みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
今週も明るく楽しくヨタ話からまいりましょう。
購入したばかりのフェル号ですが、早速車検の時期を迎えまして、この機会にイッキに整備も済ませてしまおうと、空冷ポルシェの名医としてその名も高いメンテナンスガレージ「シンリュウ」に行ってきました。
貴重な空冷ポルシェが続々と入庫してくるシンリュウのガレージ。
シンリュウさんは本来空冷の専門店で、基本的に新規の水冷は受け付けていないのですが、今回は「 THE 911&Porsche Magazine 」名物編集長である清家厚志さんのご紹介で特別に見ていただけることになりました。もちろんこの「ご紹介」には背景がありまして、フェル号改造記をポルシェマガジンに記事として連載することが決まっております。憧れのポルシェ専門誌に寄稿できるのですから、これは嬉しい。光栄の至りです。
シンリュウ代表取締役 箭内健太氏(中)と、
キザス代表取締役の山下純一氏(右)。
本職の自動車評論家、河口まなぶ氏からは依然猛反対されているのですが、やはり少しずつモディファイしていこうと思います。ホイールも18インチじゃ迫力不足なので軽くインチアップする予定です。やはり鍛造が良いかなぁ……。
空冷エンジンに埋もれる水冷ポルシェの図。これからリフトで上げて、精密診断が行われます。信頼できる友人からの個人売買ですが、何しろ中古車ですからね。徹底的に調べないといけません。
話は脈絡無く“食”へと飛びますが、池袋の「かぶと」で極上のうなぎを食べてきました。
超人気店で、年内の席は全て埋まっています。今回は美食家の友人、松田充弘君の予約に便乗する形での訪問です。
天然と養殖の食べ比べや、同じ素材を江戸前と関西風に焼き比べたり、プレゼンテーションも凝っています。次はいつ来られるのでしょう……。
ということで、ボチボチ本編へとまいりましょう。
SUBARUの大特集。今回はSUBARUが好き過ぎて腕に六連星のtattooを入れてしまった、熱狂的SUBARU信者である女性からお話を伺います。
クルマが好きな人は多い。
クルマが生活の中心になり、所得の多くをクルマに注ぎ込む人も(昔ほどではないにせよ)少なからず存在する。
だが今回お話を伺った女性は特別だ。何しろ彼女は、「SUBARUが好き過ぎて」、乙女の柔肌に六連星のSUBARUマークを彫ってしまったほどのフリークなのである。
Daniella Maria DaCruz-Becerraさん。ニューヨーク近郊で、SUBARUのアンバサダーを勤める、自他ともに認めるスバリストだ。
インタビュー場所は地元の有力ディーラーであるWorld SUBARUで行われた。
ダニエラさんは、ご主人とともに、この店で今まで何台ものSUBARUを購入している。
お話を伺ったWORLD SUBARU。マンハッタンからクルマで2時間ほど。ニュージャージー近郊にある有力ディーラーだ。
F:ダニエラさんはこの地区のSUBARUアンバサダーを務めていると伺いました。そもそもアンバサダーとは、どのような制度なのですか。まずそれを教えてください。
D:この制度は2005年に始まりました。SUBARUのシェアが伸びるのに合わせて人数も増え続け、今では全米で1万1000人がこの名誉あるアンバサダーに認定されています。ええ、勝手にやっているのではなく、SOA(スバル・オブ・アメリカ)の認定を受けてやっているのです。
F:どうしてアンバサダーになったのですか? SUBARUのクルマをたくさん買ったから、「やってみませんか?」とSOAから勧められたのですか?
D:いえ。SUBARUが大好きだから、自分から応募しました。このアンバサダーは誰でもなれるというものではなくて、SUBARUに対する深い愛情とともに、豊富な知識が求められるのです。「好き好き大好き」だけではダメなんです(笑)。私は4年前に申請して、2年間かかって、ようやくSOAから認定されました。
無報酬、審査に2年、それでもなぜアンバサダーに?
