。今回はバタバタと慌ただしい旅行でしたが、2、3泊してゆっくり町を散策したら楽しそうです。
吉源のご主人。希少なお酒を差し入れて頂きました。美味しゅうございました。
ということで本編へと参りましょう。三菱自動車の執行役員で車両技術開発本部長の鳥居 勲氏のインタビューの最終回です。
良かったです。ものすごく良かった。
鳥居(以下、鳥):ちなみにフェルさん。新しいアウトランダーPHEVには試乗されましたか。
フェルディナント(以下、F):はい。先日一週間ほどお借りして、たっぷりと試乗させていただきました。
鳥:いかがでしたか?
F:良かったです。ものすごく良かった。ここ最近試乗したクルマの中では図抜けて良かったです。
三菱自動車一同:おぉ!
F:低速域ではしっとりとしている。それでいて飛ばしても決して乱れない上質な足回り。力強くシームレスな加速。エンジンが掛かっても気付かないほどの優れた遮音性。しかも荷物がタップリ詰める。PHEVだから当然燃費も良い。文句なしです。上質、洗練。そんな言葉が似合う最高に良いクルマです。
マンちゃん:珍しくフェルさんベタ褒めでしたものね。普段はあれダメこれダメと文句ばかり言うのに。この人がここまで褒めるのは珍しいです(笑)。
三菱自動車一同:ありがとうございます!
F:パドルでエネルギー回生の強弱を切り替えてエンブレ的に使えるのも素晴らしいアイデアです。それにつながるような日産自動車のワンペダルドライブも、初めから違和感なく入れて実に快適でした。NOTE e-POWERの記事にも書きましたが、ワンペダルは次世代のクルマの標準になっていくのではないかとさえ思います。アウトランダーPHEVの開発に際しては、日産と技術的なやりとりがあったのですか?
鳥:いえ、ありません。あれはウチ独自で開発したものです。
F:本当に良かった。今思い出してもウットリするくらい良かったです。ああ……いま脳内には幸福ホルモンが溢れています……(笑)
鳥:ありがとうございます。嬉しいです。
F:三菱自動車製でなければ、自分で買いたいくらいです。
鳥:……え、それは……。
担当編集Y崎:フェルさん。それは言い過ぎですよ。
マンちゃん:いくらなんでもひどいですよ。
F:ご無礼を申し上げます。本当に申し訳ありません。でも、ごめんなさい。これが私の本音です。すごく良いクルマだと思う。でも今の時点では買えない。まだどこかに何か隠しているんじゃないか、実はここを誤魔化してましたー、とか後から出て来るんじゃないかとつい勘ぐってしまうんです。2000年の時も、2004年の時もそうでしたよね。もうしません。再発防止に努めます、と内外に誓っていたのに。
テープ起こしの原稿を読み返しても、本当にひどいことを言っていると思う。相手が反論しがたい状況にあるのを良いことに、“水に落ちた犬は叩け”とばかりに、ゲスな言葉を投げかけている。不快に思われた方は、これ以上読み進まないほうが良いかも知れない。今回の原稿で、もっとゲスい言葉が出てきます。
鳥:そうですね。私もそうです。
F:それなのにまた繰り返されてしまった。そしてまた「もうしません」と言っている。またかよ、ホンマかいな?というのが私の偽らざる気持ちです。
鳥:今のフェルさんの気持ちが、日本の市場における三菱自動車の評価だと思います。そしてそれはシェアにも現れています。我々は、今はその事実を厳粛に受け止めるしかないと思います。私が今ここで何かを言ったところで、すぐに評価がひっくり返って、みなさんにウェルカムしていただけるかと、そんな状態でもありませんし。
F:そうですよね。そんな「魔法の言葉」は絶対にない。
鳥:地道に、ひたむきに。一つひとつ優れた商品を出して信頼を積み重ねていくしかない。そしてお客様に理解していただくしかないんじゃないかと思っています。フェルさんには厳しいことを言われましたが、いろいろ批判していただくのは当然ですし、我々はそれを次なる改善に結び付けていきたいと思っています。いろいろなご意見をうかがいたいです。
F:なるほど。いや、ご無礼を申し上げました。しかしアウトランダーPHEVは良いですね。本当に良い。冬になったらもう一度借りて、あれでスキーに行きたいです。
鳥:オールマイティーですよ。海でも雪山でもどこにでも行けます。そうそう。このクルマを開発したエンジニアは、前にランサーエボリューションをやっていた人間です。彼もラリーをやっていて、日本ラリーで優勝したこともあるんです。その下の担当が、これまた熱い男で……その2人がエボリューションの開発をずっとやっていたんです。
F:それは面白そうですね。実はアウトランダーPHEVは、鳥居さんのインタビューに際して、三菱自動車のクルマに何も乗っていないのでは話もできないな、ということでお借りしたのですが、これは別個で記事にしなければいけませんね。
三菱自動車広報:彼らは非常に……ちょっとあの……お話が大好きな人間なんですが……。
F:しゃべりすぎる?今は出せませんか?(笑)
鳥:いや、いいですよ。大丈夫です(笑)。
ランエボはなぜやめたのか?
