M:ええ。リーマンショックの年に、アメリカの市場で前年を超えたブランドというのは、唯一SUBARUだけなんです。ただ、これはLOVEキャンペーンが奏効しただけでなく、ちょうどその年にSUBARUの商品がアメリカ市場に合ったサイズになった、ということも大きな理由の一つです。

 今日の5世代目のアンヴェールの際、一番左に置いてあったクルマがあるでしょう。あれが出たのが2008年で。真ん中に2つ置いてあったものから一回り大きくなっています。当たり前ですが、売れた理由は一つではありません。それは優れていて市場に適合した商品であったり、正しいマーケティングであったり、そういう要素の組み合わせです。

右側が初代、左側が2008年にアメリカで発売された「アメリカ市場に合わせたサイズ」の3代目フォレスターだ。日本では「デカくなり過ぎた」と怨嗟の声が溢れたものだが、フォレスターはほとんどアメリカで売れるクルマですからね。仕方がありません。
右側が初代、左側が2008年にアメリカで発売された「アメリカ市場に合わせたサイズ」の3代目フォレスターだ。日本では「デカくなり過ぎた」と怨嗟の声が溢れたものだが、フォレスターはほとんどアメリカで売れるクルマですからね。仕方がありません。

A:そう。いろいろな要因があるとは思うのですが、SUBARUの商品がアメリカ市場に合ってきたこと、そしてマーケティングが良くなった。これが躍進の2本柱と言えるでしょうね。

M:無論そこには販売店が力を付けてきた、ということもあります。それを忘れてはいけない。

F:販売店と言えば、SUBARUは全てのメーカーの中で、もっともインセンティブ(インポーターがディーラーに対して支払う販売報奨金)の金額が低いと聞いたことがあります。それは事実ですか?

左は2代目、右側は4代目のフォレスター。2代目はヴェールを纏っていても小さいことが分かる。
左は2代目、右側は4代目のフォレスター。2代目はヴェールを纏っていても小さいことが分かる。

A:事実です。輸入車、国産車に限らず、我々が一番インセンティブが低い。そして、そうした中でも、2017年まで9年連続で販売記録の更新を続けています。マーケットシェアは1%から4%近くまで伸びました。

M:インセンティブも低いですし、在庫数は業界でも非常に低いレベルにあります。利益率は我々SOAも、SUBARUのディーラーも非常に高いレベルを維持しています。

ディーラーはメーカーを普通に見切る

F:両方とも儲かっている。実に結構ですが、インセンティブが低いのにディーラーの利益率が高いのはなぜですか?

A:これもいろいろな要素があるのですが、需要が非常に高い一方で、供給は過多になっていないことが大きいです。

そして2018年。こんなに立派になりました。
そして2018年。こんなに立派になりました。

F:ハングリーマーケットであると。

A:そうです。市場がハングリーであれば、値引きして無理に売る必要がありません。値引かなければ、ディーラーは高い利益を確保できる。

F:そうか。他の会社は、インセンティブはディーラーの利益ではなく、値引きの原資になっている。

M:そうそう、そうなんですよ。そしてアメリカのディーラーは独立資本です。メーカーの資本が入っていない。完全に独立しているので、言うなれば我々のブランドに対して投資をしていただいている状態です。つまり、そのブランドに魅力がなく、将来がないと判断されれば、サッサと見切られてしまう、ということです。

F:OMG!

A:OMG、ですよね(笑)。

M:SUBARUは将来に向け、いまもっとも成長が期待できるブランドという評価をいただいています。だからディーラーさんも安心して投資ができる。

F:9年連続で成長しているとのことですが、そうすると買い替えだけでは済みませんよね。どこか他のメーカーからの乗り換えが出ているはずです。どこからの乗り換えが多いのですか。

A:トヨタが一番多い。その次がホンダからの乗り換えです。

SUBARU広報:フェルさん。そろそろ……。彼らもミーティングが立て込んでおりまして。

F:OMG!

SUBARU広報:僕は日本人です。

F:ああそっか。下手な英語で喋り疲れちゃったぞ。それじゃどうも、ありがとうございました。

A、M:ドモアリガトゴザイマース!

ノリの良いSOA役員諸侯。大変申し訳ございません。
ノリの良いSOA役員諸侯。大変申し訳ございません。

 こうしてSOA大幹部へのインタビューは終了した。しかしさすがはアメリカの広報担当役員。どんな質問にもスラスラと立て板に水で答えてくださった。

 来週はニューヨーク郊外に足を延ばし、SUBARUの販売店に突撃する。
 すごいんですよこれがまた。
 それではみなさまごきげんよう!

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