F:審査に2年も! それはかなり厳しいですね。
D:SUBARUのクルマを買う人は、購入する過程で、Webでじっくり調べてからお店に来る、という特徴があるんです。でもいくらWebで一生懸命調べても、やっぱり最終的に参考にするのは、実際にSUBARUのクルマに乗っていて、しかもクルマについて正確な知識をもった人からの意見です。詳しい人からの客観的な意見を聞きたい。そういう要求のある人たちに、SUBARUの側から正確にリーチアウトするための手段が、私たちアンバサダーということです。希望すれば誰でもなれるというわけではないのです。
自他ともに認めるSUBARUフリークのダニエラさん。
F:これがお仕事なのですか。ダニエラさんはアンバサダープログラムから報酬を得ていますか。
D:いえ。アンバサダーは基本的に無報酬のボランティアです。お金はもらえません。SUBARUのロゴが入ったノベルティ商品と交換可能なクーポンが支給されたり、モーターショーの入場券がもらえたり、新しいモデルが出る際に先行で試乗ができたり、というメリットがあります。
F:金銭的な報酬は得られない。それでは他にお仕事をお持ちなのですか?
D:はい。私は看護師です。他にも少しだけグラフィックの仕事もしています。
F:じゃ、アンバサダーはお金のためではないと。
D:お金が目的ではありません。私くらいの年齢の人で、SUBARUに乗りたいと思っている人はたくさんいます。そういう人に直接会って、SUBARUの魅力を伝えます。そして実際にSUBARUに乗っている人とは、例えば町中ですれ違ったらお互いに手を振り合ったり、サムズアップ(親指を立てる仕草)をしたり、また一緒にBBQをしたり、オーナー同士のつながりがとても強いんです。それはファミリーのような関係だと考えています。
F:アンバサダーはみなさんダニエラさんのように積極的に活動しているのですか。今日こうして我々のために来てお話をしてくださるのだって、大変なお手間じゃないですか。
D:アンバサダーとして活動している人の中には非常に積極的にやっている人もいれば、それほどでもない人もいます。温度差はありますね。私は9人のアンバサダーとつながりがあるのですが、その中では私が一番アクティブに活動していると思います。
F:アンバサダーは一度なってしまえば、一生その立場でいられるのですか。終身会員のようなものなのですか。
D:毎月活動記録のリポートを出しています。それを出さなければアンバサダーとしての活動はできなくなります。
F:うーん。しかしそれにしてもSUBARU愛がすごいですね。SUBARUが大好きでアンバサダーの活動をしておられるとおっしゃいましたが、そもそもどうしてSUBARUなのでしょう。好きになったキッカケはありますか?
D:SUBARUはもともと私の父親が乗っていたんです。ある日、父のクルマを借りて私が運転しているときに、突然後ろから追突される事故に遭いました。それはクルマが横転するほどの酷い事故だったのですが、私は無傷でした。ええ、完全に無傷。家の近くだったので、自分で歩いて帰ったほどですから。
そのシリアスな事故以来、SUBARUしか乗らなくなりました。私の命を守ってくれたのがSUBARUです。スバルはそれほど多くのモデル持っているわけではないけれども、非常に質の高いクルマ造りをしていると思います。量よりも質なんですね。自分が事故に遭って理解したのですが、安全性も含め、私はこのクオリティの部分が、他のどのブランドより大きく勝っていると思います。
F:なるほど、横転するほどの事故に遭われたけれども、ご自身は傷一つ負わなかった。それ以来「自分の命を守ってくれた」SUBARU一筋でいらっしゃる。そして遂にはアンバサダーに就任と。これは説得力のあるお話ですね。
いまの夫が「それだけはやめてくれ」と言ったこと
D:実は私、離婚しているんです。前の主人がとても暴力的で……典型的なDV夫だったのです……。
F:DV……。それはいけませんなぁ……。
D:それで離婚して、1人になって、SUBARUにのめり込むようになって……。
F:なるほど。
D:アンバサダーにも就任して、大好きで信頼できるSUBARUのことを広めるという使命を持って、ファミリーのような仲間も増えていって……自分らしく有意義に生きられるようになったんです。それでほら、ここにtattooを入れました。
そう言うと彼女は腕をめくり、左腕の内側に入れたtattooを見せてくれた。
腕まくりをして見せてくれたSUBARUの入れ墨。やりますなぁ。
F:ひゃあ、SUBARUの刺青。日本でも昔、愛する人の名前を「◯◯命」みたいに彫る人がいましたが、それと同じですね。なにしろ刺青は簡単に消すことができない。生涯忠誠を誓うという強い意思の表れです。
D:そんなに大層なものではありませんけど。デザインが可愛いから好きなんです。
F:今までに乗られてきたクルマを教えてください。
D:1998年モデルのインプレッサRSクーペ、1999年モデルの同じくインプレッサRSクーペ、1999年モデルのフォレスター、2001年型アウトバック、2000年モデルのRSの4ドア、2002年モデルのフォレスター、2002年モデルのSTI。再婚してから急に増えました。2006年モデルのホークアイ(鷹目)のWRX、2009年モデルのWRX、2016年モデルのWRXにも乗っています。
ホークアイ(鷹目)のWRXとはこのモデルのこと(写真提供:SUBARU)
F:ご主人もSUBARUが大好きなんですね!