F:ところでランエボ(ランサーエボリューション)はどうして止めてしまったのですか?マニアック過ぎてビジネスとして成り立たなくなったのですか?
三菱自動車広報:ビジネスとしては成り立っていました。ですが全体的なボリュームがどうしても小さ過ぎるので。最終的なところだと、北米で一番売れていました。ファイナルエディションは、日本で1000台、アメリカで1600台だったかな。あとはそうですね、環境面とか安全面とか、いろいろな面で見直しが必要な時期にもなっていましたので。
鳥:(ランエボを開発していた)2人のインタビューは面白いかもしれないね。そういえば前回の株主総会で、益子(修)社長がパジェロとランエボの話をちらっとしたんですよ。そうしたら、三菱自動車はパジェロとランエボをやるのか、みたいな話がワッと広がってしまって……。
F:やるんですか?パジェロのフルモデルチェンジとランエボの復活。
鳥:株主総会での話は、少し変な形で伝わってしまって……益子社長は、三菱自動車がキチンとV字回復を果たして、市場の中でそれなりのポジションを日産とのアライアンスの中で再構築できた後にやりたいよね……という表現で言ったんです。
三菱自動車広報:ひとつの夢としてお伝えしたかったのが、ちょっと違う形で盛り上がってしまって。
F:パジェロとランエボを出して、それを三菱自動車復活の起爆剤とする、という話ではないんですね。
鳥:違います。
F:三菱自動車を良くするために出すのでなく、良くなってから出すと。
鳥:はい。それにしてもあの反応には驚きました。反応があまりにも大きくて、我々も大いに勇気づけられました。
F:熱烈なファンがいますからね。ランエボ、パジェロは。信者がいるから。
鳥:我々の社員の中にも、いつかはランエボをやりたい、いつかパジェロを出したいという思いを持った人間がたくさんいます。また日産から来てマーケティングを見ている人も、ランエボとかパジェロの、いわゆる“三菱のブランド”を、何とか大事にしたいね、生かして行こうよと言って下さっている人がたくさんいるんです。
F:日産の話が出たので、同社とのアライアンスについていかがいます。日産の持株比率は34%......でしたっけ?過半数ではないけど、3分の1超だから、株主総会における拒否権はある。ルノーと日産のアライアンスに組み込まれてからどんな感じですか。ざっくりとした印象をお願いします。
鳥:三菱自動車の企業文化、企業体質を変えていく部分と、ルノー・日産アライアンスの一員として貢献できるように。かつ三菱自動車のブランドをどう守っていくか、ということを並行してやっています。日産からは人を大勢派遣していただいています。日産も苦労されたんですよね。ゴーンさんが来た頃には。
F:いわゆるゴーンショック。コストカッターの異名を取り、すさまじい系列切りが始まりました。
鳥:その時代に日産をつくりかえた人たちの意見もうかがいながら、今、改善に取り組んでいます。
F:日産はこうやってきたんだから、三菱も同じようにこうしなさい、と。そういうことは言ってこないんですか。
鳥:そういう部分もあります。例えば開発でプラットフォームを一緒に開発したりする部分ですね。プロセスを一緒にしたり、スペックを一緒にしたりというのはこれからどんどんやっていきます。ただし、企業文化をつくっていく中の活動は、三菱自動車に合ったやり方でやると。決して押し付けるような形ではないですね。日産からは副社長として、山下(光彦)さんに来ていただきました。山下さんは日産で技術のトップだった、やはり経験が豊富な方なので。三菱自動車だ、日産だ、という枠だけでなく、自動車業界全体のレベルアップを図ろうとされています。何しろ自動車技術会の元トップですから。
F:山下副社長と鳥居さんで、技術的なやりとりはあるのですか。
鳥:めっちゃあります。山下さんは私の直属の上司です(笑)。
F:どんな印象の方ですか。
鳥:非常に話しやすい方で、ジェントルマンです。
F:資本が入り、人が送り込まれ、日産は三菱自動車にとって進駐軍ではないのですか。
鳥:そんなこと全くないです。山下さんは、ふた言目には、「改革は自らのパワーで、自分たちの力でやれ」と言います。「power comes from inside」ですね。日産にゴーンさんが来た時もそうでしたが、進駐軍として乗り込んで来て、「あれやれこれやれ」じゃなくて、問題の本質は何ですかと。それを改善するためにはどうするんですか、という進め方をしていきます。特に山下さんは、そういうプロセスを非常に大事にする人です。
F:山下さんはプロセスを大事にする人。なるほど。
鳥:組織改革も行いました。我々開発本部で言うと、従来は1つだったのを4つの本部に分けて、山下さんの下に我々4人の本部長がいて、4階層が2階層になりました。
F:最近、業績の数字もいいですものね。株価も絶好調。既にボトムアウトして、V字回復の基調に入ったと言っても良い段階になりました。具体的には、どこで何がそんなに売れているのですか?
鳥:今はやっぱりASEAN(東南アジア)が販売の中心ですね。
F:海外が良い。
三菱自動車広報:当社の海外比率は9割です。トライトンとかパジェロスポーツとか、あの辺が稼ぎ頭になります。
F:9割が海外!それじゃもう日本国内は売れなくたっていいや、燃費だ何だと細かいことを言うな、という気持ちになりませんか。
鳥:それはないですよ。三菱自動車は日本の会社なのですから、日本でちゃんと売れなければ寂しいです。
三菱自動車広報:日本で事業活動できないと、人材も集まらないですし。
外に出さなかったことをどんどん出していく
F:これから変えていくことを教えて下さい。
鳥:今までは外に出さなかったこと、どんどん出していきます。例えばエンジンの適合なんかも、外部に技術を持った会社がたくさんありますので、積極的に活用していく。設備が足りなかったら、外の設備を借りてきます。人を借りる、設備を借りる。そして工数マネジメントをちゃんとやる。もちろん内部のプロセスを変えたり、人材の教育をしたりしながら効率よく仕事を進める事は併せてやっていきますが、かなりの部分、外注を増やしました。今までは(社内で)「何とかしろ」と言っていた事を。
F:今までは全部自分たちでやろうという雰囲気だったのですか。自前主義?
鳥:昔はそうでした。要するに外にお金を出すのはもったいない、という部分もあって。そこが大きく変わりました。我々の商品計画を実現するために必要な工数はこれだと。その工数を、足りない分をどうするかというところから、じゃあ、自分たちでできないんだったら頼むしかないね、と。
F:今まではそれを。
鳥:正直な話、何とかしろ、みたいなところもありました。例えば先行研究を少し削って、研究の人を開発に回したり、研究部を廃止にしたりしたこともあったんです。クルマの開発は、これからどんどん難しくなって行きます。様々な新技術に対して、我々のような規模の会社で、全て自前で開発と調達を行うのは難しい。そこはアライアンスの力で共同開発をする。
将来に向けての新技術は一緒にやって、それをどう商品にアプライするかは自分たちでやる。自動運転やコミュニケーションなどの基幹技術は一緒に開発して、それをどう商品に盛り込むか。インテグレーションは自分たちのそれぞれのブランドでやっていく。そうすれば、マンパワーは3分の1に減らせる。日産とは、今いろいろな面で協議をしています。そして一部ではもう始まっています。
F:なるほど。大きな方向として、三菱自動車は今どこに向かっているのですか。EVの会社になっていくのか。PHEVに特化するのか。あるいはガソリンもディーゼルもEVも、とフルで揃えて総合力で勝負するのか。三菱自動車のブランドって何?と聞かれたらどうお答えになりますか?