D:残念ながらそれほどでもないです(苦笑)。でも私のSUBARU好きを理解してくれています。だから婚約指輪の代わりに今日乗ってきたクルマをプレゼントしてくれました。そしてもうすぐ、彼との子供が生まれます。
F:おー! それはめでたい。おめでとうございます。それじゃ赤ちゃんの名前はSUBARUに決まりですね。男の子でも女の子でも使える名前ですよ。
D:私もそうしたいのだけど、彼が「それだけはやめてくれ」って(笑)。
惜しい……六連星の刺青を入れて、子供の名前もSUBARUにすれば、ストレートフラッシュの完成だったのに。
F:しかし勇ましいクルマですね。だいぶ改造しておられるのですか。
D:少しだけ。サスペンションを替えて、フロントはアウトインタークーラーにして、ターボタービンを替えて、オイルクーラーも大きなものに変更して……。
F:そこまでの改造はさすがにディーラーではできませんよね。どこか信頼できるショップがあるのですか。
D:いえ、全部自分でやりました。それほどの改造じゃありませんから、すべて自分の手で、一部は仲間に手伝ってもらったり工具を貸してもらったりしたことはありますが、基本的にはDIYです。
F:しかしそこまでやるのはかなりの技術が必要でしょう。だれかメカニックの先生がいるのですか。
D:YouTubeです。すべてYouTubeで検索して適切な映像を探しました。あれは本当に便利。料理の作り方から、エンジンの載せ替えまで、あらゆる映像が出てきますから。
F:YouTubeで、なるほど。ところでこんなクルマに乗って、いったいどのような運転をされるのでしょう(笑)。
D:あなたが想像しているようなものとは違うと思います(笑)。ご期待に沿えないかもしれないけれど、私はすごく丁寧な運転をします。町中で飛ばすようなことは絶対にありません。
日本のSUBARUへの一言
F:そうですか。ホントかなぁ(笑)。最後にひとつ。日本にもたくさんのSUBARUフリークがいます。彼らはスバリストと呼ばれています。SUBARUの生まれ故郷である日本に行ってみたいと思われますか?
D:前から行きたい行きたいと思っていたのですが、なかなか機会がなくて。子供が生まれた後にチャンスがあれば行きたいなと思っています。もし日本行きが実現したら、S205のエンジンを日本から持って帰ってきて載せ替えたいです。
F:ひゃー。
D:クルマとして持ってくることができないので、エンジンだけでも持ってきたいです。
F:それじゃ最後に、日本の読者に向けて一言お願いします。
D:日本の読者にではなく、日本のSUBARUに向けての一言でもいいかしら?
F:もちろんです、どうぞ。
D:新しいフォレスターには、どうしてターボモデルがないの? みんなが待ち望んでいるのに! 以上!
F:あはははははは!
SUBARU広報K原氏:うぅ……。
こうしてSUBARUの超強力アンバサダーであるダニエラさんのインタビューは終了した。
文化の違いから、tattooに対する受け止め方の違いはあるものの、やはり一生消えない刺青を入れてしまうのはすごい。
さてさて、長く続いたフォレスター編はこれで終了。1回番外編を挟んで、そのあとお送りするのは、実に11年ぶりにフルモデルチェンジを果たした「あのクルマ」だ。ショファードリブンからの脱皮を狙った新型の乗り心地は如何に?