鳥:ひとつはSUVです。四輪の制御も含めたSUVが我々の1つの柱となる。
F:なるほど。三菱自動車はジープのライセンス以来、四駆のイメージが非常に強いですから、腑に落ちますね。
鳥:もうひとつは電動化です。今回のPHEVはとてもうまく行ったので、PHEVをさらに進化させます。
F:今よりももっと良くするのですか。アウトランダーは今でも十分に良いと思いますが。
鳥:バッテリー会社とも共同で開発して、エネルギー密度を上げていきます。モーターの駆動と、そこに四輪の動きを最適化させるマネジメントも、もっともっと進化させます。それをSUVでどう生かしていくか。SUVの人気は高まる一方です。でも、あんな大きくて重いクルマは、コンベンショナルな内燃機関では、燃費問題、排出ガス問題に対応できなくなってくる。だから電動化です。我々はそこにどういうソリューションを準備するのか。
F:なるほどなるほど。電動化と四駆の制御。両方とも三菱自動車が得意とするところですものね。何となく将来像が見えてきました。なるほど。
鳥:あの事件以降、エンジニアの元気がなくなりました。退職者もだいぶ出ました。
F:やはり辞めた人も出た。
鳥:前のリコール問題のときにも同じことがありました。「私は三菱自動車にいたいんですけど、親戚、嫁さんの親戚が辞めろと言うんです」とか、そんな話です。
F:きつい……。
鳥:いろいろなプレッシャーをエンジニアが受けていたというのは事実です。私の部下も、そう言って辞めて、違う会社に移っていった人も何人もいます。だからウチは、40歳前後の働き盛りの年代がポコッと抜けているんですよ。
F:辛い……。
鳥:だからお客様にはもちろんですが、社員にも見せなきゃいけない。エンジニアも見せなきゃいけないんです。それが「Performance Revolution」活動です。我々はPRev(ピーレブ)と呼んでいます。自ら変えていくんだと。あらゆることを変えていくんだと。
F:なるほど。
鳥:岡崎の田舎に引っ込んでいたのもいけなかった。開発はあそこで固まって外になかなか出ようとしなかった。それも変えていきます。「どんどん外へ行きましょう」「ベンチマークしましょう」「いろいろなところを見ていきましょう」といった活動を、今、積極的にやっています。どんどん進めています。
F:ありがとうございます。お話をうかがって、今度こそ、もしかしたら本当に変わるのかも……と思えてきました。最後に読者のみなさんに何かメッセージをお願いします。いろいろ厳しいコメントが入るかも知れませんが、何しろクルマ好きが多く読んで下さるページですから。ぜひ。
鳥:今、我々がやっているクルマ造りを体験して頂きたいです。ぜひ三菱自動車のディーラーに来て、アウトランダーPHEVに1回でも乗っていただきたい。我々は真摯にクルマをつくっています。地球環境を考え、環境問題に真面目に取り組んで、ああいう形で商品にして、世の中に出させていただいています。それを一度体感していただきたいです。
F:アウトランダーPHEVを試乗すれば、三菱自動車の“今”が分かる、という事ですね。長時間ありがとうござました。
一同:ありがとうございました。
ということで鳥居さんのロングインタビューは終了した。
読者諸兄はどのような印象を持たれただろうか。他の会社のインタビューとは明らかに違う雰囲気の中、私としては相当シツコク食い下がり、また鳥居さんは、その一つひとつに、実に丁寧に回答して下さった。
前号のコメント欄は一方的に非難で埋め尽くされた感があるが、いい印象を持たれた方の書き込みもお待ちしています。サプライヤーや販売店、またユーザー等関係者の方からご意見も大歓迎。日頃の鬱憤をぶち撒けるだけでなく、建設的な意見の交換ができれば嬉しく思います。
来週はクルマから離れて、面白いリポートをお届けします。お楽しみに!(ああ、このセリフを久しぶりに言えた……)
砂漠を激走するパジェロを再び見られるのか
こんにちは。AD高橋です。
今回、インタビューに応じていただいた鳥居勲さんは、2004年10月から三菱自動車のモータースポーツ統括会社MMSP GmbH(ドイツ)の社長を務めた人物でもあります。三菱のモータースポーツといえば、WRCに参戦したランサーエボリューションやダカールラリーのパジェロを思い浮かべる人も多いはず。三菱自動車はダカールラリーで2001年から2007年まで7年連続優勝。鳥居さんも表彰台の横で手を上げたそうです。
三菱自動車のダカールラリー初挑戦は1983年。市販車無改造クラスでエントリーし、いきなりクラス優勝(総合11位)を果たします。翌年からは市販車改造クラス、1985年にはプロトタイプクラスへとステップアップします。そして1985年に初の総合優勝を果たしました。
1987年には篠塚建次郎選手がパジェロを操り総合3位、翌年には総合2位入賞を果たします。1987年のパリダカはNHKが中継を行いました。私が以前に篠塚選手のインタビューをしたとき、「ラリーを終えて日本に帰ってきたらお祭り騒ぎになっていて、このパリダカを境に月販数百台だったパジェロが急に10倍以上、最盛期には月1万台以上売れた」と話していたのが印象的でした。篠塚さんは1997年のダカール〜アガデス〜ダカールラリーで念願の総合優勝を果たします。
翌1998年は、篠塚選手が総合2位、そしてジャン・ピエール・フォントネ選手/ジル・ピカール選手がドライブしたパジェロが総合優勝。2001年12月18日〜2002年1月13日に行われた第24回大会では、増岡浩選手が総合優勝を果たします。
2009年2月4日、三菱自動車はダカールラリーからの撤退を発表しました。このニュースは三菱自動車の社員たちも驚いたと言います。このページを見てくださっている方の中には、砂漠を激走するパジェロに憧れた人も多いと思います。いつかまたパジェロが走っている姿を見てみたいですね。
この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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