お楽しみに!
こんにちは、AD高橋です。
六連星のエンブレムをtattooで刻む。ダニエラさんのSUBARU愛、すごいですねえ。
「俺は日本が大好きで、中でも漢字が大好きなんだ。そんなCOOLな俺を漢字で彫ったぜ」
という外国人が「冷奴」(COOL GUY……?)というtattooを自慢げに見せてきた、なんて話が数年前にバズったりしましたが、ダニエラさんのこのtattooもスバリストの間ではバズリそう。六連星のデザインが、今後変わらないことを祈るばかりです。
というのも、実はスバルのシンボルである六連星の現在のデザインは、誕生時のものとは大きく変わっているんですよね。残念ながらプレスサイトにもその変遷が分かる写真がなかったので、歴代モデルからエンブレムをトリミングした写真で振り返っていきましょう。一部不鮮明なものがありますが、ご了承ください。
なお、この後ヨタはダニエラさんのtattooにインスパイアされて急きょ仕上げています。もし間違っているところがありましたら、スバリストのみなさん、コメント欄でやさしく指摘してください。
まず上の画像は現在の六連星。左に大きな星があり、その横に5つの星が連なります。エンブレムがこの配置になったのは、1988年のようです。下の写真は1988年に登場したレックスコンビスーパーチャージャーVX。フロントのエンブレムは、この配置になっていますね。
では、それより前はどのようなエンブレムだったのか。下の写真は1958年に登場したスバル360のエンブレムです。
ちょっと分かりづらいですが、右側にある星の塊は4つ。左にある大きな星のさらに左側に星が一つ描かれています。最初はなぜこのような配置だったのか? それはスバルの成り立ちにも関係します。
ご存知のように株式会社SUBARUは2017年4月1日付で社名変更されたもの。それより前は富士重工業株式会社という名称でした。さらに遡ると、1917年に創設された飛行機研究所(翌年、中島飛行機製作所に改称。そして1931年に中島飛行機株式会社に改称)にたどり着きます。
中島飛行機が製造していたのは軍用機です。日本は終戦とともにGHQから航空機の研究・製造が一切禁止され、中島飛行機にも軍需大臣から生産停止命令が下ります。中島飛行機は1945年8月17日に富士産業株式会社と社名変更。定款も改定し、平和産業への転換を図ることになりました。富士産業は航空機製造で培った技術を活かし、日本初のモノコックボディのバス「ふじ号」などを製造します。
そして1950年代に入ると企業再建整備法による第二会社12社が発足。1953年には富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、東京富士産業、宇都宮車輛の5社が出資し、富士重工業株式会社が発足しました。そして1955年4月、富士重工業は資本出資5社を吸収合併。資本金8億3050万円、従業員5643名の企業としてスタートしたのです。
六連星は富士重工業と吸収した5社を表していています。もちろんもっとも大きく描かれている星が富士重工業。この六連星はおうし座に位置するプレアデス星団で、日本名は昴(スバル)です。夜空に輝く6つの星を6つの企業の集合体を重ねたこと以外にも昴=統べる(互いの力を結束させて大成する)という意味が込められている、とも言います。
こちらがプレアデス星団。中央にひと際明るい星があり、その右側に4つの星が並んでいます。そして中央の明るい星の左下にも明るい星がありますね。そう。スバル360時代のエンブレムは、実際の星団の星の並びを忠実にエンブレムに落とし込んだのです。
ちなみにプレアデス星団=昴は古くから六連星(むつらほし)と呼ばれますが、実際は120個ほどの恒星の集まりです。冬の星座として有名なオリオン座。その腰部分にあたる3連星から右の方に視線を動かしていくと見つけることができます。
6つの星の配置以外にも、時代によって星の大きさや形が微妙に異なります。同じように見えるエンブレムも実は時代によって細かく変更されているのは珍しい話ではありません。有名なところでは日産のスカイラインGT-Rのエンブレム。ハコスカからスカイラインという名称がなくなった最新モデルまで、同じように見えますが実は微妙にデザインが異なります。興味ある人はスバルのエンブレムでもどこが変わっているか探してみてください。
この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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